その晩の打ち上げは、バーベキューパーティだった。昼間誰かが遊んでいたプールサイドは、夜にはパーティ会場となった。何だかんだと言って、熱帯夜、水の側は涼しい。布由は適当に料理をつまみ、ビールを呑みながら、土岐やスタッフと談笑していた。
そこへ、こんばんわぁ、と明るい高い声が聞こえた。西のイントネーション、この声は、一度聞けばまず誰でも覚える。
「あ、芳ちゃん、お久しぶり~」
他のレコード会社の女性スタッフ達も、彼には気安い。
「こんばんわぁ~ トーキビ焼けてます?」
「焼けてる焼けてる、持ってきなよ」
「ありがとぉございます~ **さん今日も綺麗っ」
「んもうお世辞が上手いんだからぁ」
女性スタッフはそう言うと、焼けた串をどんどん彼の皿に乗せる。おおっ、とか露骨に喜ぶ姿がまた年上の女性スタッフの笑いを誘うのか、彼の皿は次第に山のようになっていった。
「あ、布由くんだ」
「よお」
ひょい、と布由はつられて返事する。レコード会社の思惑はどうあれ、別に彼らとBBはケンカしている訳でも何でもない。特にこの芳紫は何処でも誰にも警戒されない。
「何か久しぶりだねー」
そう言って、ひょい、と器用に山になった皿を持ったまま、ちょっとごめんね、と布由の横に掛ける。席を取られたスタッフの一人も、芳ちゃんなら仕方がないね、という顔で皿と箸を持って移動する。
「何してんの芳ちゃんここで」
「ん? HALがトーキビ持ってたから、きっと焼けたんだと思って、俺、遠征」
「あ、なるほど。HALは?」
「向こうで朱明と喋ってるんじゃない?」
串ざしピーマンと戦いながら芳紫はしゃらっと言った。
「へえ」
「妬ける?」
「え?」
「ま、俺は別にどっちでもいいけど」
布由は時々芳紫にはぎくりとさせられていた。この一見「永遠に隣のガキ」は、実のところ頭がいい。
あまり芳紫自身は周りには言わないが、彼はバンドに入るまでは、国立の工業大学の建築関係の学生をやっていたのだ。しかも教授に見込まれて、大学院に進むことをも望まれていたという。
昔なじみの藍地に即答を乞われたので学校はそのまま放ってしまったとは言うが……
無論学歴がこの業界で関係はない、という意見もあるだろうが、頭の回転がいい、というのは事実なのである。
ただ芳紫は、その外見と行動と声のせいで、それを全くうかがわせない。それだけに一体彼が実際には何を何処まで知っているか、というのは謎であり、こうやって時々布由はぎくりとさせられる。
「ま、どっちにしても、夜は長いから、がんばってね、と俺は言っておこう」
「やーだー芳ちゃん、意味シンっ!」
その言葉だけを聞きつけた女性スタッフが高い声でからかう。
「**ちゃんもう少しおっぱい大きくなってねっ。俺はおっぱいにこそセックスアピールを感じるんじゃ~!」
「ばーかーっ! おっぱい星人!」
きゃはははは、と女性スタッフの笑い声が響いた。
*
するり、とそれはすべりこんできた。本当に音もさせず。
だから、シャワーを浴びて扉を開けた時、眺めていた鏡の曇りが消えていく中に、いきなり映られていた時には、心臓が止まるかと思った。
「驚かすなよ」
「驚いた?」
くすくす、と腕組みをしてHALは笑う。
「暑かったよね今日」
「何しにきたの?」
「だからシャワーを借りに」
はいどいてどいて、とHALはぽかんとしている布由を追い出して、靴を脱いで扉を閉めた。
何だ何だ、と思いつつ、彼はバスローブを羽織り、酔い冷ましのようにシャワーを浴びたにも関わらず、冷蔵庫から缶ビールをつい取り出してしまう。
「あーさっぱりした」
自分がビールを呑んでいるのに布由が気付いたのは、そう言ってHALが風呂から上がってきてからだった。
「あ、また呑んでるんだ」
「これは……」
「別にいいけどね。ところで、この下、ウチのバンドの泊まっている階なんだ」
「……はあ」
「そんなに高級なホテルでもないし」
くすくすくす、と彼は笑った。
「下に聞こえるって、そう言いたい?」
「それもまた、面白いかもね」
