ケーリィン一行は市庁舎の一階にある、豪奢な応接室へ通された。
彼女はてっきり市長の執務室や、小さな会議室での面談だと思い込んでいた。
その予想というか懇願を裏切っての広々とした応接室には、すでにダース単位の記者が待ち構えており、ケーリィンは思わずたじろいだ。
つい、涙腺も緩みかける。
怯える彼女を、ディングレイが誰よりも早く察知した。
頭を撫でようと腕を伸ばしかけるも、リボンが編み込まれたそこには触れず、代わりにケーリィンの背中を優しく叩く。
そして耳元で、小さく励ました。
「こいつらは単なる野次馬だ。あんたはいつも通りでいい」
「いつも、通り?」
「そう。緊張するなら、無理に抑えんな。ドレスに足引っ掛けようが何しようが、俺らがフォローする」
彼女を挟んで反対側に立つリズーリも、にこりと同意。
「きっと記者の皆が撮りたがっているのは、『先代ちゃんみたいな、偉そうな舞姫』だからね。変に気負わず、あがり症だけどお人好しのケーリィンちゃんのままで大丈夫だから」
「あ、ありがと、ございます……?」
良いのかそれで、という疑問がぬぐい切れず、つい語尾が疑問形になった。
羞恥で赤いままの困惑顔を浮かべていると、市庁舎職員から奥のソファへの着席を促された。
市長はまだ現れていないが、先に座ってお待ちくださいということらしい。
ディングレイが彼女の手を取り、一人掛けソファへ誘導する。恭しい動作に、ケーリィンはまた照れた。
が、途中で一度立ち止まり、自分たちを凝視する記者団へ向き直ってお辞儀をした。
そしてケーリィンはややぎこちなく、ソファへ着座。
かすかなざわめきが、記者団の中からこぼれ出る。
それもそのはず。
彼女の人品骨柄を見極めてやろう、それを思わせぶりな記事に仕立てようと、彼らは鵜の目鷹の目になっていた。
が、舞姫当人の可愛らしくも自発的な挨拶で、たまらず毒気を抜かれたのだ。
先代では考えられない所業――いや、謙虚さであった。
一方のケーリィンはどよめきの理由が掴めず、何か粗相をしでかしたのか、とたじろぐ。
次いでソファへの座り方が悪いのか、と見当違いな推測をした。
市庁舎のそれは、先代舞姫の置き土産よりも高級品なのだろう。全身が沈み込む程、柔らかな座り心地であった。
が、贅沢に慣れぬケーリィンにとっては、かなり落ち着かない。このままでは上半身が、ソファの中へ埋没しかねない。
足だけの状態で市長と対談するなんて、悪夢を通り越して狂気の沙汰である。顔が見えないので、案外緊張しない可能性もあるけれど――いや、どうせなら顔も覚えてもらいたい。
ケーリィンは慌てて浅く座り直し、失礼にならぬよう背筋を伸ばす。
まごつく彼女の様子で、考えていることが薄っすら読めたらしい。
ディングレイとリズーリが両側に立ったまま、笑いを噛み殺す。いや、リズーリはさほど遠慮もせず、呑気に笑っていた。
ケーリィンも二人へ、少しばつが悪そうに照れ笑いを返す。
舞姫を中心に穏やかな空気が戻って来たところで、応接室の扉が開いた。
真っ白な髪を短く切りそろえ、れいりな雰囲気をまとったプラナ女史こそが、シャフティ市の市長である。
「お越し下さってありがとうございます、舞姫様」
声も表情と変わらぬ、理知的なものだ。
ケーリィンもさっと立ち上がり、その場で出来るだけ滑らかに礼を取る。
「こちらこそ、こ、このような機会を設けていただき、
少しどもり、ついでに所々で舌もまごついたが、練習のおかげでつらつらと言葉が出た。ケーリィンは心の中で、安堵の息を吐く。
が、姿勢を正してみると、プラナの表情は固いままだった。気の小さい彼女は、安堵など吹き飛び、冷や汗を背中ににじませる。
――どもったのが駄目だったのか。それとも、立ち上がるのが遅すぎたのか。
いやいや、先に座っていたのがやっぱり無礼だったのか――
