第21話

 ゼファーにまたがった僕たちは、浜松市へ向けて西へ西へとエンジンを回す。


 浜松市まで、あと数キロに差し掛かる頃、僕はほんの少しゼファーの速度を緩める。


 それは、ガソリンのメーターが、限りなくゼロに近づきつつあったからだ。


 給油すればいいんだろうけれど、この数日間で僕の、スゥの所持金は底をつきかけていた。


 ガソリンだけじゃない、僕が家から持ってきた食パンや缶詰も、すっかり食べつくしていた。


 僕たち二人は、朝から水以外の一切を口にしていなかった。


 スゥが僕のお腹を叩く。


「一旦ゼファーを止めよう」


 その言葉に従い、僕はブレーキを握り、僕たちはゼファーから降りた。


「このメーターからすると、たぶんあと数十分走ればいいとこだと思う。もしものために、このガソリンはとっておいた方がいいと思う」


 僕は頷き、スゥの言葉に同意した。


「けど、どっちにしたって給油しなければ、これ以上ゼファーは走らせられないよね」


「しかたないっしょ、先立つものがないんだし。とにかく、浜松まではたどり着こう」


 スゥはヘルメットを脱ぐと、ストローハットをそれに変える。


 僕は肩口でTシャツに押し込んでいたタオルを取り、頭に巻く。


 僕たちは水を胃の中に流し込んで、数百キロの車体を押し始めた。


 その日もまた、容赦を知らない陽光が、Tシャツの上から出さえ僕の肌をいじめ抜く。


 流れ落ちる汗は、アスファルトの車道の上で瞬時に塩の塊となる。


 一時間近くゼファーを押すと、浜松市の看板がようやく見える。


 その看板を超した時、ようやく一息をつくことにした。


「ほら」


 ゼファーのスタンドを起こして停車した僕に、スゥはペットボトルの水と食塩を渡す。


「水ばかりじゃだめだよ。ちゃんと塩分採らなくちゃ。そもそもわんこくん、まだ体力回復しきってないんだからさ」


「ありがと」


 僕は舌を出してその上に何度も塩を振りかけて、すでにぬるま湯になったペットボトルの水で胃の中に流し込んだ。


 しばらくゼファーを押していくと、道路沿いに公園を見つけ、そこでまた休憩を取る。


 水道で冷たい水をかぶろうと思ったが、その水道水すらこの猛暑の中で満足な冷気を僕たちに与えてくれない。


「ちょっとまずいかな」


 日陰に腰を下ろし、スゥは額を抑えた。


「ウチ、軽い熱中症かも」


 僕も同様だ。


何度水をかぶっても、体のほてりが抜ける気がしない。


僕とスゥは何度も頭から水をかぶり、日陰をそよぐ風に体を任せた。


「ねえスゥ、たぶんこのままいても、体が衰弱するだけだよ。だから、多少無理をしても、また図書館か何かを探した方がいいと思う」


 スゥは同意し、僕たちは立ちくらみを覚えながらも市街に向けてゼファーを押していく。


 そして図書館の看板を見つけ、その指示通りにゼファーを押すと、ようやく念願の図書館を見つけた。


 僕たちはゼファーを止め、よろけるようにしてその中へ足を運んだ。


―――


 気が付けば、もう日暮れだった。


 あれから僕たちは冷水器の水で内部のほてりを沈め、筋肉のほてりをエアコンで癒した。


 するとそれまでの疲れがどっと僕たちの体を襲い、本を読むふりをしていた僕たち二人は気を失っていた。


 僕はファッション誌を手にとりながら目をつぶるスゥの肩を揺する。


「そろそろ夜になるよ」


 何度も何度も肩を揺すって、スゥはようやく目を覚ました。


※※※※※


 それから僕たちは二日間、浜松でモトアキさんの足取りを探して過ごしたけど、空腹と疲労で、全然はかどらなかった。


※※※※※


「今日はもう、ここまでにしよう」


 聞き込みを切り上げ、ゼファーを止めてある図書館まで戻ってきた。


 僕たちはゼファーの横に倒れこむように腰を下ろす。


 僕も、間違いなくスゥも、一番口にしたいことがあった。


“お腹空いた”


