2話、ボクはいつでもご主人様の話し相手になるよ

 アンカーサイン侯爵家に向かう馬車の準備が整ったというので、ローズメイは門に向かった。


 そこへ、声がかけられる。


「ローズメイ。お前が嫁に行ってくれて助かるよ。落ちこぼれと結婚しろと言われて困ってたんだ」


 絡んできたのは、従兄弟のグランツだった。

 幼馴染でもあり、今回の縁談が決まる前はローズメイの婚約者候補でもあるグランツは、藍色の髪に褐色の肌をした魔法使いだ。


「結婚せずに済んでよかったわね、グランツ?」

「ああ、まったくだ!」


 ローズメイが幼馴染の温度感で言えば、グランツは不機嫌に眉を寄せてついてくる。


「聞いてるぞ、ローズメイ。嫁に行くのが嫌で家出したのに、捕まって連れ戻されて、仕方なく嫁ぐんだろ」

「ちょっと遠出して買い物しただけよ。闇オークションで魔法スクロールを買ったの」

「はあ? 馬鹿みたいに高かったんじゃないのか」


 破ると魔法が使える魔法スクロールは、昔の偉大なる魔法使いが遺した消耗品だ。

 現代の魔法使いたちの技術では新たに創り出すことが難しいアイテムで、現代の魔法使いが使えない、強力な『遺失ロスト魔法マジック』――古代の魔法が籠められている。

 とても貴重で高価な代物だ。

 普通の人間なら、生涯で一度も使う機会がないくらい。


「ローズメイ、金はどうしたんだ」

「いろいろ売っちゃった」

「うわぁ……落ちこぼれに加えて散財か、困った嫁だな!」


 グランツはローズメイを批難する材料を見つけると活き活きする。いつも。

 たぶん、嫌われているんじゃないかしら。

 ローズメイは、そう思っている。


「ローズメイの結婚相手が魔法嫌いな上に呪われてる侯爵家ってのも傑作だよな、お前の結婚相手は今にも死にそうな病弱男だって?」

「お噂は聞いているわ。でも、これからお元気になるの。お相手を悪くいうのはやめて」


 なんてことを言うのだろう。

 悪意を感じる――眉を寄せてグランツを見ると、グランツはなにやら顔を赤らめていた。


「ふん――しょ、しょ、初夜の前に、未亡人になるかもな! こ、子供作れって言われてるんだろ。オ、オレが相手してやってもいいぜ」


 今なんて?

 ぞっとする発言に、ローズメイは自分の腕をさすった。


「グランツ、縁起の悪いことを言わないで。それに、気持ち悪い。何かいやらしい想像をしたのね、そんな顔してるわよ」

「う、うるさいな。馬鹿! いいか、オレが預言してやろう。お前は泣いて帰ってくる! イオネスは嫌いーって言ってオレの胸に飛び込んでくるぜ。向こうだって、お前みたいな魔女はお断りと言うに決まってるし」

「そうならないよう、気をつけます~~っ」


 周囲の使用人たちが顔を見合わせている。微妙な表情だ。


「破談になってから俺に貰ってくれと言えば、仕方ないからオレが結婚してやらないこともないんだ。お前は察しが悪いから仕方なく教えてやるが、オレは前から……こほん。お前のことをそれほど嫌いじゃな……」


