この国では、魔法が使える者が限られている。
一般的に親から子へとその才能は受け継がれやすく、スカーロッド伯爵家は先祖代々魔法の才能を脈々と継いできたことで有名な血統だ。
貴族階級は上から順に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順番に身分が高いのだが、スカーロッド伯爵家はその血統ゆえに、単なる伯爵よりも地位が高く、社会的に一目置かれる名家である。
一方、嫁ぎ先のアンカーサイン侯爵家は、魔法使いの血を一滴もいれずに歴史を紡いできた血統だ。
現在は呪われているらしく、家の存続の危機にある。
そして、義理の父になる現当主ユスティヌスは行方不明で、次期当主イオネスは病床に就いている。
ユスティヌスの弟ハシムが代理当主をしているが、ぼろぼろだ。
ローズメイがそう説明すると、白猫のコットンは欠伸をした。
「ご主人様、名前がいっぱい出てきてわかんない。ねむ、ねむ、ふわぁ~……」
「むむ。要するに、嫁ぎ先のお家がぴんちなのよ」
お話相手がほしいのに、コットンったらあんまり熱心に聞いてくれない。
ローズメイはコットンの肉球をふにふにした。触り心地がよくて、気持ちいい。
「ねえ、コットン。アンカーサイン侯爵家の方々って魔法嫌いで有名だけど、助けるために魔法を使ったら『魔法って素敵。花嫁を歓迎する』ってならないかしら」
「どうだろう。先祖代々嫌ってたものって、そんな簡単に好きになる?」
「うーん……」
のんびり話しているうちに、馬車が止まって扉が開く。
アンカーサイン侯爵家に到着したのだ。
ローズメイはドキドキした。
初めてのお家。それも、高位貴族で、嫁ぎ先で、魔法使いを嫌っているのだ。
――い、行くわよ。
ローズメイは勇気を奮い起こして馬車の外へと踏み出した。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
嫁ぎ先のアンカーサイン侯爵家は、外観からして荒れていた。
それも、自然な荒れ方ではない。
「これは呪われてますね!」と誰もが頷く、奇怪な荒れ方だ。
まず、真っ黒なイバラがびっしりと屋敷や庭を覆っている。
そして、イバラから人体に有害そうな黒い霧がシュウシュウと出ていた。
大地は乾いてヒビ割れ、植物は枯れている……。
「うわあ、毒々しいイバラ……」
「これはひどい」
アンカーサイン侯爵家まで送ってくれた騎士や使用人も、困惑している。
現地の使用人たちが出迎えてくれるが、みんな顔色が悪い。
疲れ切っている様子だ。
――み、みなさーん。このお家で、さぞご苦労なさっていることでしょう……!
ローズメイは同情したし、イオネスの身を心の底から心配した。
ところで、出迎えの中に、ひとり明らかに身分の高そうな貴婦人がいる。
親世代の貴婦人は、この世の終わりみたいな表情を扇で隠そうとしているが、隠せていない。
「ふう……。いらしたのね。スカーロッドの魔女が。我が家は花嫁を迎える余裕などないと申したのに――どうしたらいいの」
貴婦人の名乗りは、『イヴェール・アンカーサイン侯爵夫人』であった。
彼女は、この家の当主侯爵の妻で、次期侯爵イオネスの母だ。
嫁入りした妻が夫の母に嫌われて苦労する、という話は貴族社会でよくある話なので、ローズメイは緊張した。
イヴェール・アンカーサイン侯爵夫人は、ぶつぶつと独り言で愚痴を垂れ流している。
「お返事も待っていただきたい、縁談どころではない、困ると申したのに。結婚しろと仰っても、イオネスは起き上がることすらできないのよ。でも、お引き取りいただくわけにはいかないのでしょうね」
ローズメイの背に汗が浮いた。
「お困りですよね、わかります」と言いたくなってしまう。
それにしても――イオネス様は、起き上がることもできないのね。お可哀想に……早くお助けしなければ。
「ご主人様、魔法を使う前から嫌がられてるよ」
「こ、これから好かれるから……」
コットンの呟きに返事をしつつ、ローズメイはイヴェールに礼をした。
カーテシーと呼ばれる礼は、この国では女性貴族が目上の貴族相手にする挨拶だ。
子供の頃から教え込まれるもので、教養の差が出る。
礼儀作法がなっていないと、「あらぁ、ろくに教育を受けていないのね」と、家も馬鹿にされてしまう。
なので、馬鹿にされないようにと、練習をしてきた。
「ローズメイ・スカーロッドと申します。侯爵夫人にお目にかかれることを大変嬉しく思っております」
ローズメイは完璧な所作で淑やかに挨拶をして、おもむろに魔法スクロールをびりびりと破った。
魔法スクロールは、とても価値があり、貴重すぎる消耗品だ。
価値を考えると指先が震えてしまいそうになる。
けれど、ためらってはいけない。
このアイテムは使うために買ったのだ。
魔法スクロールがどんなものかを、魔法嫌いのアンカーサイン家の人たちもわかっているらしい。
ローズメイがスクロールを破るのを見て、アンカーサイン家の人たちは「なっ!?」と声をあげた。
「スカーロッドの魔女、何を……っ!?」
「気を付けろ! 魔女が魔法を使うぞ!」
アンカーサイン家の者たちが警戒する中、魔法スクロールは発動した。
ふわり、と。
周囲に茂る黒いイバラを、白い光が包み込む。
イバラは生き物のように大きくうねり、光に溶けるようにして消えていく。
異変に右往左往する地上に、ぽつり、ぽつりと優しい雨垂れが降る。
こちらは、自然の雨だ。
「イバラが!」
「雨が……」
居合わせた全員が驚愕の声を洩らし、『スカーロッドの魔女』へと視線を集中させる。
「魔女が雨を喚んだぞ」
「呪いを解いたのではないか? イバラが消えたって、そういうことなのでは?」
(あ、雨は偶然です!)
