「
体調が少しずつ良くなり、イオネスが寝室の外を歩けるようになった頃。
手続きだけを済ませて正式な妻となったローズメイは、様子を見に来た夫イオネスに作業場を案内した。
「植物を背の高いものから低いものへと高低差をつけて、帯のように植えていこうかと考えています」
「いいね。俺は園芸に詳しくないけど」
「健康によい薬草や、野菜を育てるのもよいかもしれません」
土と肥料の香りを含んだ風に、イオネスの髪がさらさらと揺れる。
ぱちり、と瞬きをする睫毛が目元に奥ゆかしい影を落としていて、ローズメイは目を奪われた。
――この人、ほんとうに綺麗。
病み上がりという理由もあるのだろうか。
儚くて美しい、壊れ物の宝物みたいだ。
イオネスの背丈はローズメイより頭二つ分くらいは高くて、手のひらも大きい。
骨格も男性だ。
なのに、儚げだったり優しかったりする全体的な印象が、御伽噺の中から出てきたお姫様を見ているような気分にさせるのだ。
王子様とか貴公子、という言葉も似合うけど、どうしてかしら。
私が王子様になって守りたくなっちゃう……でも、あんまりじろじろと見つめたら失礼よね。
運ぶ予定の荷袋に視線を落とすと、イオネスはその視線を追いかけるようにして言った。
「俺も手伝おうかな」
「えっ?」
今なんて? お姫様?
この荷袋は、病み上がりの方が持つには重いと思うのですが?
それに、あまり匂わないとはいえ、中身が堆肥ですが……?
戸惑うローズメイに構わず、イオネスはさっさと荷袋を抱え上げた。
「あっ……イオネス姫様!? 病み上がりですのに」
あたふたと心配するローズメイに向けられたのは、余裕を感じさせる笑顔だった。
「ローズメイ。これくらい、大したことないよ」
にこにこしている。本当に平気そうだ。
「ところで、今……姫って言ったのかな?」
「えっ。えーと、いいえ? こほん、こほん。気のせいだと思います」
「うん……そう?」
(意外と力がおありなのね。そうよね、男性ですもの)
ローズメイは夫に対する認識を改めつつ、今後の展望を語った。
「ガーデンアーチを、あのあたりに設置するつもりなんです」
「いいね」
「こちらには枕木の小道、あちらには苔付きの飛び石の小道……と考えてみましたが、いかがでしょうか?」
「うん、いいんじゃないかな」
「木製のガーデンテーブルをこのあたりに置いて、三角屋根のバードハウスで鳥さんをおもてなしできたらと思うんです」
「うん……鳥さんは可愛いね」
イオネスはのんびりと相槌を打ってくれる。話しやすい。
なんでも「うんうん」「いいね」と聞いてくれる雰囲気だ。
あと、失言しても「聞き間違えです」と言ったら聞き間違えってことにしてくれる。
――やっぱり、イオネス様は優しくていい人……!
あと、いつ見てもお綺麗で。女装させてみたくなるわ。
ローズメイはイオネスへの好感度と女装させたい願望をどんどん上昇させていた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
一方。
――おも、い……。
イオネスは表面上の余裕の下で狼狽していた。
何気ない様子で妻が運んでいた荷袋が、ずっしりと重い。
――しかし、ローズメイさんはこの荷袋を平気そうに持っていなかったか。持っているところを見たぞ。
――もしや俺、妻より非力……?
この華奢で細腕の年下の妻が? 俺より腕力がある?
真っ白な透明感のある肌は、いかにも深窓の令嬢という雰囲気でティーカップより重いものを持ったことがなさそうなのに?
イオネスは心の中でショックを受けつつ、全力で強がった。
指の感触がだんだん無くなっていく。腕がぷるぷるする。足元が油断するとよろけてしまいそうだ。
しかし、ここは譲れない。
イオネスは、出会ってから今日までの時間で気づきつつあった。
――妻から感じるのだ。
「私の旦那様、か弱くて可愛い。守ってあげなきゃ」
という感情を、妻が自分に向けてくるのだ!
「イオネス様、汗が」
「うんうん、今日は暑いからね」
当主教育で鍛えられた表情筋を働かせ、笑顔でこたえる。耐えろ、俺。
荷置き場になんとか荷袋を置き、心の中で「ぼろを出さずに済んだ」と安堵していると、妻が手を伸ばしてくる。
いつも触れてみたい劣情に駆られつつ触れられずにいた、綺麗な手だ。
「イオネス様……指が真っ赤です」
「……!」
熱を持ってじんじんとする指先に、妻が控えめにおずおずと触れてくる。心配してくれている。
汚してはいけないような真っ白で細い妻の指が、すり、と――労わるように優しく、触れた。
「っ……!!」
甘く痺れるような感覚が指先から全身をひたしていく気がする。
「あの……大丈夫ですか?」
可愛らしい妻が、心配そうに顔を覗き込んでくる。
わあ、ローズメイさん。
その上目遣いはいけない、可愛くて困る!
心配してくれている妻を見ていると、悦んでいる自分がひどく汚れた生き物のように思えてくる。
「あ――ああ。うん。大丈夫だよ。ほら、暑いから」
頬が熱くなっているのが自分でもわかる。
心臓がばくばくと落ち着かない。このまま触れ合っていると、どうにかなってしまいそうだ。
危険だ。しかし、離れないでほしいと思ってしまう。
「イオネス様、メイドがハーブティーを淹れてくれますから、日陰のガーデンテーブルで涼みましょう」
妻は気遣わし気に言って、純白のハンカチを取り出して汗を拭ってくれる。
――俺の妻は、もしかして天使なのではあるまいか?
あと……俺はこんなに意識しているのに、もしや妻は俺のことを全く意識していないのではないか? 俺が貧弱で、男としての魅力が足りないからだろうか?
イオネスはこの日以降、妻に隠れてコソコソと身体を鍛えるようになったのだった。