「繁栄祈念の舞、でしたか。その舞を今ここで、見せていただくことは可能でしょうか?」
打ち解けたと思った途端、プラナが厄介な要望を口にした。わずかに、ケーリィンはたじろぐ。
今もディングレイや、時折ロールドも観客に加えて、舞の練習は続けている。
また楽団の音楽に合わせて踊る機会も、増えていた。収穫祭でのお披露目まで時間的余裕もないので、その密度は日々うなぎ登りだ。
おかげで何度か足元不如意になることはあれど、以前のようにダイナミック転倒をすることはなくなった。
だが今着ているのは、普段よりも腰回りの締め付けが窮屈で、煌びやか故に動きづらいドレス。履いている靴も、平素は履かない踵の高いものだった。
ディングレイとの初対面時の惨劇を繰り返さない……と言い切れる自信がない、とケーリィンは顔を引きつらせる。
彼女の人となりを熟知している護剣士と竜神が、助け船を出した。
「市長。繁栄祈念の舞は長く、振り付けも複雑ですので、この場での披露は困難かと存じます」
記者もいる手前か、ディングレイが丁寧な口調で、しかしきっぱり不可を言い渡す。
「代わりに、開花の舞はどうかな? それなら僕も演奏できるし、踊りも短いよ」
いつの間にか横笛を取り出したリズーリが、初歩の舞を推薦。
横笛の出所が気になるが、ケーリィンにとっては涙が出る程嬉しい援護だ。
プラナは炉棚の上の花瓶と、そこに活けられている花々へ視線を移した。そして再度、ケーリィンへ向き直る。
「そうですね。では恐れ入りますが、開花の舞というものをお願いしてもよろしいですか?」
「はい、もちろんです」
二人にここまで助けてもらったのだ。ケーリィンは背筋を伸ばし、市長の希望を受け止める。
少々照れくさかったものの、万が一の転倒と比べれば……と恥の重さを天秤に掛け、市長に断りを入れて靴を脱いだ。
絹のストッキング越しに、柔らかな絨毯を感じる。毛足が長くなくて、良かった。
ケーリィンは軽く背伸びをした後、ディングレイを見上げる。いつもと変わらぬ、優しい眼差しがあった。
彼がいてくれるなら大丈夫だと、心が奮起する。
次いで視線を横にずらせば、リズーリも朗らかにうなずき、横笛を口元へ添える。
軽やかな曲調に合わせ、手足も滑らかに動いた。片足立ちになり、くるりとその場で一回転すれば、スカートが花びらのように広がる。
滞りなく舞は続き、やがてケーリィンの両手に光が灯る。頭上で腕を交差させると同時に、光が一斉に四散する。
プラナも記者たちも、全員の視線が光を追い、ガラスの花瓶に活けられた花たちへ辿り着く。
蕾に光が宿ると、瞬く間に花開いた。
すでに開花している花や葉にも光は宿り、花弁や葉に瑞々しさが蘇る。
花たちは皆、手折られる前の活き活きとした姿を誇示した。
記者たちはこぞって前へ乗り出し、花々と、そしてケーリィンを激写する。
「まるで……先々代の舞姫様のようね」
カメラの群れに固まっていたケーリィンの意識を、プラナの呟きが呼び戻す。彼女は何故か、瞳を潤ませていた。
「リィン、お疲れさん」
ディングレイもそう言って、彼女の前に跪く。そしてケーリィンの足に手を添え、靴を履かせようとした。
ケーリィンは慌てて、彼の広い肩を押しとどめる。
「レッ、レイさんっ……自分で履けますっ」
「なんだよ。遠慮すんな」
「遠慮なんてしてませんっ」
小声で抗議するも、
「護剣士と円満な関係だって、見せつけられるだろ?」
「見せつけなくてもいいっ」
いたずらっぽい笑顔で言われれば、ケーリィンも反論を押し切れなかった。
これが、惚れた弱みというものであろうか。
ケーリィンは赤い顔を両手で覆い、されるがままに足を差し出す。
ただ、その状況下でもカメラが動き続けていたので、この場で蒸発したい衝動に駆られる。
