一応のミーティングが終わった後、布由はその場に残された朱夏に軽く礼を言った。
「私は何かお前にありがたがられることをしたか?」
大真面目に訊ねる朱夏が妙におかしくて、可愛い。
「朱夏のおかげで、奴に会えたんだ」
「私の?」
ああ、と合点がいったように彼女はうなづく。
「HALに会えたのか? 布由」
「お前を通して奴が会いに来た」
「……」
唐突に彼女の表情が曇る。それでも日を追うごとに、朱夏の表情は多くなってきたのだ。
ちっ、と朱夏は舌打ちをする。
「どうした?」
「不愉快だ」
「どうして」
吐き捨てるように言う朱夏を、変な奴だ、と布由は思う。
考えてみれば、本人に会って本当の意図を聞くのが一番早いのだから、結果としては悪くないのだ。確かに彼女が来たことも大きかったが、代理人より、相手の気持ちを決めるには効果がある。
「だって考えてみろ。ようやく奴の支配からある程度自由になったのに、だ。ここまできてまたアンテナにされるのか? ……まあ仕方がないと言えば仕方がないんだが…… 不愉快だ」
ぷ、と布由は吹きだした。何がおかしい、と朱夏はぶすっとした顔で問い返す。
「お前何の役目で来たのか知ってる?」
「それは、それだ…… ああ、そうか、安岐はあの時それで怒ったのか」
怒った顔がまた変わる。
自分自身の何やら出来事で納得できることがあったらしく、今度は急に穏やかな顔になった。面白い奴だ、と布由は改めて思った。
*
「『外』からロブスター使用の要請があったよ」
受け取った手紙を開いて藍地は言う。
そこには公安の三長官が集まっていた。もう一人のこの知らせを聞くべき相手はその場にはいなかった。既に知ってはいるのは、三人とも周知の事実だったが。
「使用許可は出すべきかな?」
「何が何の目的でいつ、なの?」
芳紫が訊ねる。藍地は苦笑しながら、黙って中に同封されていたチラシを二人の前に突き出した。
朱明の太い眉が寄せられる。おや、と芳紫は軽く驚いた声を立てた。
「BB……」
「そ。BB」
藍地はそのチラシの上の文字を指す。
「ツアー決定、だと。決定、だよ? 許可前から」
「奴らしいよ」
そしてその最終日には、確かに、 ……市立中央総合体育館、の白抜き文字があった。
それはBB規模のアーティストのツアーとしては奇妙なものである。普通ライヴ・ツアーのラストというのは、全国のファンが集まる場所に設定することが多い。
ツアーで得てきたものを最後の最後に最高の形で見ることができる最終日。
最も盛り上がり、次のことなど一切考えなくてもいいその瞬間。
だから最寄りのファンや一般客だけでなく、全国からやってくる者も多い。
したがって、ツアー最終日、は首都の、そのツアーで使用した会場よりはやや大きめの所であることが多いはず。
ところが。
この「都市」でやる、ということは、その他の地方から来る者を全てシャットアウトする、ということである。
だとしたら、ツアーの締めくくり、という意味あいは無いに等しい。少なくとも、BBにメリットは全くないのだ。
それでも来る、ということは。
朱明は唇を噛む。
「さて許可を出すべきかな?」
藍地は二人に訊ねる。
「俺は問題ないな」
芳紫はのほほんと答える。朱明もまた、構わない、と答える。
「じゃあ許可、と……」
ぽん、と藍地は印を押す。とりあえず形というものは必要だ、とつぶやきながら。
「問題はスタッフだろうな。むこうのスタッフがどれだけ中に入ってくる者が必要か。それともこちらの現地調達でどれだけできるか」
「最低限にしろ、とは言ってやれよ」
朱明は鋭い声で言う。
「『適数』のことは、向こうも知ってるだろう。だとしたらその際には一般市民に知れない程度に交換するしかない。うちの手駒で大丈夫な程度、それでいてこちらの警備にも支障がない程度……」
公安の人数は実際にはそう多くない。しかも、外へ出て、再び戻ってくる、と考えられるものは。
「手紙には、定数をこちらで指示してくれ、と書いてある」
「OK。そっちがそっちで協力的だったら、うちも協力できる、とこちらも書こうや」
芳紫は答える。
彼らももともとライヴ・バンドではあった。しかも全国で、ホール・クラスを埋められるくらいの。
従って、どれだけの人数が一つのホール・ライヴで必要かは知っていた。そしてその何処までが持ち駒でなくてはならないか、何処から先が外注でも構わないか、も。
「本当に、始まってしまったんだな」
手紙とチラシをぱらりと置いて、藍地はため息をつく。
「うん、仕方ないね」
「仕方ない?」
芳紫のあいづちを聞いた途端に、藍地の声色が変わった。朱明は一瞬耳を疑った。
「仕方ない? ……冗談じゃない! 芳ちゃん本気で言ってるの?」
「本気だよ。始まってしまったものは仕方ないじゃない」
「俺は、嫌だ!」
どん、と藍地は両方のにぎりこぶしを机に強く叩きつけた。昔の彼なら絶対にしなかっただろう。彼もまた、ベーシストだった。楽器をやる者だったのだから。
「そのことについては、納得したんじゃなかったの? 俺や、お前がどうこう言ったところで、どうしようもなかったじゃないか!」
「そりゃそうかもしれないさ! でも!」
そしてふらり、と藍地は朱明の方を見る。朱明はその視線に全身鳥肌が立つのを感じた。
普段の声よりもオクターブ低く、藍地はうめくようにつぶやく。
「時々お前をどつきたくなったよ、朱明、俺は……」