93.あんまりな程に残酷

 朱明は眉間にしわを寄せる。


「藍地……?」

「何で俺が、あいつを消す手伝いをしなくちゃならない訳? 俺が、だよ?」

 ため息をつく。

「何でHALさんは、わざわざ俺に頼む訳よ? 最初から。最初からだよ? レプリカを作る時点で俺は聞かされたのよ? その時が来ることを!」

「……藍地仕方ないよ。HALさんはそういう奴だもの」

「だけど、それってあんまりじゃないか? 残酷だよHALは! ずっとずっとずっと、奴は知ってたよ? 俺が最初っからHALさんに惚れてるの。それ判っていて、奴はそう言うんだよ? 『いちばん信頼してるから』残酷だよ!」


 確かに残酷だ、と朱明は思う。


「しかも」


 ぎっ、とぎらぎらした視線が朱明に飛ぶ。突き刺されたか、と朱明は感じた。長いつきあいだが、そんな藍地を朱明は始めて見た。


「絶対に、お前には言うなって!」

「藍地!」


 芳紫が口をはさむ。


「どうして俺は俺で、それを守らずにはいられないんだよ? よりによって、お前に? HALさんがそれを望んだからって? お前に?」


 藍地は堰を切ったように、朱明に言葉を投げつける。朱明はその勢いの強さに、動けない自分を感じていた。

 滅多に怒らない分、藍地が本当に切れると、それを向けられた相手の背筋が凍ると言われていた。朱明は見たことがなかったが、その意味が彼にもやっと判った。


「藍地……」


 言うだけ言うと、彼はうつむいて、黙り込んだ。朱明は呪縛が解けるのを感じた。そしてようやく、友人の名を呼ぶ。

 藍地はしばらくそうしていたが、やがて、ぱん、と書類をデスクの上に置くと、左手で顔を伏せたまま、


「……悪い、頭冷やしてくる」


 そしてそのまま顔を見せないように藍地は部屋を出ていった。

 部屋には朱明と芳紫が残された。


「怒るなよ朱明」

「いまさら。怒るかよ……」

「うん、それがいいね」


 芳紫は軽く言う。


「あんな藍地は初めて見た」

「俺だってそう見たことはないよ。前に見たのは、それを言われた時だけ」


 それがいつなのかは想像に難くなかった。


「芳ちゃんは、強いね」

「別に強くないよ。ただ俺が心配したり、嘆いたところで、だれも本気だとは思わないでしょ?」

「芳ちゃん」 

「ま、でも俺はまだいいのよ。俺はHALには特別強烈に思いこみはないから。だから俺は藍地に協力したの。ちょっとばかり藍地が可哀そうすぎるからね。だけどお前は奴に同情すんじゃないよ? 朱明」

「……ああ」

「どーせ帰ってくる頃には、平気な顔になっているはずだよ。それが俺達の、西の人間の地域性というもんだから」

「そういうものか?」


 生粋の東の人間である朱明にはいまいちよく判らない感覚だったが。


「HALさんなんてその最たるもんじゃない。やたらとはぐらかすのもそうだし、本当の答を、本当に解いてもらいたい相手には隠したがるのも。まあだから、その気持ちは多少判ってしまうからな。どおしようもない」


 だけどそう平然と言うことでもないと思う。


「とりあえず、藍地が戻ってくるまで、俺達は実務の方考えようよ。時間がもったいない。藍地だって、ここでいさかい起こして時間を無駄にするのが嫌だろうしな」

「ごめん」

「お前が俺にあやまることはないのよ」


 苦笑いのつもりだろうが、芳紫のその顔は、ただの「にっこり」にしか見えなかった。


「あ?」


 不意に朱明は声を立てた。


「どうしたん?」

「……いや……」



「……そうだよな、そういう奴だったよな……」


 屋上で「頭を冷やしていた」藍地は振り向きもせずに、後ろにいるであろう相手に言った。

 公安の入っているビルはそう高いものではない。だがそれでも十階程度はあるので、屋上の風はなかなか強いものがあった。

 藍地は金網ごしに「都市」を眺めながら続ける。


「昔さ、俺達の作ったプロモーション・ビデオにあったよな? 俺や芳ちゃんや朱明が何やらそれぞれのラヴストーリィを演じている中で、お前にはそういうシーンが無くって、それを見ているっての」

「あったね」


 背後から声が聞こえる。それまでその気配は無かったが。


「あの時の役どころは、監督はゴーストだって言ってたけど」


 HALは風の中だというのに、声を張り上げることもしない。それでいて藍地にはその声はよく聞こえている。


「俺は『予感』だと思ってた」

「予感?」


 HALは問い返す。


「別れの予感。お前が現れたことは俺達は知らないけれど、お前の現れた所には必ず別れが待ってる」


 それを聞いてHALは苦笑する。


「何だろうね。どうして俺はいつもそういう役どころになっちゃうんだか。何か他にもあったよね。やっぱり俺はお前らの様子を傍観してるの。俺ってそう見えるのかなって思ってたよ」

「俺もそう思っていたよ」

「何、藍地も変だと思った?」

「逆」


 藍地は首を横に振る。そしてようやくHALの方へ向き直る。


「そん時俺達が演っていた、そうゆうどろどろしたのには、お前は関係ないとずっと思ってた」

「そんな訳ないじゃない」


 するとHALは重力の無い声で答える。


「俺だって例外じゃない」

「そりゃそうだ。だけど気付きたくなかった。俺は」

「それでお前は俺をセクスレスの身体に閉じこめた?」


 藍地はその問いには答えない。HALも答えは求めていないように、彼には見えた。

 仕方ないな、とHALはつぶやく。


「そのへんが俺の負けだったんだろ?」


 自分と、彼との。


「お前は知ってたんだろ?」


 HALはうなづく。悲しいけどな、と鳥の羽根くらい軽くつぶやきながら。


「だから、お前は俺にはそういう目を向けられなかった」

「……仕方ないな。……だって判るじゃん。お前は俺を見てる訳じゃないから」

「……うん」

「あいにく俺は純粋無垢の天使でも、綺麗なだけの人形でもないから」

「……うん」

「俺は卑怯だよ。それでもお前が俺の言うこと全部聞いてくれると思ってる。どんなわがままでも。今だって俺はお前にわがまま聞いて欲しいんだ」

「仕方ないな」


 くす、と藍地は笑う。自分が笑っている顔であって欲しい、と藍地は思う。欲しかったのは、信頼ではなかった。


「で、何のわがまま?」

「うん、して欲しいことがあるんだ。あの時までに」

「何」


 今まで「お願い」なら皆聞いてきた。自分はそういう役どころだったから。


「レプリカを全員チューニングしなおして」

「え?」


 藍地は耳を疑った。


「全員?」

「朱夏に、あの男がしたように。第二回路を消去して、ある程度の方向付けをしてやって、彼女程度に形を変えて」

「……いいのか?」

「いいよ、もう。それにお前、あの男に協力要請してあるだろ?」