しまった、と安岐は思った。
気がついたら、朝だった。そして横には人がいる。
こういう状況は嫌いではない。だが。
形のいい大きな目は、閉じていても綺麗なラインを描く。いつの間にか終わっていたらしい停電のせいで、部屋の中には朝というのに、こうこうと明かりがついていた。おかげて朱夏の顔がよく判る。
「何時だ……」
安岐が動いた拍子に目が覚めてしまったらしい。大きな目がいきなりぱっちりと開く。うつ伏せの身体を腕立て伏せの要領で彼女はゆっくりと起こした。
「何時だ?」
安岐は黙って時計を拾うと、彼女に渡した。やや長めの前髪が、ばさりと目の前にかかる。それをかき上げながら彼女は時計の文字盤を見た。
「六時四十三分か」
「まだ早いよ」
「そんなことはない。もう朝は朝だ。明るいし辺りも見える。ところで私の服は何処だ?」
再び彼は黙って辺りを指した。おや、と朱夏は目を丸くした。
「ずいぶんと飛び散っているなあ」
そしてのそのそとそれを拾う。同じ調子でそれを身につけかける。安岐はその様子をぼんやりと眺めていた。ひどく現実感がなかった。
これははずみだ、と彼は思う。だがはずみにしてはあっさりしすぎている、とも思う。
「? どうしたのだ?」
ストラップレスのブラのホックを止めながら彼女は訊ねた。
「いや別に」
「私の顔に何かついているか? 何やら視線がこちらに集まっているが」
「ああ、やっぱり綺麗だなと思って」
「なるほど」
「怒らないの?」
「何を?」
「いきなりああいうことしてしまって」
「どういうことだ?」
安岐は言葉に詰まる。
「私と寝たことか?」
「そういうことだね」
「でもあれは私がしてくれと言ったことだ。お前は悪くない」
「触れてくれとは言われたけどね。でもそれ以上をしてしまったのは俺だよ。俺がしたかったからしたの」
「でもお前がどう思おうと、私は触れられてると音が…… だからお前が何か思う必要はないと思うが…… それに人間の女ならそこでいろいろあるのかもしれないが、私はそうではないし」
「え?」
人間の女ではない?
「お前は私を綺麗と言った」
「うん」
それは事実だ、と安岐は思う。
「私はレプリカントだ。それでも私はお前にとって綺麗か?」
彼は数秒黙った。
どうだろう、と彼は思った。頭の中でレプリカントに関する多くもない知識が引っぱり出されてぐるぐる回る。
さほど多くの知識を持たない者にとって、レプリカントはロボットやアンドロイドと同じである。人間に作られた人間以外のもの。人間の皮をかぶった機械。そういった認識が普通である。
もちろん安岐も、その例にもれない。
だが常識を現実が揺さぶる。
「綺麗だよ」
「本当か?」
「本当に」
そうなのだ。
理性ではどうなのだろう、と考えているというのに、彼の感覚は、彼女が綺麗であることを認めている。
そして彼は理性と感覚の答えが違った時には、感覚の方を優先することにしていた。
「本当だよ。最初から全然変わらない。俺は綺麗なものが好きで、あんたは綺麗だ」
それは本当だ。
「そう言われるのは心地よい。もっと言ってくれ」
朱夏は安岐の頬に両手で触れる。そして突き刺さるのではないかと思われるくらいな真っ直ぐな視線で彼を見据える。
そして彼はその言葉に応える。
「あんたが好きだよ」
安岐の頭の中で、昨夜のサックス奏者の声が弾けた。