「BB? ブリジット・バルドー?」
その年代ではまず出ない発想で、朱明はBBのヴォーカルに問いかけた。
結局BBのヴォーカルはにやにやと笑うだけでその問いには答えなかった。大してその言葉に意味はないのだ、と朱明は何となくそれで納得した。
いい話だとは思った。だが。
「とりあえずしばらく様子を見させてくれないか?」
いいよ、とヴォーカリストは言った。
「何て呼べばいい?」
「FEW」
朱明は英語は中学も高校もそう得意という程ではなかったが、その単語がAをつけるかつけないかで、ずいぶんと意味が違うものになってしまうものであることぐらいは知っていた。
その呼び名を知った翌日に、その相棒から彼の本名の布由という名を聞いた。珍しい名だ、と朱明は思った。
「昔はよくからかわれたとか言ってましたけどね」
そういう彼も同様だった、と付け足しはしたが。
実際、その話はかなり魅力的だった。
FEWも土岐も、悪い奴ではない。正直言えば、面白い奴だと思った。
土岐はともかく、布由は自分と同じくらいの歳だったし、先の先の先くらいまで事態を読むタイプの人間だったし、作るメロディも悪くない。
人柄は――― 多少疲れるところもあったが、音楽をやっていく仕事仲間としてならそう悪くはない。むしろ多少のぶつかりあいがあるくらいの方がいい。
そして何よりも、自分のドラムの腕を見込んでくれている。
だが、すぐに返事ができなかった。
そのあたりが引っかかっていた。
彼には直感とか初期衝動とか、とにかく頭で理屈で考え出す以前のものを重視するくせがあった。
朱明は基本的に理屈屋だ。そしてそれを自分自身知っているから、逆に、それに左右されない部分を大切にしていた。あの「影」を見る目のように。
その自分の直感が、何かが引っかかっていると言っている。
だからとりあえず様子を見させてくれ、とFEWには言った。
そして何回かサポートドラマーとして、ライヴに参加してみることにした。曲を演らないことには意味がない。
ライヴをして、曲を合わせて、思う。
悪くない。
悪くはないのだ。
だが、悪くない、だけなのだ。
FEWの声も、土岐のベースも、当時のギタリストの音も悪くなかった。
曲も詞も悪くなかった。
当時はまだ結構音がハードだったが、その芯にあるメロディラインは不気味なほどメロディアスでポップで、一歩間違えば歌謡曲だった。
だけど奇妙に頭にこびりつくものを持っていた。
面白い奴らだなあ、と思った。
悪くはない、と思った。……悪くはない、と。
だから決めかねていた。
彼は決定を迫られていた。BBのメジャーデビューが迫っていたのだ。
BBはとりあえずロック・ユニットよりはロック・バンドという形を当時は取ろうとしていた。
当時の常識として、バンドがドラムレスではどうにも形がつかない、という訳である。
FEWは言葉にはしなかったが、ずいぶんと答は待ち遠しかった筈である。そして、NOという筈がない、と思っていた筈である。FEWという男は、そういう根拠のない自信を持つ奴だ、と朱明は感じていた。
だがその自信が一つ崩されたからといって、めげる奴でもなく、それ以上の闘志を持って突き進んで行ってしまうような。
朱明は、自分もある程度そういうタイプだとは思っていた。何はともあれ、自分の選んだ行動には責任と自信を持つという。だが。
そんな時に、電話が鳴った。
*
『……のサポートを演ってた朱明さんですよね……』
数多く、色々なサポートをしていた彼は、一瞬それに答えるまで間が空いてしまった。その間を不審に感じたのか、電話の向こう側の相手は、同じ問いを繰り返した。
「そうだけど……」
知らない声だった。高くも低くもない。そして言葉尻に西のイントネーションがあった。
『今、決まったバンドに加入が決まっていますか?』
精いっぱい、礼儀を尽くそうという誠意が伝わってくるような声だった。決まっていない、と彼は簡単に答えた。
『ではうちに入ってくれませんか?』
朱明は思わず問い返していた。同じ言葉が繰り返される。そしてそれからやっと、相手の名前とバンドの名を聞いた。知らなかった。聞いたこともなかった。
だが知らないでは済まされなくなっていた。
『前に…… のサポートしていたでしょう?』
「ええ」
『それ聴いて、その音聴いて、これしかないと思ったんですが……』
歯切れの悪い言い方だ、と彼は思った。
「それで?」
意地悪だ、と自分でも思う。だが素直にはいはいと聞く類の話でもないのも事実である。
『現在居るドラマーがもうじき抜けるんです。その後任になっていただきたくて』
朱明はその言葉を聞きながら、妙に煙草が喫いたくなった。
そしてどうしようか、と思った。
そしてどうしようかと思った自分に気付いた。
驚いた。
自分自身で、知らずに嘘をついていることが時おりある。
そしてそれに気付かずにそのまま進むと、取り返しのつかないことになりかねない。
どうしようか、と考えた。
「でも俺、あんた達のこと、何も知らないんですがね…… 雇われなら何処でも行きますがね……」
『じゃとりあえずウチの演奏、見て下さい』
間髪入れず、そんな答が返ってきた。
『速達で、しあさってのライヴのチケット、送ります。新幹線のチケットも送ります。来て、見て下さい』
藍地と名乗ったその相手は、穏和なようで、案外強引だった。