悪趣味だ、と布由は思った。
だが、かと言って声だの音だのというものは大気中からそうそう消せるというものではない。
「今日良かったね。俺、野外で布由の声聞けるとは思わなかった」
HALは腕を思いきり伸ばす。
「それはこっちも同様…… 結構屋外ってのも似合うよなあ」
「うん。でも元から俺達はそうだと思っていたけどね」
「へえ」
それは聞いたことがなかった、と布由は思う。
「結構鳥肌もんだったもの。やっぱり布由は格好いい」
「そう露骨に誉められると怖いな」
「露骨? じゃあもっと言ってあげよう。あのモニターに足をかけて客を煽った時とか……」
やめやめやめ、と布由は手を滅茶苦茶に振る。照れと寒気が同時に襲ってきたらしい。それを見てHALはくすくす、と笑う。
「あまりここは俺達に悪感情持ってる様子はないしね」
「? ここ?」
「この土地自体がね。特別悪感情持っていないみたい」
「そんなの判るのか?」
「何となく。だから結構気楽にできたな。俺は気持ちよく歌えました。マル」
「へえ」
何となく布由は感心する。冗談にしても似合っている。
「あ、お前俺の言うこと信じてないだろ」
HALは相手の鼻をぎゅっとつまむ。鼻声で布由は慌てて謝る。
「信じる信じる…… だから離しなさいって」
「俺だけじゃないもん。奴もそう悪くないって言ってたからさ」
「奴?」
「朱明」
布由は昼間の様子を思い出す。
「そう言えば、昼間、奴にキスしてた?」
「うん」
「おやおや」
……としか布由には言いようがない。下手にそれ以上言えば、そこで見ていて何もしなかったことがばれてしまう。
「暑そうだったし、喉乾いていたようだったからね」
そういう問題だろうか、と一瞬思う。だが、すぐに、そういう問題なのだ、と布由は思ってしまう。思わされてしまうのだ。
「奴のこと、好きなのか?」
「何言ってんの?」
くすくすくす。
「俺はよく藍ちゃんとかにもしてるじゃない。さすがに芳ちゃんは逃げるからしないけどさ」
「俺も?」
「布由? 布由は違うよ。それとは」
「どんなふうに?」
「俺、お前の顔も姿も声もメロディも歌詞も、プロモーショントークも、格好いいとこ全部好きだもん。悪い?」
いや悪いとかそういうことではなく。
そう言いたいのだが、どうもそれに相当する言葉が布由は見つけにくい。
だからとりあえず別の質問でお茶をにごす。
「まあだけど、お前はお前の格好良さがあるんじゃないのか?」
「そりゃあね。だけど俺にはお前の格好良さは絶対出せない。仕方ないもの。それは俺の個性には絶対ない部分だし、逆にお前は俺の真似は絶対できない」
「まあそれはそうだよな」
「だろ? お前が俺の格好してああ言う曲歌うのって何かすごく変じゃない」
確かに寒気がする。想像すると怖い。
だがそれだけではない。布由は、HALの作る曲は歌えない、というより「歌いたくない」のだ。
何が、という訳ではないが、HALのうたう言葉は怖かった。
自分の言葉もよくきわどくて怖い、と言われることはあったが、それは言葉の上だけのことで、布由の作る歌詞は何だかんだ言って前向きなのだ。だからどれだけ音がどろどろしていようが、意外にファンは安心して聞いていられる。
だがHALのそれは、時々無性に背筋が凍るのだ。
何も布由のように使っていい言葉ぎりぎりのところで書いたりすることはない。ごく普通の言葉をあのマイペースなテンポに乗せているだけにも思える。
天才肌のメロディメーカーである芳紫のつくるカラフルで綺麗なメロディにさらっと聞き流してしまえば、気付かれることもないだろう。だが。
時々ふっと気付けば、そこには、救いようのない程の暗さがあるのだ。
彼は自分自身も歌詞を書いて歌う人間だから、そこに書かれることが完全にHALのフィクションであるなんてことは信じていない。多かれ少なかれ、書いた人間の断片が入っている筈なのだ。他人に書いたものではなく、自分で歌うものなのだから。
「だからね、布由は特別だから」
「はいはい」
くすくす、と笑ってついでにキスを返した。