目の前で魔法スクロールを破ったのに、彼らはローズメイが魔法を使ったと思っている。
魔法に接する機会が少なくて、慣れていないのだ。
(これからずっとこの家で暮らすのだもの。特別なアイテムの力を自分の能力だと偽るのはよくないわ)
ローズメイはそう思い、正直に打ち明けた。
「今のは魔法スクロールの力で、邪悪なものを浄化する効果があったのです。あと、雨は偶然で……光も雨も私の能力ではありません」
ざわめきが満ちて、視線が集中する。
恐ろしくて気味わるい生き物を見るような眼。
めったにいない珍しい生き物に出会ったような眼。
感謝の眼。奇跡に出会ったような眼。
ローズメイは一人一人の眼を順番に見て、微笑んだ。
「改めて、ご挨拶申し上げます。ローズメイです。ふつつか者ではありますが、これから皆さまと良好な関係を築いていきたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします」
ぽつり、ぽつり、と天上から降り注ぐ雨滴に濡れて、ローズメイの黒髪がしっとりとした輝きを放つ。
雪とみまごう白い肌はほんのり薔薇色に上気していて、咲き頃のつぼみのような初々しい色香を漂わせた。
「お美しい……」
恍惚とした声が、誰かから零れる。
ぽかんとしていた侯爵夫人イヴェールは、その声に自分の立場を思い出した様子で、扇で口元を隠して呟いた。
声は、少し震えている。
「……の、呪いを解いた……と、仰るの? では、では……我が家は、……救われる……?」
奇跡にすがるような声だった。
ローズメイは、「夫人は、絶望の中にいたのよね」と思った。
もうどうしようもない――そんな辛くて苦しい現実の中にいる夫人に、自分が「もう大丈夫ですよ」と言える。
それは、とても良いことだと思われた。
困っている人を助けることができるのだもの。お金を使ってよかった。
ローズメイは、そう思った。
「イバラは消えたようです。確実に言えるのは、それだけですが……」
「魔法スクロールと仰ったわね? それは、噂では聞いたことがあるけれど……大金があれば手に入るというものでもないのではなくて?」
「その通りです、夫人。とても珍しいアイテムで、今回は偶然入手ができたので……」
「では、では……」
イヴェールは現実に心が追い付かない様子で、言葉を探している。
目の前の未知なる存在に、どう対応するのが正しいのか、迷って、困っている――そんな気配だ。
ローズメイは、困っている夫人にやさしく接したいと思った。
なので、やわらかに言葉を紡いだ。
「私、魔法は苦手なんです。皆さまとそれほど変わらない人間です。あの……あんまり期待は、しないでください」
白いレースの傘を差して雨滴から守ってくれる使用人に、ローズメイはそっと呟いた。
「それほど、変わらない……」
イヴェールが困惑を深める中。
「ねえ。お礼、言われないね?」
コットンがあどけない声色で言ったので、周囲の全員がぎょっとした。
「ね、ネコちゃんが喋ったっ!?」
彼らは、魔法に関係するものを全然知らない。
そんな彼らにとって、ネコちゃんが喋るのは、びっくりなのだ。
ローズメイは、慌てて説明した。
「このネコちゃんは、使い……、いえ、喋る珍しいネコちゃんなのです」
魔法嫌いの夫人には、『使い魔』より『珍しいネコちゃん』のほうが好まれるのではないか。
ローズメイはそう思って言葉を濁した。そこに、コットンの愛らしい声が響く。
「すっごく貴重なアイテムを使って、すっごく困っていたところを助けてあげるのに、お礼のひとつも言わないんだ~っ?」
「こら、コットン」
コットンは遠慮しない。
でも、姿が猫で声が子供なのがよかったのだろうか、イヴェールは態度を咎めたりはしなかった。
「か……感謝しています……っ!」
お礼も言ってくれた。
……ちょっと無理矢理言わせたみたい。
ともあれ、ローズメイはこうしてアンカーサイン侯爵家に足を踏み入れたのだった。
(ところで、代理当主ハシム様はいなかったわね)
屋敷の中を歩きながら考えていると、代理当主は多忙とのことだった。
「ご主人様、ここの家の人間って変だね」
呆れたように言うコットンに、周囲の使用人たちは「あの猫はなんで喋るんだろう」と不気味そうな顔をしていた。けれど。
「うにゃーん♪」
「か、かわいい」
コットンが愛らしく鳴くと、蕩けそうな顔で頬を緩めて見入っている。
「ご主人様、この屋敷の連中って、猫好きみたいだね」
コットンはそう言って媚びを売り、周囲の人間に「かわいい」を連発させる、という芸をみせた。
かわいいって、すごい。
みんなが笑顔になっていく――ローズメイは、使い魔が人の心を癒したり和ませたりするスキルに長けていることに気付き、「いいことだわ」と思った。