シェリーが注射剤を投与してから、一週間が経った。
事前に調べていた通り、投与した数時間後、高熱がシェリーを冒した。それから五日、翡翠とモモカの看病が不可欠だった。その間も、二人と一匹は浮かれていた。この熱こそ薬剤が効いている証拠で、万が一平熱が続けば、病巣が残っている可能性も疑わなければいけなかったらしい。
実際、六日目の昨日、シェリーは未だかつてなかったほど気分が良かった。度々あった軽度の貧血は起きず、意識は冴え渡っていた。そして七日目、つまり今日、そろそろ基地内を清掃しようという意欲まで出てきた。
そのことを翡翠達に切り出したのは、彼女が朝食を運んできた時だ。先日まで料理もしたことがなかったというのが今では信じられないくらい、今朝の梅粥も見事だ。
「お掃除は分かった。でもシェリー、病み上がりなんだから、モモカちゃんと私でどうにかするよ。料理も上達したでしょ?ここは任せて」
はい、あーん。
おどけた翡翠の手を捕まえて、シェリーは彼女からスプーンを奪った。
床に臥して最初の三日は、本当に補助なしでは食事もまともに出来なかったし、食欲もなかった。だが、ここまで回復した今は、彼女のこうしたノリは照れる。
「いつまでも病人扱いしないで。翡翠、覚えてる?治ったらお礼、楽しみだと言ってたわよね?どこか行きたいとこはない?したいこととか」
「そう言えば……あのあと色々あったから全然考えてなかったよ。お掃除、しながら考えていい?」
「ただし、掃除は私も参加する。翡翠はお客さんなんだから」
空になった器にスプーンを戻して、手を合わせる。
少し身体がなまっているのは、眠りすぎたせいだろう。そろそろ動かなければだるさも増す気がするし、動きたくてうずうずしている。まずは着替えて洗い物をするために、シェリーは久し振りに寝台を降りた。
* * * * * * *
清掃は、昼過ぎにひと段落ついた。
シェリー達がしたのは主に整理整頓、物の配置の見直しで、床などはモモカが日頃から手入れしてくれていたようだ。
冷たいアイスコーヒーを淹れて、一つはガムシロップもたっぷり使って、シェリー達はインターネットをしながら小休憩を取った。
「海もいいし、湖もいいわね。今の時期、こういう場所に惹かれる。昔ならもっと選択肢もあったけれど……」
「さっき見た水族館や遊園地だね。シェリーは行ったことあるの?戦後世代の間では、都市伝説の扱いだよ。UFOやウーマみたいに、本当に実在していたのかって」
「実在したわ。どっちも行ったことはなくて、元気になれたら行こうって、お父さん達と話してた」
「…………」
水滴の伝うグラスを両手に包んで、翡翠が俯いた。
シェリーは悔いる。つい両親との思い出を振り返る癖がついていて、翡翠の方も感じやすいところがある。二人が揃うと、一日一回は湿っぽくなる。特に、病院跡地で探索していた頃から、彼女の様子がおかしい。時々、何か思いつめた顔を見せる彼女は、悩みでも抱えているのだろうか。
「そうだ、翡翠」
シェリーはキャビネットへ場所を移した。引き出しから、腕時計型の電子機器を拾い上げる。席に戻って、それを翡翠に差し出した。
「これは?」
「あなたのための、簡易バリア。サイドの小さなボタンを押せば、移動基地と同じくらい強度のバリアが翡翠を守る。持続時間は短いけれど、充電ケーブルは通信機と共用出来るように仕上げておいたわ」
「有り難う。え、うそ、いつ作ってたの?全然知らなかったー」
「カケルさんの家にいた頃からかな。来斗くん達が昼寝している時間とか、割りとゆったりしていたじゃない」
「あの時か!私も一緒に眠っちゃってたもんね。懐かしいな、元気かな……」
嬉々として簡易バリアを腕に装着した翡翠は、ひと目惚れしたアクセサリーを試着してでもいるみたいに輝いた目で、掲げた片手を見つめている。彼女のワンピースともよく馴染んでいて、作った当人のシェリーにまで、本当に洒落たもののように見えてくる。
本当は、病院跡地でショウ達と近い将来について話していた時が、渡すにはいいタイミングだった。移動基地が寝泊まりの場所でなくなれば、シェリーは翡翠を今ほど付きっきりで守れない。彼女の不安を、少しでもやわらげたいと思った。
「本当に有り難う。でもシェリーに逢ってから、そんなに怖い目に遭ってないよ。何だかんだでショウ達とも仲良くなれたし、銃もとびきり強くなって」
「だからって、今のままでは一人で出歩きにくいでしょう?」
「一人でなんて、そんな必要……」
翡翠の顔が曇っていった。
やはり、彼女は何か隠している。