グルグル後ろ向きの思考に襲われるも、それに歯止めを掛けたのは、リズーリの朗らかな声だった。
「まぁまぁ、プラナちゃん。そんな緊張しないでよ。ケーリィンちゃんは、急に噛みついたりしないから。いい子だよ?」
「竜神様にとっては小娘でしょうが、そろそろ「ちゃん」付けは止めていただきたいのですが」
困惑気味の声を出したプラナは、しかし表情がやや丸くなった。
「すみません、ケーリィン様。なにせ市長となって日も浅く、貴女のような尊い方との対面には不慣れなもので」
つまりはリズーリの指摘通り、彼女も緊張していたらしい。
なおも謝罪する彼女を、ケーリィンは焦りつつなだめた。
「い、いえ! わたしもまだまだ未熟な、舞姫です。足りない部分もたくさんある身ですので、『尊い』には程遠くて……」
語尾が情けなく弱々しいものになったが、視線のかち合ったプラナは、柔和に笑ってくれた。
リズーリが和ませてくれたおかげで、その後の対談はぎこちなさも残ったものの、想像よりずっと滑らかに進んだ。
「ケーリィン様は、この街をどのように思われておりますか?」
プラナの質問に、ケーリィンは笑顔で返す。
「素敵な街です。皆さんに優しくしていただいて、本当に幸せです。それに、名産品のぶどうも美味しくて、大好きになりました」
言葉の通り、ケーリィンはシャフティ市と住民を愛しく思っている。ぶどうも、それを使ったジュースも大好きだ。
素直な言葉は、無理やり頭に覚え込ませた挨拶の言葉よりも、ずっと自然に紡がれた。
「そう言っていただけて、市長として嬉しく思います。ですが、先代と市民との間に残る
市長がそう言うと、今まで断続的だったカメラを切る音が、絶え間なく大きなものになった。
メモを握りしめる記者たちも、一言も聞き逃すまい、と二人を凝視する。
記者たちが望んでいるであろう問いを、プラナは何故あえて口にしたのか。
駆け引きとは無縁の環境にいる、ケーリィンにその意図は読めない。
だが、ディングレイが顔を歪めるのを視界の隅に捉えたので、短気な彼が本気で怒る前に、無い知恵を絞って言葉を紡ぐ。
「せ……先代の行いを聞き、わたしも、恨まれて当然だと考えています。ですので、先代によって失われたものを、出来る限り取り戻したい、と思っています」
あら、とプラナは目を瞬いた。
「謝罪はなさらないのですね?」
「わたしが謝るのは、きっと、お門違いだと思うんです。謝られた方も、かえってご不快な思いをするかと……」
少々自信に欠けた声音になったが、そう伝える。
彼女の考えの根底にあるのは、レーニオとの関係だった。
当初は先代への不満や不信感をケーリィンにぶつけていたレーニオだが、彼女に謝罪を求めることはしなかった。
また、怪我を治癒して以来、先代とケーリィンをあっさり切り離して考えてくれるようになった。
当初はレーニオ同様の姿勢を崩さなかった他の住民も、ケーリィンが挨拶回りを繰り返し、先代の記憶に彼女を上塗りしていくことで、態度は少しずつ軟化している。
「きっと謝罪よりも、先代とわたしは別人だという証を立てることが、大切なんだと思うんです」
薄弱な根拠による推測だったが、プラナは微笑む。考えの読めない笑みだ。
「一見すると深窓のご令嬢のような佇まいでいらっしゃるのに、とても現実的な考え方をお持ちなんですね」
「あ……申し訳ありません。生意気なことを申して……」
「いいえ、反対です。貴女のような方が、私たちのシャフティ市を庇護してくださる事実を、嬉しく思っております」
プラナの笑みが濃くなった。その顔には、裏など見えなかった。
市を束ねる彼女に、歓迎してもらえた。挨拶を間違えなかった時以上の安堵感が、ケーリィンの小さな体を包んだ。
彼女の傍らに立つディングレイも、しかめっ面を緩めていた。
微笑み合い談笑する市長と舞姫の姿を、記者たちは熱心に撮り続けた。