 僕たちの空腹は否応なくその現実味を持って僕たちに襲い掛かってきた。


 僕たちは何度か塩を舌の上に振っていたけれど、結局は何のごまかしにもならない。


「じり貧だぁ」


 お腹がすいた、を口にできないそのうっぷんを込めるような言葉を、スゥは漏らした。


 けど、その通りだ。


 これ以上この盛夏の下で塩分と水以外を口にしなかったら、僕たちはどちらともなく倒れてしまうだろう。


 だったらアルバイトでもするか、そんな現実味の無い発想は、僕にもスゥにもない。


 いま必要なのは、明日の食事を確保するお金なのだから。


 そのお金がないのだから、現状はスゥの言う通りの“じり貧”だ。


 もうこの旅もこれまでか、絶対に口にしたく無いその言葉が、僕の頭の中で駆け巡る。


「やるしかないか」


 そういうとスゥは、覚悟を決めたように立ち上がってリュクサックを肩にかけた。


 そして僕に手を差し出し、僕に応えるように促す。


「もうこれしか、方法ないし」


 差し出された手に応えた僕を、スゥは公園の多目的トイレに引っ張り込んだ。


 スゥは僕に体中の汗を拭かせると、精悍スプレーを吹き付け、スゥの着替え用の女性用のTシャツを僕に着させる。


 そして僕の顔に、わずかなメイクを施した。


「うん、似合うよ、わんこくん」


 最悪の気分の僕に、楽しそうに最悪の言葉を浴びせかけるスゥ。


「髪の毛は、うん、ショートカットのボーイッシュな女の子にも見えるしね」


 そういってスゥは、自分のかぶっていた麦わら帽子を僕にかぶせた。


「ねえスゥ、一体何でこんなこと――」


「――いったじゃん。もう、これしか方法がないって」


 そういってスゥは、またも僕の手を引いてトイレから連れ出した。


「まあ、わんこくんは黙ってウチの言うことに頷いてればいいよ」


 公園を出た僕たちは駅の、繁華街の方まで歩いていった。


―――


 駅前には、とても大きなビルが見える。


 そしてさすがの静岡の中心街、もう夜更けだというのに、眩しいほどのライトのもと、たくさんの人たちが行き来をする。


 スゥは駅前の道路の脇に無造作に腰を落ち着けると、僕の方を向いて頷き、同じ様に座るよう僕に促した。


 しばらくそこで無言で座っていると、僕は妙な違和感を覚える。


 その違和感の正体は、ちょっと表現し難いものだ。


 それは、行きかう人たちの視線から来ていた。


 その視線は、ほとんどすべてが背広を着たサラリーマン風の人たちのものだ。


 スゥに視線をやれば、まるで平気な顔で、目のあった男性たちに、あの無造作な微笑みを返している。


 まるで、そうなることを見越している、あるいは狙っていたかのように。


「ねえ、君たち」


 ついに一組のサラリーマン、大体四十代半ば過ぎ位の人たちが、スゥの微笑みに群がった。


「こんな夜中に、何してるの?」


「そんな、警察とか補導員みたいなこと言わないでよ。夏休みなのにさ」


「ははは、ごめんごめん」


 その、ははは、という笑いはまるで僕の肌にべたりと張り付いたようで、体に鳥肌が走る。


「でもさ、こんなところで二人の女の子が座っているなんて、危険だよ。補導員ならまだしも、この辺には質の悪い不良とかだっているからさ」


「んー、だったらむしろその不良に来てほしいくらいだし。ウチたち暇で暇でしょうがないから、暇つぶしくらいにはなるかもだし」


 その時のスゥは、まるで自分自身の姿に過剰反応、過剰適応しているようにも見えた。


「だったら、おじさんたちが遊んであげようか?」


「そうそう。おじさんたちも明日休みだし。せっかくだから、何か食べに行こうよ」


 そういうとスゥの体は飛び跳ね、二人のサラリーマンの腕に組みついた。


「その言葉、マジ待ってたし。うちら、めっちゃ腹減ってたんだよねー」