どの神殿にも、地下室が設けられている。護剣士たちの専用施設だ。
田舎であるシャフティ市の神殿にも、もちろんそれはある。
神殿の広間の隅に、ひっそりと存在する扉が地下室への入り口だった。
地下室は聖域と同じ乳白色の魔石で造られており、だだっ広い演習室、その奥にシャワー室と処置室、ついでに念のための牢屋が設けられている。
そして演習室壁面には手のひら大の追想球と呼ばれる魔石が六つ、円を描くように埋め込まれていた。
追想球には、聖域が収集した舞姫に関する犯罪・事故情報が逐一送られて来る。
この魔石は名前の通り、受信した犯罪や事故を再現し、各地の護剣士に追体験させるのだ。自分たちの守る舞姫のため、どのような危険にも対処できるように。
演習場内は現在、商業都市ノワービス市内にある市立美術館へと変貌していた。
護剣士の義務として当然ディングレイにも魔術の基礎知識はあるし、実戦経験も豊富だ。
それでも本物のように触れられる、おまけに攻撃されれば痛みもある (肝心の護剣士が死なないよう、手加減はされているが)、追想球が映し出す過去の映像にはいつも感心するばかりだ。
感嘆しつつも、そこは職業軍人。
かすかな呼吸音すら漏らさずに敵へと肉薄し、武装集団の最後の一人を剣で貫く。
氷を纏った刃によって一瞬で心臓まで凍り付いた敵の幻影は、血も声も漏らせないまま息絶えた。
舞姫殺害を狙った武装集団の全滅と共に、
「いや多すぎるだろ! こっちは一人なんだが!」
ディングレイは地下室に一人でいるのを幸いに、大声で愚痴った。
汗だくなので訓練着の上も脱ぎ捨て、ごろりと床に寝そべった。石床の冷たさが、素肌に心地良い。
ノワービス市の護剣士は、常時十人体制で舞姫を護衛しているという。当然ながら武装集団側も、それを踏まえての頭数を揃えていた。
訓練も業務の一環とはいえ、三十対一では分が悪すぎる。おかげで追想とはいえ、美術館職員の過半数が殺されたが仕方がない。そこまで手が回るはずもない。
シャワーを浴びたい気持ちもあるが、このまま仮眠を取りたい欲望も捨て去りがたい。ディングレイがだらだらと横になったまま、そんなことを思案していると地下室の扉が開いた。
舞姫に関する事件やそれに付随する極秘事項も収められているここは、部外者立ち入り厳禁だ。
扉に施された術式を通過できるのは、護剣士本人と神殿管理人、そして神殿の主である当代舞姫だけである。
ジジイが夕飯の献立を訊きに来たのかと高を括っていたら、姿を見せたのはあどけない少女の方だった。ディングレイは慌てて飛び起きる。
汗で重たくなった服に顔をしかめつつ、それを再度被ろうとするも、ケーリィンの方が素早かった。
「やだっ……レイさん、大丈夫ですかっ?」
何故か真っ青な顔になり、ディングレイ目がけてすっ飛んでくる。
何が大丈夫なのか、と一瞬考えて「ああ」とディングレイは納得の声を漏らした。
彼の体にはあちこち、縫合跡があるのだ。
「魔術で強化改造した時の、手術痕だよ。ただの古傷だし、別に痛くも痒くもねぇよ」
「でも、血があちこちから……」
蜂蜜色の目を潤ませておそるおそる、といった様子で彼の腕に手を添わせる。くすぐったいが、不快感はなかった。
彼女の視線が追っているのは手術痕ではなく、全身に絡みつく赤い紋様だった。褐色の肌にまとわりつく紋様は、微かに明滅している。
「これは血じゃねぇよ。ヒヒイロカネっていう、金属生命体だ」
「ひひいろ……? きんぞく、生命体?」
ケーリィンは大きな目を更に丸くして、初耳の単語をたどたどしく繰り返した。
東方大陸に生息するヒヒイロカネは、寄生させると宿主の体力を微弱に吸い取り、代わりに多量の魔力を還元するという、非常に便利な生き物だった。
寄生させる際に激痛を伴う点と、定期的な再定着処置を要する点が玉に瑕だが。
先天的に魔力を持っている人間なんて、ごくわずかだ。
しかもその中から、運動能力に優れた者を探すとなると、あまりにも効率が悪すぎる。
故に護剣士たちはヒヒイロカネと共生することで、後天的な魔術師となるのだ。
なにせ腕に覚えのあるゴリラの方が、魔術師より圧倒的に多い。おまけに過酷な仕事への耐性も高い。
ほうほう、とディングレイの簡潔な説明に、ケーリィンは何度も頷く。そして再度、ヒヒイロカネが絡みつく腕や胴をじっと見た。
この子に照れはないのか、とディングレイの方が居心地の悪さを覚える。
それから、腹が
「――あ。これって、氷の術式ですよね」
無意味な模様ではないと看破したケーリィンは、目を輝かせてディングレイを見た。さすがは魔術の申し子、舞姫だ。
「ああ。こうしときゃ、詠唱や術式書く手間も省けるだろ」
「便利ですね」
快活に笑う彼女に見惚れたディングレイは一瞬躊躇するも
「……これ見て気味悪いとか、思わないのか?」
渇いた喉を動かして、どうにか尋ねる。
体のあちこちに縫い目があり、変な生き物まで寄生している。どう考えても不気味だ。
自分でも着替えや入浴の度に、「薄気味悪ぃな」と思わずにはいられない。
しかしケーリィンは
「え、どうして?」
そう問い返し、首を傾げるばかりだった。困惑顔には、「言っている意味が分からない」と書いてあった。
たまらず脱力して、ディングレイは笑った。
「そういう子だよな、あんたは」
「……馬鹿にしてます?」
「いいや、褒めてる」
「……ほんと?」
「本当だって」
頭をくしゃりと撫でて、眉をひそめた彼女を宥める。