 言いかけた言葉が最後まで口にされるより早く、女性の声が被さった。


「ローズメイ。馬車が来るわよ。早くいらっしゃい」


 一歳年上の姉、ジュリアだ。白猫を抱っこしている。


 ジュリアは、華やかな美貌の令嬢だ。黒髪をきつく巻いていて、見事な縦ロールだ。


 落ちこぼれといわれるローズメイと違って、魔法の腕もいい。

 「わたくしは天才でしてよ!」という自信に満ちている。

 濃い目のアイメイクに彩られた瞳は、ケダモノを見下すようにグランツを睨んだ。


「グランツ。妹は嫁ぐのよ、諦めてちょうだい。変なちょっかいを出さないで引っ込んでいて」

「へ、変なちょっかいってなんだよ!? オレはただ……」

「お黙り、駄犬だけん。憎まれ口しか叩けない男を妹が好きになるわけないじゃない。ぜんぜんダメ。駄犬は一生後悔していなさいな」

「お前だってオレに憎まれ口ばかりじゃないか」

「えっ、わ、わたくしがあなたのこと好きなわけないじゃないっ。勘違いしないでくださる?」

「……はあ?」


 ローズメイとしては「意外とこの二人、仲が良いのでは? 二人でくっつけばよいのでは?」と思ったりする日常だ。


「ローズメイ。あの手のキャンキャン吠える駄犬を相手にするのは時間の無駄よ。さあ、いきましょう」


 ジュリアは耳を赤くしながらローズメイの手を引き、馬車へと連れて行く。

 途中から地面におろされた白猫は、軽やかな足取りでついてきた。


 父は、見送りに来なかった。

 ローズメイたちの父であるスカーロッド伯爵は、心を病んで療養中だ。

 母が亡くなったのが大きな原因として考えられる。

 父と母は政略結婚だったが、仲が良かった。

 母を失ってからしばらくの間は、父は強がって笑い、無理をして一生懸命に執務に励んでいた。でもある日、限界が訪れた。


「父さん、もう何もやる気が出ないんだ」

 と言って、それきり部屋に引き篭もってしまったのだ……。


 年頃の娘は父親という存在に反発心を抱くとよく聞くが、ローズメイは、父親のことが嫌いではない。

 姉も、たぶん同じだ。


 ゆっくり休んで、いつか元気になってほしい――姉妹はそう思っている。


 姉は父の分も愛情をこめるようにして、ぎゅっと妹を抱きしめた。


「心配だわ。ローズメイったら、魔法の腕もいまいちだし」

「一族では落ちこぼれでも、お外では私でも『魔法が使えてすごい』って言われるみたいですよ、お姉様」

「あなたが使える魔法なんてせいぜいコップにお水をいれるくらいじゃない。すごいと言われて調子に乗っちゃだめよ」


 姉はちょっと鼻声だ。

 つられて泣いてしまいそうになる。


「お姉様、私、お手紙を書いてもいいですか?」

「好きになさいっ。返事は期待しないことね。わたくし、忙しいんだから。でも、困ったことがあったら頼ってもよろしくてよ」

「ありがとうございます、お姉様」

「いいこと? わたくし、次の当主の座をモノにするつもりなの。嫁ぎ先が気に入らなかったら帰ってきてもいいわ。誰にも文句は言わせません」


 王室からの命令なのだから、『誰にも文句は言わせません』は難しいのではないか。

 そう冷静に考えつつ、ローズメイは姉に頷いた。


 馬車に乗り込むとき、姉は足元にいた白猫を拾い上げてローズメイに渡した。

「あなたに使い魔のプレゼントよ。名前をつけて可愛がりなさいな!」

「わあ……」


 にゃあお、と鳴く白猫は、目がローズメイと同じ青色で、愛らしい。

 毛並みはふわふわだ。猫特有の、安心するようないい匂いがする。


「お姉様。私、この子にコットンと名前をつけます。よろしく、コットン。私はローズメイよ」

 名前をつけた瞬間に、白猫の全身がほんのりと光を帯びる。使い魔としてローズメイを主人だと認めてくれたのだ。

「よろしく、ご主人様。ボクは新鮮なお魚が好物だよ。覚えておいてね」

 白猫が愛嬌たっぷりに喋り出す声は、幼い男の子のよう。ちょっと生意気な感じもする可愛らしさだ。 


「話し相手ができてよかった。ちょっと寂しかったの」

「ボクはいつでもご主人様の話し相手になるよ」


 言いながら眠そうに目を閉じる猫の頬をむにっとつまむと、「うにっ」と鳴く。あごの下を撫でてみると、ゴロゴロと喉を鳴らす。可愛い。


「寝ているとき以外は、でしょ」

「そうそう。ボクは眠るのが好きなんだ。ご主人様も到着するまで眠ったら?」


 馬車がゆっくりと動き出して、景色が後ろに過ぎていく。

 クッションに背をあずけて、ローズメイはコットンを撫でた。


(眠れるかしら)

 ローズメイは首をかしげたけれど、膝の上で丸まる白猫の気配は穏やかな眠りへと誘ってくれるようで、数分後には心地よい眠りに落ちていった。 



   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 魔法使いグランツは、好きな娘を乗せた馬車が遠くなるのをじっと見送った。


 グランツはローズメイのことが、幼い頃から好きだった。

 けれど、素直にはなれなかった。


 見かけるたびにいじめたくなって、髪を引っ張ってみたりして。

 魔法が下手くそなのを知ると、「下手なんだって?」とからかいたくなって。


 可愛らしい瞳がグランツを見ると、どきどきした。

 なのに、「お前は、可愛いな!」とか「友達になってほしい!」とか言うことはできなくて、いつも嫌われるようなことばかり言ってしまった……。


 そんなんじゃダメだと思っていたが、自分の態度が直せなかった。

 プライドみたいなものが、邪魔をしたのだ。


 親兄弟にも「お前、なんか外から見てると好きな子にちょっかい出しているみたいに見えるが、好きなわけではないのだよな?」と確認されて、力いっぱい「ち、ち、ちげーし! 嫌いだし!」と言ってしまった。


 そうすると親兄弟は、「そうか。そうだよな」と安心したような顔をして……思えばあのとき、大人たちにはローズメイの政略結婚の話が出ていて、検討段階だったのだ。

 そしてグランツが「ちげーし!」と言ってしまったばかりに、ローズメイは他の男と結婚してしまった……。


「くっ、……う、う、うぅ……」


 涙目である。

 ああ、初恋よ、さらば。

 追いかける意気地も、ないのだ。


 全て自分が悪い。

 グランツは、情けない自分を悔しがった。


「はぁ、グランツ……あんたみたいな男に、ぴったりな言葉があるわ。知りたい?」


 初恋の娘ローズメイの姉である魔女、ジュリアが傷を抉ってくる。


「……ざまぁみろ~、ですわ~!」


 高笑いされながら、グランツはしょんぼりと家に帰った。

 親兄弟は「お前、好きだったならそう言わんか」と慌てたけれど、グランツが素直に「実はそうだった」と認めた頃には、もう何もかもが手遅れだった。