ディングレイはケーリィンに訊きたいことが、もう一つあった。いや、こちらの方が本題か。
「リィン。あんたの同期が今、ノワービス市にいるんだったよな?」
「あ、はい。そうです」
彼女の首肯を確認して立ち上がり、壁に埋まった追想球の一つに触れる。
こちらが半裸でも、悲しいかな舞姫様は無反応なので、汗だくシャツはそのままだ。
触れた追想球はパッと光った途端、中空に文字の羅列を浮かび上がらせた。
ここ一ヶ月ほどの、舞姫に関する事件の一覧だ。
「最近、ノワービス市で事件が相次いでる」
ディングレイは壁に背を預け、
「元々大都市だ。揉め事が少ないわけじゃねぇ。にしても最近は多すぎる――その同期から、何か聞いてるか?」
「ううん……」
ケーリィンから返って来たのは、力ない否定の声だった。想定内の反応ではあるが。
なにせこちらへ赴任して一ヶ月近く経つが、その間にケーリィンの口から、同日に巣立った同胞の名が出たことなどなかったのだ。
「元々、ヴァイノラさん――ノワービス市に赴任した子とは、あまり仲が良くなかったので、何も……ごめんなさい」
どこか言い淀んだ口ぶりから、ヴァイノラという人物が、ケーリィンをいじめていた連中の仲間あるいは主犯か、と考える。瞬間、ディングレイは憤りを覚えた。
しかし彼がいくら詮索したところで、彼女の過去が変わるわけでもない。
追想球だって、映し出された過去には介入できるが、それは過去の模倣品に過ぎない。
真作の過去には、誰も手出し出来ないのだ。
ディングレイは再度追想球を操作し、事件リストをかき消した。
「変なこと訊いて悪ぃ。まぁ舞姫が交代すりゃ大なり小なり、いざこざは起きる。どの街でも、就任後のトラブルは付きものだからな」
それにしても多すぎるが、という感想は飲み込み、話題を打ち切った。
ケーリィンの友人の赴任地ならば、と案じていたのだが。彼女が関わり合いを求めないのなら、ディングレイもそれ以上何も言わない。
そんな態度で安堵したように、ケーリィンも小さく微笑んだ。
そこで、ディングレイはようやく気付く。彼女が見慣れぬ、華やかなドレス姿であることに。
「その服、どうしたんだ?」
声に出すと、途端にケーリィンの顔色が明るくなった。
「さっき、エイルさんが届けてくれたドレスです。嬉しくて、試着しちゃいました」
(エイルが昼間、市長との面談用に持って来たあれか)
と記憶を
その場で姿勢を正し、ケーリィンは裾をついと摘まむ。次いで恐々と、ディングレイを見上げた。
「あの……似合って、ますか? 変じゃないですか?」
「ん? 似合ってるし、可愛いよ」
女性の服の良し悪しはあまり分からないが、素直な感想を伝えた。
スカートに真珠を散りばめたローズピンクのドレスは、色白の彼女によく似合っている、と素人目にも思えたのだ。
腰に巻かれたリボンがデカ過ぎる気もしたが、純真無垢の見本図のようなケーリィンが着ていると、違和感を覚えないのだから不思議なものだ。
自己評価が底割れしている上、未だに褒められ慣れていないケーリィンは、たちまち耳まで赤くなった。
いつもならそのまま、居たたまれないとばかりに俯いたり、視線を左右に泳がせるのだが、何故か今日は違った。
真っ赤な顔のまま、思わずディングレイがのけぞってしまう程の真剣な顔で、距離を詰めて来る。
「あの、レイさん! ずっと……ずっと訊きたかったことが、あるんです!」
「は、はぁ」
ディングレイは気後れして、間抜けな相槌しか出なかった。
「わっ……わたしとレイさんって、何ですかっ?」
悲鳴一歩手前の声が紡いだ問いかけに、彼の脳内はしばし真っ白になった。何だと問われると――たしかに何なのか。
「舞姫と、護剣士だろ?」
よって一番妥当なものを答えた。もしくは中央府に雇用されている同僚、いや、対外的には上司と部下辺りが適当か。
しかしやはり、ケーリィンの欲しかった答えとは違ったらしい。彼女の金の瞳が、困ったように左右へ泳ぐ。
「いえ、そうじゃなくて……その、ア、アンシア先生が仰ってた……自由、恋愛の……」
最後は、蚊の鳴くようなか細い声だった。
しばし無言のまま、ディングレイは頭をかく。汗だくになったため、髪もべたついていた。
「……実は俺、まだ八歳なんだ」
「はい?」
今度はケーリィンが、呆けた顔を浮かべる番だった。その顔に、ディングレイはつい噴き出す。
「ホムンクルスって知ってるか?」
笑いを噛み殺しつつ、尋ねる。
「へ? あ、はい……たしか、人の体液を基に魔術によって生み出される、人造生命体の総称ですよね」
教科書を読むように、ケーリィンは模範的な回答をした。
「ああ。俺もその一人なんだ。護剣士になるべく、ヒヒイロカネと相性の良い、なるべく頑丈な人間になるよう造られた。それが八年前」
はちねん、と口中で呟き、ケーリィンは眉を寄せた。
「……でも、レイさんはどう見ても大人です」
こんな立派な八歳児がいてたまるか、と言いたげである。ディングレイは、露骨な疑惑の視線にもう一度笑う。
「赤ん坊から育てたら、時間も金も掛かるだろ? だから、十八歳頃の状態で造られたんだ。もちろん子供時代もねぇし、あんた以上に恋愛や交友経験がない」
そのことを恨めしく思っていない、と言えば嘘になる。
街中で遊んでいる子供を見れば、自分にもあんな時代があれば良かったのに、と羨む気持ちが時折芽生えるのだ。
だがそんな気持ちも、ケーリィンの前ではおくびにも出さない。自己満足であっても、彼女にとって頼れる護剣士のままでいたいのだ。
ただ軽く両手を広げ、そのまま肩をすくめた。
「で、そういう経験もねぇから、情緒も乏しい」
「そんなことないです。レイさん、結構分かりやすいです」
醜い体にも異様な生い立ちにも臆さず、自分を
分かりやすい、というのが誉め言葉かは、ともかく。
「そう言ってくれるのは、たぶんリィンだけだ」
「そう、ですか?」
「ああ。あんたといる時が、一番安心するんだ」
だからつい、彼女に触れてしまうし、それを許容してくれる彼女に甘えてしまう。
頼られたいのに、甘えてしまう。この相反する気持ちは、何と形容すべきなのか。
「……これって、恋愛感情でいいのか?」
ディングレイは考える前に、当人に尋ねてみた。
情緒もへったくれもないことを訊いたものだ、と彼自身もそう思う。
無論、ケーリィンもむくれた。赤い顔で。
「わっ、わたしに訊かないでください! ずるい!」
案の定不機嫌になるも、ケーリィンは今度は躊躇なく彼の手を取った。
白く小さな両手が、何かと傷だらけの手を優しく握りしめる。
「あのね。わたしもね、レイさんといる時が一番幸せで……泣きたくなるぐらい、幸せなんです」
「そっか、良かった」
ディングレイもケーリィンも、育った環境は全く異なるが、お互い足りないものが多い。
だからまだ、二人の関係性に名前を付けなくてもいい、と思った。
重なる手から視線を上げると、ケーリィンと目が合った。ほんのり色づいた頬のまま、彼女ははにかむ。
ディングレイもつられて、口角を緩めた。
名前のない関係だが、それほど困るものでもない。お互い、相手が一番大切だと了解しているのだ。