アンカーサイン家の使用人団が、困惑気味に囁きを交わしている。
「若奥様がスコップをお持ちになられたぞ!?」
「土を掘っていらっしゃる……だと……」
「ま、魔法は使用なさらないのか……?」
奇妙な生き物を見るような眼で見られている。
中には、ローズメイと視線が合って「ひっ」と隠れる者までいた。怖がられている……。
――あのねえ、魔法よりもスコップの方が、楽なの。私、ちょっと落ちこぼれな魔女だし。
それに、あなたたちが魔法嫌いだから、遠慮もしているのよ。
「ご主人様が魔法を使ってみせたら逃げていきそうだね」
「使わない方がよさそうね」
真っ白な猫耳をぴょこっとさせて首をかしげるコットンに頷いて、ローズメイは笑顔で手を振ってみた。
「えぇと……、今日はお天気がよくて、ちょっと蒸していますね」
『私は怖い魔女ではありません』アピールをすると、使用人団の一部が騒ぎ出した。
メイドが真っ白なハンカチで汗を拭ってくれて、騎士たちが慌てて扇を両手に持って駆け付ける。
あれえ?
「おいっ、扇を持て! 魔女様が暑いと仰せではないか!」
「えっ、そんなつもりではありませんでしたよ!?」
決死の表情で扇を持って近づき、女神に仕えるかのように恭しく仰ぐ騎士。
数歩の距離で膝をつき、地面に身を投げうつ勢いで仰々しく頭を下げる騎士。
ドリンクをトレイに載せて差し出す執事もいる。
「失礼しました、気が利かず……仰がせていただきます! 我々は全力で魔女様にご奉仕いたしますので、なんなりとお申し付けくださいっ!」
「えっ、えっ、何事ですかっ? そ、そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよっ……?」
少し離れた場所では、そんな同僚に敵意を向ける者たちも。
「あいつら、魔女に媚びを売りやがって」
「善良な人間のふりをしているが、魔女の本性は知れたものではないぞ」
「そうだそうだ。え、これ言うの? ……で、でていけー?」
なんとなくわざとらしい。
最後の一人など、台本を読んでいるのでは?
ご奉仕騎士と、敵意を向けてくる騎士。
彼らは、なんとローズメイを挟んでギスギスと喧嘩をし始めた。
「聞こえているぞ、お前たち! 呪いを解いてくださった救世主であり次期当主夫人に対して、あまりに無礼であろう」
「なんだと、ちょっとイバラを消してもらっただけで絆されやがって! 家を乗っ取りにきた悪女ではないか」
「坊ちゃんは若奥様に敬意を持って接するようにと仰せなのだぞ。貴様のその発言は言いつけてやるからな、覚悟しろ」
うーん、大騒ぎ。
でも、おかげでこの家の人たちの気持ちが見えてくる。
ローズメイに感謝している人たちと、反発している人たちがいるらしい。
情報を咀嚼しつつ、ローズメイはみんなを落ち着かせようと呼びかけた。
「み、皆さま。喧嘩はおやめください。ところで、坊ちゃんってイオネス様のこと? イオネス様が、そんなありがたいことを仰ったの? 嬉しい……ねえ、あなたたちは、この家にずーっといらっしゃるの? 坊ちゃんという呼び方は、なんだかお小さいときから呼んでいそうで、微笑ましい感じがするわ。お小さいときは、どんな感じだったのかしら。イオネス様は、きっとすっごく可愛らしいお子さまだったのでしょうね」
使い魔のコットンは、そんな人間たちに呆れ気味だ。
「ご主人様、この家だいじょうぶ? みんな仲悪いよ? 旦那の幼少期を想像してにやけてる場合じゃなくない? にやけてるの、なんだか気持ち悪いし」
「大丈夫よコットン。……あと、私の想像するお小さいイオネス様は、ドレスが似合うかもしれないわ。どう思う?」
「どう思うって言われても困るよ」
あのミルクティー色の御髪に、真珠の髪飾りと可愛いお花を飾るの。
耳には、私の瞳の色と同じ色の宝石飾りをつけていただいて。
イオネス様は、きっと恥ずかしそうになさるわね。可愛らしい……。
お姉さんな私が、お小さいイオネス様に、ドレスを見せるの。
