ケーリィンとプラナ市長の面談から翌日。各新聞社の夕刊を飾ったのは、開花の舞を踊るケーリィンと、皆で「なんちゃって社交ダンス」に興じている写真だった。
ディングレイを跪かせていた、女帝もどきの写真が載らなくて本当に良かった、とケーリィンは心底安堵する。 あの写真を聖域関係者に見られれば、今度こそ間違いなく、羞恥心で蒸発してしまうだろう。
「お、よく撮れてるな」
ケーリィンの密かな苦悩などどこ吹く風で、横から新聞を覗き込んだディングレイは呑気にそう言う。
「ほんと、まともな写真が使われてホッとしましたよね」
つい、言葉にトゲが生えてしまう。意外そうに、ディングレイは眉を片方持ち上げた。
「なんだ、機嫌悪いのか? 腹減ったか?」
「そうじゃないです」
どうして不機嫌=空腹になるんだ、と更にいらだった。
あんな恥ずかしいことをしたのに、平然としているのも忌々しい。
その勢いのまま、叩き棒で分厚い牛肉を殴打する。
「やっぱ腹減ってんじゃねぇか。リィン、ほら」
「ちが――んんっ!」
ニヤリとしたディングレイは、へらでかき混ぜ途中のマッシュポテトを指で掬い取り、抗弁しようとしたケーリィンの口へ突っ込む。
耳と言わず鎖骨まで赤くなったケーリィンだったが、滑らかな舌触りのマッシュポテトはとても美味しかった。
「……レイさんなんて、きらい」
茹だった頭では文句も浮かばず、結局口から出たのは子どものような悪口だった。
彼女は唇も尖らせているので、お手本の如き拗ねた子供っぷりである。
が、そんな悪口がディングレイに通用するはずもなく。
「嘘つけ。で、旨かったか?」
「……うん」
にんまり笑われてついでに頭も撫でられ、結局丸め込まれた。
悔しくて再度、肉を連打していると、パンと調味料の買い出しに出ていたロールドが戻る。
「おやおや。ケーリィンちゃん、あんまりお肉を叩きすぎるとペラペラになってしまうよ」
「あ、ごめんなさい!」
ケーリィンは慌てて肉叩き棒を手放す。その様子に、ロールドは大口を開けて笑った。
「構わん、構わん。どうせレイ君に、ちょっかいを出されたんじゃろう?」
「えっと……」
こちらのおじい様は、千里眼をお持ちなのだろうか。ケーリィンは答えに窮する。
うろたえる彼女の態度は雄弁で、ロールドは呆れたようにディングレイをねめつける。
「お前さんも、ようよう嫉妬深いのう」
「そんなんじゃねぇよ」
舌打ち交じりのディングレイが、そう吐き捨てた。
エイルから「死神のよう」と評される彼の仏頂面だが、もちろんロールドには効かない。
「ケーリィンちゃんや。コイツはの、やきもきしておるんじゃよ」
「やきもき、ですか?」
「てめっ、何言っ――」
先ほどのケーリィンよろしく、がなろうと大口を開けたディングレイ目がけて、長いバゲットが突っ込まれた。容赦なく突き入れられたので、さぞかし痛かろう。
おまけにマッシュポテトと違い、固形物だ。
彼がむせている間に、ロールドは続ける。
「ケーリィンちゃんが踊っている時に、新聞記者共が鼻の下を伸ばして写真を、それもきわどい位置から撮っていたらしくてな」
中には床に突っ伏し、スカートの中を撮ろうとした連中もいたという。
さすがにそれは、市庁舎職員が制止したらしいが。
薄気味悪さで、ケーリィンは青ざめる。思わず、自分の体を抱きしめた。
「そんなのわたし、知らなかったです……」
「リィンは気付いてなかったんだ、言う必要ねぇだろ」
喉を抑えつつ、空咳混じりのディングレイが割り込む。
彼の口にねじ込まれたバゲットは、三分の二程の長さになっていた。この短時間で噛んで飲み込んだのか、とケーリィンは場違いに驚愕してしまった。
己の顎を撫でたロールドは、いつになく冷ややかな目を彼へ向けた。
「しかしお前さん。不埒な記者を牽制するように、わざとらしーくケーリィンちゃんのお靴まで履かせたらしいじゃないか。足をなでなでして、いやらしいのぅ」
「撫でてねぇ! どこ情報だよ!」
褐色の肌でも隠し切れないぐらい、ディングレイは赤くなった。
冷静さを遠くへ忘れて来た彼の姿に、ケーリィンはかえって落ち着きを取り戻し、情報源を模索する。
おそらく、いや絶対にリズーリであろう。あることないことも付加している辺り。
当事者のケーリィンとしては、彼の意味不明なあの行動が記者たちへの牽制だったならば、すとんと納得できた。
手ずから靴を履かせることで、彼らに無言の宣告をしていたわけだ。
「当代の舞姫と護剣士の結びつきは強固だ。彼女に恥をかかせるような、写真を使おうなどと思うな」
と。
自分はずっとパンチラを拝んでいたくせに、と思わなくもないが。
焦りに焦る、なんとも珍しいディングレイが面白いのか、ロールドの口はますます滑らかに動いた。
「おまけに新聞社にも電話して、二重に釘を刺してのぅ……心配性というか、独占欲が強いというか、嫉妬の塊というか、幼稚というか……いやはや」
なおも続く揶揄は、残りのバゲットで食い止められた。
「あぐぁ!」
「おじいさーん!」
護剣士の腕力でねじこまれたのだ。そりゃ痛かろう。
ケーリィンも思わず悲鳴を上げ、パンを吐き出して咳き込む彼の背中をさすった。
舌打ちを一つして、ディングレイは上着と財布を手に取る。
「パン、買いなおしてくる」
むっつりそう言い、大股で食堂を出る。その背中を、小走りのケーリィンが追った。
まだロールドはゼーゼー言っていたが、顎も外れていないようなので、恐らく死にはしない。この際後回しである。
「あの、レイさん!」
ケーリィンはどうにか玄関前の広間で追いつき、彼の袖口を掴む。
「……なんだよ」
振り返ったディングレイは先ほどのケーリィンのように、ムッスリと拗ねていた。「可愛いなぁ」と、不意にケーリィンの母性本能めいたものが疼く。
彼への想いで頬を紅潮させ、ケーリィンは大きな手を取った。絡めた指先に、少しだけ力を込める。
「あのね、写真のこと。ありがとうございます」
「どう、いたしまして」
への字口になるが、ディングレイの顔は険のない表情に変わる。
ほっと笑った彼女の鼻を、ディングレイは空いている方の手で優しくつまんだ。
「ぴゃっ」
「やっぱ変な鳴き声だな」
そう言って人の悪い笑みを浮かべると、繋がっていた手を名残惜しそうに解いた。最後にケーリィンの手の甲を、指でくすぐって。
その感触に、ついケーリィンは笑った。微笑む彼女を見下ろし、ディングレイも口角を持ち上げる。
「じゃ、行って来る」
「はい、行ってらっしゃい」
ケーリィンは手を振り、彼を見送った。
鼻先や手の甲に残る感触によって顔が緩んでしまうが、料理はまだまだ途中だ。
今晩の食事には、舞曲を演奏してくれる楽団員も招待しているのだ。腕によりをかけなければ。
ケーリィンは未だにむせていたロールドに水を飲ませ、改めて調理を再開する。