4話、追い返しはしないが、妻としての仕事もない

 アンカーサイン侯爵家の次期侯爵イオネス――ローズメイよりも二歳年上の次期侯爵令息は、噂通り、病床にいた。

 人間の姿で会うのは初めてだ。

 それに、数年ぶりに彼を見る。

 ローズメイは緊張した。


「はじめまして、ローズメイさん……ごほっ、こほっ」

「あ、イ、イオネス様。ご無理なさらず……」


 寝台の上で半身を起こすイオネスは、過去に小鳥の姿で会った時より、かなり痩せている。


 もともと細身で優美な青年だったが、今は寝室の薄明かりの中で儚く消えてしまいそうだ。

 顔色は蒼白で、ミルクティー色の髪には艶がない。長く伸びた髪をうなじのあたりで緩く結わえている姿は、中性的だ。

 長い睫毛に彩られた翡翠色の目に見つめられて、ローズメイは「嫌われませんように」とはらはらした。


「ローズメイと申します。イオネス様、お屋敷の呪いは、消えたようです。あなた様も少しずつご健康を取り戻すと思います……」


 魔法スクロールは効果を発揮して、イバラを消した。

 呪いのせいでイオネスが弱ってしまっているなら、改善する可能性が高い。


「こほっ……ありがとう、ローズメイ……さん」


 『さん』付けだ。距離を慎重にはかる気配が初々しい。


「ローズメイさん。聞く話によれば、貴重な魔法スクロールを使ってくださったのだとか……?」

「ぐ、偶然、手に入りましたので」

「ありがとうございます。お代は当家が払うので……こほっ、こほっ」


 この青年に、あまり感謝を押し付けたくない。

 感謝されたがっているとも思わせたくない。

 ローズメイは慌てて首を振った。


「だ、代金は結構です! お……夫を助けるのは、妻として当たり前でしょう……?」


 わあ、私ったら。『夫』ですって。

 なんだか初対面なのに妻気取り発言をしてしまった。

 発言したあとで、頬がカァッと熱くなる。

 イオネスも、照れたように視線を逸らしている。


「お、夫。妻……」 

「す、すみません、イオネス様。いきなり妻気取りしてしまいました」

「い、いや。妻だからな。妻気取りしても何も悪くない……、こほっ」


 病で弱っている青年が赤くなって口元を手でおさえている姿に、ローズメイは「話を変えなきゃ」という謎の使命感を覚えながら視線を逸らした。


「こほん。イオネス様、呪いについては、もう少し調べてみたいかもしれません。あの呪いは植物の形をしていましたね。何か原因などにお心当たりがありますか?」

「こほっ、いや……、当家は魔法的なものには関わらないようにしているし、心当たりは特別なにも……、こほっ」


(背中をさすったりしたほうがいいのかしら? でも、軽々しく触っていいのかしら)


 迷いながら、ローズメイは実家で作ってきたポーションを差し出した。


「お体にご負担をかけてしまいまして、申し訳ありません。こちらはポーション……病中病後に効く、元気が出るお薬です」  

「ポーション……」

「あ、あの……あやしいお薬ではありません。ちょっと健康にいいだけで……」

「へえ……ありがとう……」


(魔女が渡してくる未知のポーションを飲むのは、抵抗感があるかしら! あやしくて、だめかしら!)


 ローズメイははらはらしたが、イオネスはポーションを飲んでくれた。

 そして、家の事情を教えてくれた。


 アンカーサイン家の先祖には芸術家が多く、莫大な額で取引される芸術品を数多く世に生み出してきた。

 そんなアンカーサイン家のモットーは、「有能な人材を集めよ。任せられる仕事はできるだけ他者に任せよ。浮いた時間で芸術に勤しめ」なのだとか。

 そんなわけで、家臣たちは有能だ。


 そして、アンカーサイン家は資産には余裕があり、家令や代官に当主の仕事を多く任せている。

 今は『スカーロッドの血統を継ぐ子なんて作るな』『押し付けられた嫁は返せ』という親族の声もあり、ローズメイに『次期侯爵の妻』や『次期女主人』としての仕事を任せることはないらしい。