『イオネス様。さあ、可愛らしいドレスですよ。お着換えをしましょう』
小さいイオネス様は、ちょっと嫌そうになさるのだわ。
『は、恥ずかしいよ。ぼく、そういうのは……』
でもね、きっとイオネス様は、強い言葉を使って嫌がったりはしないのよね。
それで、ちょっと意地悪なお姉さんな私は、「ごめんなさい」と思いながら女装させちゃうの……。
「ご主人様の妄想が気持ち悪い」
「やだコットン。私の妄想、わかっちゃうの?」
「今、全部声に出てたよ」
想像上のイオネスに元気をもらいながら、ローズメイは土を掘った。
汗ばむ肌を風が撫でるのが、気持ちいい。
「ふう……」
のんびりと楽しく作業を続けていれば、少しずつ周囲の緊張は
「暑いですから、水分補給をしっかりしてくださ~い」
庭師を筆頭にして、騎士や使用人が腕をまくり、スコップを持ち――和気あいあいと作業が進む。
「大きい石やごみがあるとこれから植える根が傷ついたり、植物の病気の元になる可能性があります。取り除いてくださいね~」
庭師のアレンツォが台の上にのぼって指揮をしている。
「雑草も除去ですよ~」
「はーい」
青空の下で汗をぬぐう人々の顔は、晴れやかだ。
数日前までのこの家を取り巻く絶望した空気を知っている使用人や騎士たちは、みな顔を合わせてニコニコした。
「若奥様はどうだ」
「俺はいいと思う。坊ちゃんに報告してこい」
「お前、さっきのセリフ棒読みすぎたぞ」
騎士たちはコソコソとそんなことを言っている。
それを、白猫の使い魔コットンが教えてくれた。
「試されていたのかしら?」
「さあね」
これからずっと暮らすのだもの。
みなさんと仲良くなれたら、嬉しいな。
ローズメイは、そう思った。
掘ったり、相談したり、妄想したりしながら、時間がのんびりと過ぎていく。
思えば、これが嫁いできた初日なのだから、驚きだ。
使用人たちが驚く気持ちがわかる。
ローズメイは、自分でも「私、がんばってる」と自画自賛したい気分だった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
侯爵夫人イヴェールは窓から庭の景色を見下ろしていた。
嫁いできたばかりの魔女ローズメイを中心に庭で労働する使用人たちは、明るい表情をしている。
「……適度に休憩を取った方がいいのではなくて?」
イヴェールが思ったとき、ローズメイはみんなに声をかけて、休憩を取らせた。
彼女に頼まれて、メイドたちがドリンクや軽食を用意する。
貴族令嬢なのだから当然ではあるが、ローズメイが使用人に指示を出す姿は堂々としていて、早くも『若奥様』とか『女主人』とか呼ぶのにふさわしい風格みたいなものを感じさせていた。
「みなさま~っ! 休憩のお時間でございますぅ~!」
裾の長いクラシカルなメイドドレスに身を包んだメイドが、明るい声で「休憩でございますぅ! こちら、ドリンクでございますぅ!」「こちらは、サンドイッチでございますぅ!」と呼びかけている。
ここ最近、ずっと見られなかった溌剌とした笑顔だ。
メイドだけでなく、ドリンクやサンドイッチにありつく騎士や庭師も、体を動かして汗を流して疲労しているはずなのに、どんどん元気に陽気になっていく。
「よーし、休憩だ!」
「みんな、おつかれー!」
休憩する人々は、親しい者同士で集まり、わいわいと話している。
雰囲気がいい。楽しそうだ。
そんな人々の輪の中心には、嫁いできた黒髪の娘、ローズメイがいる……。
「あの娘は……何がしたくてスコップを持ったり使用人を集めたりしているの?」
侯爵夫人イヴェールは窓から庭の景色を見下ろし、眉を寄せた。
「こほっ、園芸……らしいです……」
息子であり次期侯爵のイオネスは、寝台に半身を起こした姿勢で薬湯を手にしている。
母であるイヴェールに返事する声には、昨日までにはない活力があった。
「邪悪な素振りは、今のところ見せてないみたいね」
イヴェールの声に、イオネスは頷いた。
