56.何処か遠くを見ている目

 翌日速達書留がきた。


 わざわざそこまで出向いてしまった。

 どうしてそこで足が向いたのか、後になっても朱明には判らない。

 だが、そのチケットに印刷されていたバンド名が妙なものだったことと、その即断即決即座の対応が面白かったのかもしれない。だからまず、客として見に行った。

 薄暗いステージの上に立ったのは、四人だった。

 だか最初は三人かと思った。

 さほどキャパシティの大きいとは思えないこのライヴハウスは、ステージがそう高くない。だから、そのヴォーカリストが既に定位置についているのに気付いたのは、音に合わせて客が動き出してからだった。

 次の瞬間、視界が奪われた。

 朱明は目を大きく広げた。

 白っぽいふわふわした服を着た、長いゆらゆらした髪のヴォーカリストは、いきなりこちらを向いてきつい視線を飛ばしてきたのだ。

 本人にはその意識はなかったかもしれない。だが朱明にはそう思えた。そのくらい鋭い視線だった。

 そのヴォーカリストは、小柄で、それまで見た奴にはいないタイプだった。

 華奢で、手の動きが滑らかで、足どりが軽かった。

 それだけ抜き出せば、形容詞は「可愛い」が一番正しい。だがその本人から出る声は、その外見と全くかけ離れていた。

 違和感。無茶苦茶な違和感があった。

 自分ほどではないが、少なくともその外見から出るとは、普通予想ができない程の低音だった。

 しかも、叫ぶのだ。ひどく怒りながら。

 何じゃこりゃ、と朱明は思った。

 怒っているのが確実に判るのだ。音程は所々外すし、感極まると歌詞も何処かへ行ってしまうようで、省略甚だしい。

 くるくるとその白っぽい服や長い髪を振り乱しながら歌うせいか、声量もそう大きくはない。

 だが、聞こえる。耳には届いた。

 見えないな、と次第に朱明は人混みの中に分け入っていった。

 と、ひどく不機嫌そうな瞳がステージの上からにらんでいるのが露骨に判ってしまう。明らかに自分の方へ目は向いていた。


 俺が一体何したっていうのよ。


 朱明はこうなったらこっちも応戦してやるぜ、と真正面の三列目あたりでにらみ返した。

 そんなヴォーカリストの態度にも関わらず、観客の少女達は、持ち込み禁止の筈のカメラのシャッターを露骨に切り、音にノるより先にうっとりと彼を見ている。

 何に苛立っているか、なんて一目瞭然だった。少なくとも朱明には。


 ―――後で聞いたところによると、彼らのライヴで、そんな、朱明のように黒づくめで来る男などそういなかったから、つい目が行ってしまっただけらしい。そこへもともと気合いが入るとひどく怖い顔になるらしいそのヴォーカリストは、まるでガンを飛ばしたように見えるのだ、と。


 まあそんなことは後で判った話で、とにかくその時点、そのライヴでは、結局彼と朱明はガンの飛ばしあいになってしまったのである。声はともかく、音はあまり彼の耳に入っていなかった。

 変なものである。音を聴きにいった筈なのに、声しか記憶に残っていない。そんなことは初めてだった。


 電話の相手に言われていたので、打ち上げに顔を出してみた。良かったら来てくれ、と速達の中にもメモがあったのだ。

 その日の打ち上げは、前任ドラマーの送別も兼ねていたらしい。ややムードが湿っぽかった。

 あ、とまず電話の相手であった藍地がぱかっと口を開けた。あんがい彼は驚いたらしい。

 だがそれはすぐに嬉しそうな顔に変わった。

 来てくれたんだ、と藍地は朱明に向けて手を上げ、笑った。

 ステージの続きで、髪を立てて化粧も濃いのだが、この目の前にいる藍地は電話の印象に近かった。穏やかな中音域の声。そして西のイントネーションと一緒になだれこんでくる、特有の気づかい。よく来てくれた、と彼は即座に他のメンバーを紹介し始めた。

 打ち上げの料理が並ぶテーブルの、空いた席に朱明はほとんど無理矢理押し込まれた。

 長身のギタリストの芳紫は、初対面の相手にも妙に明るかった。藍地の態度が、それでも「お客さん」に対する丁重なものであるのに対し、甲高い声で、最初からフレンドリーだった。

 言葉の端々にがんがんにギャグを飛ばし…… 飛ばしていない時でもその言葉自体が笑うを誘う芳紫は、周囲に突っ込まれながらも、それに輪をかけて飛ばしまくっていた。

 アルコール類を呑んでいる気配はない。呑まなくても切れる体質らしい、と彼は踏んだ。

 逆に、ステージでは彼に露骨にガンを飛ばしたヴォーカリストは、妙にぼんやりとしていた。そして藍地は彼を朱明に紹介する。


「紹介するよ、ウチのヴォーカルのHAL」


 それを聞いた時、朱明の脳裏には、コンピュータ会社の看板が浮かんだ。

 よろしく、とHALは朱明にぺこんと軽く頭を下げた。

 あ、どうも、と朱明もそれにつられるように頭を下げた。だが頭を上げた瞬間、奇妙な感じがした。

 目の前の相手の目は死んでいる、と思った。

 ぼうっと、焦点をずらしたまま、何か別のものを見ているようだった。

 真正面に居るのは自分のはずなのに、自分などまるで見えてないようだった。

 いつもこうなのか、と藍地に聞くと、今日は特別だ、と苦笑して藍地は答えた。前のメンバーが抜けたしね、と。

 ふうん、と朱明はうなづいた。