俯き、蒸発または爆発を必死に望むケーリィンを労わるように、リズーリがニコニコ笑う。
「先々代の舞姫ちゃんも、護剣士くんたちと仲良しだったよ。良い舞姫の証拠だと思えばいいのさ」
「はぁ……その、先々代さんは、どのような方だったんでしょうか?」
靴を履くや否や、猫のような素早さでソファに座り直す。
クスクスと笑って彼女の様子を伺っていたプラナは、少し遠い目になる。
「立派な方でしたよ。ええ、愛情深くて、皆に愛されて。私の憧れの女性でもありました」
その言葉に、彼女の瞳が潤んだ理由を察する。
舞姫と住民という間柄以上の絆を、きっと先々代は築き上げたのだ。
「あの時は良かったよねぇ、収穫祭も毎年大盛り上がりでさ。成金さんもよくやって来て、街に大金落としてってくれてさー」
うんうん、と同意するリズーリの懐古は、多分に即物的であった。神なのに、それでいいのだろうか。
収穫祭、という言葉にプラナが反応する。
「そうそう。収穫祭の時も、舞姫様の踊りの後に皆で踊っていましたね」
「皆さんで、ですか?」
楽団からも、ディングレイたちからもそんな話題は出てこなかった。
首を傾げるケーリィンに、プラナが説明する。
「ええ。男女でペアになって踊るので、若い子は皆楽しみにしていましたよ」
「社交ダンスのようなものでしょうか?」
「田舎ですから、そこまでかしこまったものじゃないですよ。ステップも簡単ですし──せっかくですから、お教えしましょうか?」
にっこり笑うプラナに、リズーリが補足。
「プラナちゃんは元教師だから、教え上手だよ。聞いて損はしないと思うよ」
ケーリィンがちろりとディングレイを見ると、眉を持ち上げて機嫌の良さそうな表情だ。次いでこっそり記者団も伺えば、彼らもカメラを構え、興味津々である。
「よろしくお願いいたします」
ならば、と素直に頭を下げれば
「かしこまりました。それでは――まずはケーリィン様、お立ちになってください。はい、ジルグリットさんが彼女をエスコートして、そこで向かい合って立って」
教師の顔で手を打ち鳴らすプラナにつられ、有無を言わさず立たされる。ディングレイも一瞬面食らったようだが、素直にケーリィンの手を取る。
「本当は男女四組のグループを作って、途中でペアを交代しながら踊るんですけどね。では、まずはパートナーと手を組みましょう」
「は、はいっ」
プラナとリズーリのペアを真似て、ディングレイの右手に自分の手を絡める。彼の左手は、ケーリィンの背中に回った。大きくて温かい。
ただ、プラナのきびきびとした指導のおかげで、気恥ずかしさを覚える暇はなかった。あるのは「必死」の二文字のみだ。
「ではその場で時計回りに回って……俯かないで、相手をしっかり見て、足取りは軽く。はい、ここで男性が左手を離します。右手をつないだまま、女性だけがターン」
「ステップを忘れないでね。こう、跳ねるようにね」
リズーリも楽しげに踊りながら、二人にアドバイスを送る。
「あ? こうか?」
「そうそう、上手だね。でもディングレイ君は、顔が怖いね。これじゃあ減点だ」
「うるせぇ!」
「レイさん、市長さんの前ですよ」
今では見慣れた口喧嘩に、ケーリィンも窘めつつ、控えめに笑う。
ややぎこちなかったが、ケーリィンとディングレイも跳ねるように、くるくる回りながら踊れた。
社交ダンスではあるが、振り付けは素朴で覚えやすい。
途中でペアを交代し、リズーリとも踊る。
やがて興に乗ったプラナが、自分の秘書や記者たちも呼び込み、応接室は即興のダンスホールとなった。
対談はどこへ行った、という疑問はあった。
しかし世間知らずの舞姫相手に、市長も政治や経済の話題を振る訳にもいかないだろう。
結果として盛り上がったのだから、良しとしよう。