朱明はカウチにだるそうに座り、テーブルに足を乗せている。
芳紫はそれまで肩のこる仕事をしていたらしく、大きく伸びをしている。そして藍地は穏やかに笑って手を振っている。
三人それぞれに視線を投げると、くっ、と土岐の口の中で笑いが漏れる。
「お前ら老けたよなあ……」
座ったまま、それを聞くと朱明はにやりと笑う。
「お前こそ。何、もうパパになっちまったんだって?」
「何処からそんなこと聞いたのやら」
そしてその情報源であろうHALは、入り口付近でどうしていいか判らないようにしていた朱夏に手招きした。
藍地は自分の正面に土岐を座らせる。そしてHALは朱夏を連れて、部屋を出て行った。
そして部屋の中には四人が残される。
「さて全員揃ったところで、一番肝心の打ち合わせをしようや」
藍地が切り出す。
「あ、ちょっと待ってくれよ。布由さんが…… それにあれは」
出て行ったHALのことを土岐は暗に示す。
「布由のことはいい、大丈夫だ、とHALは言ってた」
「でも……」
「それにあのひとは何処に居ても、俺達が何を話していたか、なんて判るから…… HALさんはHALさんで、朱夏に用があるらしいから」
「そう……」
そう言われてしまったら、土岐には何にも言えなかった。
*
「お帰り朱夏」
にっこりと笑って、HALは言った。
朱夏は非常に不機嫌そうな顔をしながらも、律儀にこう応える。
「……ただいま」
妙に声がフロア中に響く。
確かにこのフロアはもうずいぶん使われていないらしい。
現在でも使われているフロント付近だの、上の宿泊フロアに比べ、どうも掃除がずさんなようにも見える。置かれている家具や、備え付けの棚は傷一つついていないが、妙に温かみがない。
そんな温かみの無いフロアの、ロビーの途中に置かれているソファの一つにHALは掛ける。
朱夏はその前に立ち、腕組みをしてHALを見おろす。
「時間はかかったが、連中はやってきた。これで充分か? 私は呼んできたことになるのか?」
「充分。でも座ってよ。どうも話しにくいから」
くすくすと笑いながらHALは自分の横をぽんぽん、と叩く。仕方ないな、と言いたげな表情でしぶしぶ朱夏はそこに腰を下ろした。
「ところで朱夏、何か怒っているように見えるけど?」
「怒っているように見えるのではない。怒っているんだ。私は」
「うんうん」
笑いを浮かべたまま彼は軽くうなづく。
「お前、私に黙って私をアンテナにしたろう!」
「うん」
いけしゃあしゃあとHALはうなづく。
「だって君、俺がそう言ったら嫌だと言うだろう? そりゃね、まさかそこまでレプリカが変わるとは思っていなかったけれど」
は、と彼女は吐き出すような笑い声を立てる。それは布由の笑い方にやや似ていた。
「HAL、お前すごく勝手な奴だ」
そりゃそうだよ、とHALはそういう朱夏に返す。
「そうだよ。俺はすごく勝手。だけど朱夏だってそういう俺がベースにあるんだよ? それだけは覚えとこうね」
「全く嫌な奴だ!」
「お互いさまでしょ」
さて馬鹿話はそれくらいにして、と彼は言うと、ロビーの窓に掛かっていたブラインドを一気に開けた。
そこからは、「ME」の夜の街がまともに見える。だが五階程度では都市を一望することはできない。
この時間ともなると、この街は人気もなく、車の通りもなく、かつては輝いていたネオンサインも電光掲示板もなく、ひたすら静まりかえっている。
HALはソファから立ち上がり、窓のそばに腰を降ろすと、しばらくその景色を黙って眺めていた。そして朱夏もその近くに腰を降ろす。
「綺麗だね」
「昔はもっと綺麗だったそうだ。布由はそう言っていた」
「そうだね、奴はそれをよく知っている」
そしてまたやや沈黙が続く。そしてそれを破ったのは朱夏の方だった。
「おいHAL、私は彼らを呼んできたぞ。お前は私に言ったことを守らない気か?」
「何?」
「音のことだ」
「音のこと? ……ああ」
「まだ、聞こえるんだぞ! いい加減取ってくれ」
「あー」
そう言えば、と彼は天井を仰ぎ見る。
「ああごめんね、あれは取れないんだよね」
「何!」
掴みかかりそうな勢いで朱夏はHALに近寄る。
「お前私に嘘をついたのか?!」
ごめんごめん、と満面笑顔で彼は両の手をひらひらと自分の胸の前で振る。朱夏は今にもかみつきそうな雰囲気になっている。
「本当、でも嘘はついてないよ。俺は断言してないもの」
「……」
「でもあれはね、他に一番大事なものがあれば、そう苦にはならないはずだよ。だって朱夏、君、安岐が居る時には大丈夫だったんだろ? 安岐と一緒に居る時とか、安岐のことを考えている時とか」
「まあそうだが」
それはそうだが。