津島はあのまま黒の公安によって拘留されていた。
いい加減自分の処分を決めてほしい、と彼は思っていた。手が寂しがっている。ギターを弾きたい。手元に無くなって、これほどギターが自分の一部になっていることを感じたことはなかった。
拘留されている部屋の中にも、FMの電波は届く。BBのライヴのことも彼は聞いていた。
音楽は、常にこの都市に鳴り響いている。そしてその音楽を耳にするたび彼は思う。
もしなるべく早く出られたら。
津島は願う。
俺はギター弾きになりたいんだ。他の仕事でなくそれだけのために生きていたいんだ。
お願いします。
誰にともなく、彼は祈った。
*
「……久しぶりだなあ」
サポート・ドラマー氏はつぶやいた。
「あれ、オキさんってここで演ったことありましたっけ」
土岐の問いにドラマー氏はうなづく。
「昔ね。まだお前らのサポートする前にさ、結構大御所シンガーのバックで来たことがあってね」
「へえ……」
「あんまりいい会場ではないと思ったけれどさ、十年ともなるとやっぱりやや違うね」
「そうですね」
ライヴ当日の朝。
参加メンバーは総合体育館――― 通称ゴールデン・ロブスターに集まっていた。
既に客席はしつらえられている。
アリーナには一面にダークグリーンのシートが敷かれ、そこに折り畳み椅子がずらりと並べられている。椅子には一つ一つ隣の席と紐でつながれ、席順を書かれた白いカードが貼られている。
そのアリーナをぐるりと取り囲むスタンド席は、一階二階と分けられている。ただし一階席は少なく、スタンド後方にしかない。
「さすがにちょっと空気が悪いな……」
くん、と鼻をならすように朱夏はつぶやく。
「そうか?」
「空気の通りがあまり良くない。すりばち状だから、悪い空気は下に溜まる」
そうか、と土岐はそれを聞くと、会場整備のスタッフの所へ駆けていく。
一方布由は、アリーナの客席に足を投げ出して座り、アンコール用の、例の曲の歌詞を見ながらぶつぶつとつぶやいている。
どうやらなかなか覚えきれないらしい。
「苦労しているな」
朱夏は彼の座った席の隣の隣にどん、と腰を降ろす。
「やっぱりやりにくいか?」
「そりゃあな」
布由は譜面をぱさ、と横の席に落とす。
「自分の詞じゃないから間違いもできない」
「HALのだろう? それでもか?」
「あれと俺は全くタイプが違うだろうがっ!」
「それは当然だ」
はあ、と布由はため息をつく。
「お前はいつも元気だよなあ……」
「当然だ。私は元気でなくてはならないんだ。でも布由だって、結構今日は元気ではないか。テンションが上がっている」
「ライヴだからだろ」
「……いやそういう意味ではなく……ああそうか、お前、あれと会えたのだな」
布由は慌てて朱夏の方へ身を乗り出した。
「……」
「何で判る、って言いたいんだろう」
「……」
「そもそも私があれが何だか知ってるから驚いてるだろう?」
にやり、と朱夏はその原型のような笑いを浮かべる。
「……」
「お前が『外出』していた時のことだって見てた出歯亀がいて私に教えてくれたんだ」
「……あんの野郎!」
何を考えてるんだ、と布由は思った。そして思わず顔を伏せる。
別に今更知られて何ということではないが、つまりは、HALに、あの「彼女」を口説く現場を見られていた、ということで。
本当に今更とは思うが、あいかわらず悪趣味な奴だ、と彼は思わずにはいられなかった。
だが、すると彼は知っているのだろうか?
布由はちらり、と舞台の上に置かれた機材類に視線を飛ばす。
「全く悪趣味な奴だ」
「それを俺にわざわざ言うお前も相当なものだと思うぞ……」
うめくように布由は声を絞り出す。
「仕方なかろう? 私の原型はあれなんだからな」
「……開き直りやがって…… ちょっと朱夏、いい子だから、今は向こうへ行っててね」
ひらひらと布由は手を振る。何だかなあ、と首をかしげつつ、朱夏は音合わせの為に土岐とサポート・ドラマーのオキ氏の所へ行った。
音の出を確かめ、そしてギターとベース、所々同時に鳴らして、楽器同士の音の配分を見る。連れてきたPAスタッフは優秀だった。滅多に使われない会場でも、上手く鳴らすすべを知っている。
OKです、の声が上がる。ギターのストラップを外しながら朱夏はピックをもてあそんでいた土岐に近付いた。
「土岐…… 布由が不機嫌だ。私がどうやら悪いらしいが」
「……何か言ったの?」
「いや別に。あれに会えたのだな、という類のことを言っただけだが」
「あれ……?」
「布由がこの都市で一番会いたかったもの。この都市で布由に一番会いたがっていたもの。ただし私の中にそれに値するボキャブラリィが無いので『あれ』としか言えないんだが」
ちら、と土岐は布由の方を見る。真剣に歌詞カードをにらむ布由は、自分の視線にも気付かない。
「……そうか」
だったらこの計画は成功するな。彼は確信する。
土岐はやや目を伏せる。それを見てどうした、と朱夏が訊ねる。
「いや、ライトがまぶしいから」