「芳ちゃんちょっと……」
朱明はギタリストを手招きする。
「なに?」
軽く問い返して、ギターを持ったまま、音出し中の芳紫は舞台袖に走る。転ぶなよ、と朱明は半ば真面目な口調で言う。
「気になるんだけどさ俺」
「なにが?」
「HALが」
「今さら何言ってんの?」
「そういう意味じゃないよ…… 芳ちゃんちょっとこの単語発音してみてくれねえ?」
そう言って朱明は一つの単語を近くにあったスタッフ用のホワイトボードに書く。何だかなあ、と思いながらも、芳紫は言われるままに発音する。
「そうだよな…… じゃあもう一つ」
同じことをもう一回繰り返す。芳紫は朱明の言ってるのが、どうもいつもの、冗談でないのに気付いた。
「朱明…… 一体何を言いたいの?」
「……言葉」
「あったり前でしょ。言葉だろうけど……」
「HALがこれをこう言ってた」
ホワイトボードの上の、カナで書かれた単語に朱明はアクセント符号を付ける。
「何か、変じゃねえか?」
芳紫は何回か、口の中で自分の言ったもののイントネーションと比べてみる。何だったら発音記号もつけてやろうか、と雑学の大家はつけ加える。すると芳紫の表情が曇った。
「……変だ」
「変?」
「……うん、これは俺や藍地やHALさんの使うイントネーションじゃない。どうしてHALさんがそう言う訳? 遊んでるとか、何、何かMCでここの御当地ネタ使おうとかそういうの?」
朱明は首を横に振る。
「そう言うんじゃねえ…… そういうんだったら、俺もいちいち芳ちゃんに言わねえよ。今布由が来てたんだけどさ」
「あ、来たのか。珍しい。……でも……」
「来たんで起こしたんだ」
「あ、そ」
「でもさ、寝起きにいちいちそんなこと考えるか?」
芳紫はいーや、と一言で決めつける。
「考えない。普段からギャグかまそうとしてる俺や誰かさんならともかく、HALはそういう奴じゃないし」
そんな芳紫もかなり真剣な顔になる。
「芳ちゃん!」
藍地が反対側の舞台袖で手を振っている。音のバランスを見てくれないか、と叫んでいる。
「藍地にはどうする? 俺から言っておこうか?」
「頼むよ。俺、どうも気になるからもう一度見てくるわ」
朱明はくるりと向きを変えると、元来た方向へ戻っていった。
芳紫はホワイトボードに書かれたものを消しながら、自分の言った言葉を思い返す。
御当地の―――
*
「HALお前、いつからここの人間になった?」
布由はようやく見つけた疑問の正体を口にする。
「何言ってるの? FEWお前、そっちの方が今日は変だよ。来てそうそう、俺に訳の判らないことばかり言って」
訳が判らんのはそっちの方だ、と布由は思う。HALはそれまで眠りこけていたソファに、傲慢な程にもたれ掛かる。布由は進められた椅子に座るのも忘れていた。
テーブルの上には幾つもの豪華な花束が乗せられている。布由がそちらへ目線を泳がせたのを見ると、ひらりと顔に笑みを浮かべた。
「ああ、花ね。綺麗だろ」
「綺麗だ、と思うのか?」
確かに自分は綺麗だ、と思える。こんな組合せでも。それは悲しいかな習慣的にしみついた感覚だ。だが、少なくとも、HALなら絶対に、そこにあるその花の組合せを「綺麗」とは評しない筈なのだ。
前にたまたまTVの収録が何かのときにかち合った藍地に聞いたことがある。HALはもらった花束でも、気にいらなければ解いて自分の好みの組み合わせにしてしまうのだ、と。
ではどういうのがHALは好きなのか、と聞くと、藍地はにやにやしながら、HALさんはもう、シンプルイズベストよ、とあっさりと答えてくれた。あげるんならその辺のことを考えてやってね、と余計なことをつけ加えて。
目の前に広がる花の山は、決してシンプルではない。ゴージャスという形容詞がかろうじてつけられるが、一言で言ってしまえば、「節操無し」だった。
だが布由はそれを一言で片付けられない自分がいるのを知ってる。
それはこの地方の人間のやりがちな合わせ方なのだ。だから布由はそれはそれで「節操無し」ながらも好ましく思ってしまう自分がいるのも知っている。それが地方性というものだ。それは仕方がない。
だけど。
「ああ、綺麗だよね」
そしてその束の中の一つを抱える。赤系青系黄系…… かろうじて白のぽわぽわした花があるからこそまとまっているが、全く似合わない、と布由は思う。
確かに藍地の言う通りだ。
布由は自分の額をぴしゃりと叩く。そして椅子に脱力したように腰掛ける。
どうしたの、とHALは花束を放り出して駆け寄った。
「どうしたのFEW? 貧血?」
「……お前、誰だ」