そういう友達が、できたのは春だった。
新入生歓迎のコンパは、場所の関係からか、日程の関係からか、違うクラス、違うサークルの人間が何やらブッキングしてごちゃごちゃに出会うことが珍しくない場である。
違うクラスの彼らは、二人して潰れて隣合わせに寝かせさられて以来の仲だった。
同じ大学だったが、学部学科が全く違う壱岐は、東風とは全く学問的興味の対象は異なっていた。壱岐は情報処理関係だったし、東風は生体機械工学が専門だった。
合わないのに、何故かよく話すようになった相手だった。
全く違うクラスだから、休み時間なども合わないわりには、通路棟の掲示板の横のソファでだるそうに煙草をふかしている所をよく見つけた。
趣味は違ったが、性格は似ていた。それが後になってあだになった。
夏南子は当時から彼の恋人だった。現在のように友人とも愛人ともつかない曖昧な立場ではなく、あくまで「恋愛」していた相手だった。名は体を表す、ではないが、彼女の明るさはしばしば同じような悩みに陥りやすい彼らを無理矢理にでもお日様の下へ引き出したものである。
そしてもう一人。
潰れた二人を介抱していた、アルコールが全く効かない奴。それが安岐の兄だった。
だが彼は今はいない。川に落ちたのだ。
冬だった。冷たい満月の夜だった。
都市が閉じた「あの時」は夏だった。それから半年、彼らは共に行動してきた。当座の仕事を探し、都市内に部屋のある友人のところに押しかけ、とりあえず生きていく方法を探った。
都市が満月の夜だけ開く、ということを聞きつけたのは東風だった。その情報は彼らを勇気づけた。
当時はまだ混乱していた。「外」とのスムーズな連絡も取れない状況だったし、とりあえず食べていくための職も、今ほど簡単には手に入らなかった。当時立ち上げた新興の「会社」は大半が自滅している。
そしてその情報を頼りに、彼らは冬を待った。冬は夜が長い。夏よりも秋よりも、ずっとチャンスが増えるのだ。
だが彼らの情報は偏っていた。
彼らは公安がどういうものになったのか、全く知らなかった。
「公報」は確かに脱出失敗者の名を流す。だがその失敗者がどうなったのかまでは公表しない。だから、失敗したら捕らえられる。その程度にしか考えていなかったのだ。
甘かったのだ、と東風は今になって思う。
黒の制服の公安は、脱出しようと橋を走る者に容赦なく銃を向けた。現在では、彼らの銃は基本的に麻酔だということは裏では知られていることであるが、当時そんなことを知る者はまずいない。この国の人間は銃に慣れていない。ただ逃げ、そしてバランスを崩して、川へ落ちるのである。
そして川に落ちたら、二度と上がってこない。
川にはいつでも霧がかかっていて、その底がどうなっているのかまるで知れない。十年経ってもそれは同じである。従って落ちた人間を引き上げて葬儀を出すことすらできない。
市民が黒の公安を恐れるのはそのあたりにある。彼らは基本的には、脱出を図る市民を捕らえようとするが、出られるくらいなら川へ叩き込む方を選ぶのである。それもひどく冷静に。
一度彼は見たことがある。捕らえられることを頑固に拒否した一人を、二人がかりで川へ投げ込むのを。
ああはなりたくない、と失敗した後、彼は思った。
安岐の兄以外、彼らは捕まることもなく、都市の中へ再び逃げ込んだ。
できれば安岐も、手元に置きたかった。だが。
記憶はフラッシュバックする。
「お前が悪い訳じゃない。俺が悪い訳でもない。だけど俺はもうお前と友達ではいられない」
壱岐は確かに言ったのだ。そういう意味のことを。
冷水をかけられたように、体温が、一斉に下がっていくような気がした。
自分が立っているのが不思議だった。めまいがした。
何故そう言われるのか全く判らなかった。訳を聞きたかった。
だけど口は上手く動かなかった。
この場に居るのも嫌だ、と言いたげに走り去っていく壱岐の背中を、呆然と立ち尽くし、見ているしかできなかった。夏南子がどうしたのどうしたの、と揺さぶるまで、一体そこが何処で、自分がとりあえず公安から逃げなくてはならないことすら自覚できなかった。