一方そのライヴの当事者達であるが、こちらはこちらで忙しくなっていた。
何しろレコーディングを済ませなくてはならない。プロモーションをしなくてはならない。そしてそれから全国ツアーである。
そこまでしなくてはならないか、とも社長すら言った。何もそこまでしなくとも、と。だがそれは布由のけじめだった。
「最後になるかもしれないモノをさ、いい加減に出せないだろ? 俺は出したくないよ」
そのためにはきちんと音を入れて、ちゃんとプロモーションして、なおかつそれで客には楽しんでほしい。それは布由も土岐も一致した意見だった。
そして朱夏はいきなり役目を一つ増やされた。
「私がギター?!」
さすがにその発案は朱夏をも驚かせた。
「弾けるって言ったのはお前だろ?」
そう、以前朱夏自身の口から布由も土岐も聞いたのだ。実際その後、譜面と「お手本」にするギタリストの音さえあれば、完璧に「コピー」することができることは証明されていた。
「……ああ」
「ライヴで弾いたこともあるって言ったな」
「……ああ」
「緊張するくせでもあるのか?」
「……無い」
それは当然だろう、と訊ねた布由も思う。緊張する程の自我は無かったはずだから。
「だったら大丈夫だ」
「布由!」
「なるべくなら連れていくスタッフは減らしたいの俺は。お前は『適数』に入らない」
「……まあそれはそうだが」
「だろ? だったら言うこと聞きなさいよ」
わかった、としぶしぶ朱夏は了解する。
「ただお前のギターって、どーもあっさりしてるから、俺達のレコーディング中、予定の曲をレクチュアしてもらえ」
そしてぽん、と普段のサポート・ギタリスト氏の前に押し出された。
彼はBB専属のバックバンド、というのではなく、たまたまBBと気が合って毎回やっているスタジオ・ミュージシャンの一人だった。
今回のツアーの半分を彼女にやらせたいから、あんたの弾き方をコピーさせてやってくれ、と布由の頼みに、訳判らないながらもYESを出した人だった。
彼は朱夏に訊ねた。
「どの程度弾ける?」
「譜面通りになら何でも」
「基本はそれで上等。あとはどれだけ連中と一緒に熱くなれるか」
「……それは難しい」
「じゃあ徹底的にステージの僕を見ていて。君は完璧なコピーができるんだろ?」
「おそらく」
「だったら、そういう部分もコピーすればいい」
「それでいいのか?」
彼はにっこりうなづく。
「ただね朱夏ちゃん、ステージが広い、ということに気をつけるんだ」
「と言うと?」
「布由は君は絶対に緊張はしないだろう、と言っていたけど?本当にしないの?」
「無い」
朱夏は断言する。
「それだけは、大丈夫だ」
「それは頼もしい」
サポート氏は断言した。
「基本的にはお前は、最終日さえに使えればいいんだ。だけど最終日だけってのはまずいだろう? だから半分」
二人の会話を聞いていた布由はそう説明する。
「私に当たった客は残念だな」
朱夏はぼそっと言った。布由はそれを聞くと、
「違うの朱夏。そこで私に当たった奴は幸運だ、くらいのことを言わなくちゃ」
そんなことをウインク混じりで言ってのけた。朱夏は呆れる。
「そういうものなのか?」
「そのくらいの気で行けってこと。お前の本体だってライヴの時はそうだったさ」
「HALもそうだったのか?」
朱夏は本気で驚く。いまいち彼がそういう態度をステージ上で見せる図は浮かばない。
「そう言えば朱夏は、連中のセルビデオは見たことがなかったんだよな……俺も久しぶりに見たいわ。一回しか見てねえ奴があるんだ。夕食一緒にしよ。見ようか」
*
ツアーに出たのは、それから一ヶ月後だった。
朱夏はサポートのサポート・ギタリストだ、と周囲には紹介された。さすがに女性ギタリストが少ない業界ではあるし、しかもBBのファンは女性が大半である。それを懸念する声もあった。
だが実際の演奏を聞いて、少なくとも音に対する彼女への批判はなかった。音には関しては、サポート氏の完全なコピーだったのだから。
その件については布由は彼女にそれ以上を期待していなかったし、期待する必要もなかった。何しろ朱夏自身に「ライヴで熱くなる」ことを期待すること自体、全くの間違いなのである。
外見は…… まあ女の色気は全くなさそうな所で周囲は妥協した。
実際彼女のステージ衣装は、どこのギター小僧だ、というタイプのものだった。身体の線もほとんど出ない。パンフレットにも彼女の名も写真も載らないので、雑誌を読まない、しかもライヴだけで彼女を見た客は、華奢な男の子、と見なしそうだった。
ツアーは北から回った。二ヶ月間、全国二十四ヶ所。大都市によっては二日連続の所もある。基本的には、普通の地方都市では、千人~二千人程度のホール、大都市ではアリーナ・クラスを回る。
BBでもこの規模のツアーは、そう度々やるものではない。
朱夏が動じない奴で良かった、と土岐はしみじみ思う。
「土岐?」
ひらひらと目の前で手を動かされてびっくりする。
「あ、朱夏? ……どうしたの」
「お前、呼んでもなかなか反応しないから寝ているのかと思った」
「……ああ、ちょっと考え事」
土岐はさらさらと落ちてくるストレートの髪をかきあげて、キャップで改めて押さえた。
移動中の列車の中だった。その客車一本は彼らとスタッフで貸し切りの状態である。
「家族はいいのか? こんな長いツアーの時に……」
「いいの。それは大丈夫……」
「そうか?」
まあね、と土岐は笑った。
「まあうちの家族は、一応俺があのスタジオとか事務所とかに通える範囲の所に住んでるのよ」
「そうだったのか?」
「そう。やっぱり基本的にはお家にはちゃんと帰りたいからね」
「ほお」
「朱夏は、安岐が助かったら、どういう生活を彼とはしてみたい?」
「うーん」
朱夏はやや考える。いや、「やや」どころではない。土岐が今まで見てきた彼女の中で、一番時間がかかっていた。そしてようやく、どうかな、という調子で彼女は言葉を絞り出した。
「土岐、私は生活、というのがどういうイメージなのかよくまだ掴めない。だからまだよく判らない。それに、あまりそれは考えない方がいいと思うんだ私は」
「それはどうして?」
何となく土岐は興味がわく。
「どうしてだろう? でも思うんだ。私は私にできることしかできない。だからとにかくそれなりに毎日を乗り切っていって…… そのたびに自分に嘘つかずに…… まあ私は嘘はつけないんだが…… やっていけば、最後にはそれで良かったと思える時が来るような気がする」
くす、と土岐は笑う。
「やってみなくては判らない、と」
「そう」
大きく朱夏はうなづいた。
「でもそのためにはまず安岐を助けなくてはね」
「ああ」