「君を追い返しはしないが、妻としての仕事もない」


 イオネスは申し訳なさそうに言った。


「不自由をさせるつもりもない。君には好きなことをして過ごしてほしい」


 ちゃんと、「こういう事情なので」と納得できるように説明をしてくれる。

 イオネスは、以前と変わらぬ「いい人」だ――善良で、人の気持ちを思いやることができる人だ。

 真摯に語る夫の様子に安堵して、ローズメイはおっとりと微笑んだ。


「イオネス様、それではお言葉に甘えて好きにさせていただきます。まずは、お庭を弄らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「もちろん構わない。こほっ、手配しておこう……園芸がご趣味なのかい?」

「母が好んでおりまして、その影響です」


 ローズメイはスカートの裾をつまみ、優雅に礼をした。


 そして、意気揚々と庭に向かった。


「遠路はるばる馬車でやってきたばかりなのに、なにやらたいそう行動力のあるのだなあ」とは、聴力が人間より優れている使い魔コットンが「使用人が話してるよ」と教えてくれた言葉である。

 ローズメイは、使用人たちに遠巻きに見守られながら、庭に出た。 


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 イバラが消えた後のアンカーサイン侯爵家の庭は、荒地状態だった。

 草花はほとんど枯れているし、壊れた柵やヒビ割れたレンガのブロックが転がっていたりする。


「うわぁ、ご主人様。この家の土地はだめだね。ぼろっぼろだ」


 白猫の使い魔コットンが呟く声に、ローズメイは「そうね」と頷いた。


「でも、これから良くするのよ」


「わ……若奥様……!」


 一人と一匹が庭を眺めていると、距離を保ちつつ「何か言いつけられたら実行しよう」と待機している使用人団ができている。

 そして、その中から庭師が意を決した様子で進み出て、頭を下げた。


 日焼けしていて、働き者の手をした若者だ。


(若奥様、ですって)


 新鮮な響きだ。ちょっとくすぐったい感じがする。


「アレンツォと申します」

「ローズメイです。よろしくね、アレンツォ」


 日当たりはいい。風通しもいい。


「良いお庭は家に運気を巡らせるというじゃない? 幸運を招く素敵なお庭をつくりましょう。イオネス様の健康増進にも効果があると思うの」

「若奥様、アンカーサイン侯爵家では目に見えない『気』というものを気にしません。初耳でございました」

「そうなの? スカーロッド伯爵家ではそういう考え方を当たり前にするのだけど、やっぱり家ごとに『当たり前』は違うわよね」


 庭の中で一番目線を集める場所に、朽ちかけのシンボルツリーがある。

 イバラに絡まれていた痕が痛々しい。


「あのシンボルツリーも、ぼろぼろで痛々しいわね。可哀想に……」

「若奥様。あ、あちらの木はブライド・マートルと申しまして、当主ユスティヌス様の婚礼祝いに弟君のハシム様が贈られたのです」

「そうなの?」


 マートルは幻想的な白い花を咲かせる木だ。

 お祝いに贈るのに適している木で、それをお庭のシンボルツリーにするということは、「弟からのお祝いをこれから我が家の歴史の一部に組み込むぞ。子孫に引き継ぐぞ。家宝だぞ」という意思を見せている。


 貴族の家の兄弟は、後継者争いなどで不仲なことも珍しくない。

 しかし、この家の当主と弟君は、仲が良好……もしくは、兄弟仲がよいアピールをしている。

 できれば、無くすのではなく、存続させたい。


「この木、そのまま生かす方向で造園できないかしら。また元気になって、花を咲かせてほしいと思うの」

「若奥様。かしこまりました。やってみましょう」


 どこに何を植えるか、どんな風に配置するかの構想を練りながら、ローズメイはスコップに手を伸ばした。

 すると。


「若奥様がスコップをお持ちになられたぞ!?」


 使用人たちは、貴族令嬢であり魔女でもあるローズメイがスコップを使うと思っていなかったようで、たいそう驚いたようだった。