「彼女は、良い方だと思います……こほっ、こほっ」
咳込む息子の背を撫でて、イヴェールは困った様子で眉を寄せた。
「挨拶をしただけで何がわかるというの。確かに呪いは解いてくれたし、今のところ表面上は善良な娘に思えるけれど。ちょっと見た目が可愛いからって、次期当主ともあろう男子が……ほいほいと女の色香に惑わされるのではありません」
息子というのは、母親にとって可愛いものだ。
そんな息子が取られるとなると、母親としては嫉妬心だって湧いてしまう。
まして、相手はこれまで「嫌い」「敵」と思っていたスカーロッドの魔女なのだ……。
――でも、あの魔女は呪いを祓ってくれた。
息子を助けてくれたみたい……。
「こほっ、惑わされているわけでは、ありません」
魔女への評価を少し上向きにしたタイミングで、息子イオネスが庇うではないか。
そうすると、母としては面白くない。
「どうだか。普通の人間の娘でも色香を武器に男を騙そうとする女は多いのよ。まして、あれは魔女でしょう……ああ、旦那様の行方もまだわからないのに、我が家に魔女が来てイオネスの貞操が狙われているなんて」
「母上、その仰りようは悪意を感じます……お気持ちはわからないでもありませんが、こほっ……」
イヴェールの声には、複雑に煮込まれた情があった。
当主不在の家に対しての重責。不安。
魔法使いという存在への抵抗感。恐れ、戸惑い、厭う気持ち。
息子を案じる母の愛情。呪いを解いてくれたことへの感謝。
「立場上、慎重に対応しないといけない。その点は理解しています……こほっ、こほっ」
母親であるイヴェールは、息子の気持ちも察することができていた。
アンカーサイン家の次期当主として教育されたイオネスにも、「代々忌み遠ざけてきた魔法を軽はずみに受け入れてよいものだろうか」という迷いはある。
一方で、イオネスは……奇跡のような魔法という技術に対しての好奇心や、期待も実はこっそりと抱いていたりする。
『先祖代々の伝統は大事だ。だが、便利な技術を食わず嫌いで拒絶するのも勿体ないのではないか』
イオネスがそんな主張をするのを、何度も見てきた。
若者は、常に伝統に疑問を持ち、「いいものは、いい。便利なものは、便利。それでいいのでは」と思いがちなのだ。
魔法だけではない。窓の外で使用人たちと一緒に土に汚れて楽しそうにしているローズメイという娘に対しても、同様だ。
「ローズメイさんは良い人物です。俺の妻です……二度と彼女のことを悪く言わないでください」
「イオネス……!」
ああっ。息子が一回会っただけの嫁に味方しちゃった。
お母様、悲しいわ。しょんぼりだわ。でも、気持ちもわかるの~!
母子がにらみ合う部屋の外から、明るい声がきこえてくる。
イオネスが信頼する騎士たちが、ローズメイと一緒に白い肥料を撒いているようだ。
「母上、俺とて、挨拶だけで彼女を盲信するほど軽率ではありません。けれど、魔女だからと色眼鏡で見るつもりもありません。俺は騎士に彼女の人柄を探るようにと命じたのです……こほっ、手段は任せましたが……』
「彼女が安心できる人だと騎士たちが判断したというのね」
どんな手段で探ったのかは知らないが。母子は頷きを交わした。
「いいですね、彼女は俺の妻なのです。例え母上であろうと、俺は妻への無礼を許しません」
イオネスは駄目押しとばかりに告げて、あたたかい薬湯を啜った。
「あなたのそういうところは、旦那様に似ているわ」
「ところであの騎士たち、短時間で親しくなりすぎじゃないかな。俺はまだ挨拶しかしていないのに……こほ、こほっ」
「……似ているわ」
イヴェールは複雑な顔で息子を見つめ「まあ、……体調が前よりよくなったようでよかったわ」と呟いた。
それは本当に喜ばしいことで、イヴェールだって内心では「魔女のおかげ」とわかっていて、感謝する気持ちはあるのだ。
でも、息子が「妻は悪くない」と言うと、お母様は「ムッ」「面白くないわ」となってしまうのである……。