詫護市は完全に廃墟と化した。
今の状態こそ、撮影しておくべきだと主張するココルを黒燈が説得した。
「まだ氷珂がいるかもしれないし、しばらくたってからでも遅くないんじゃない?」
「時間がないのわかってるくせに」
ココルはうなだれて、呟く。
結局、氷珂を逃したジュードローカは、黒燈たちを元の待ち合わせ場まで送って行って、別れた。
氷珂は思うところが、何個もあったが楓李に頼らなければならない。
だが、今は休ませることだと思ったため、疑念を一時、忘れることにした。
夕刻、事務所兼自宅に戻った彼は、二人を寝床に追いやる。
一人でレトルトのカレーを食べた彼は、身支度を改めて整えて外に出た。
疲れた体に鞭を打ち、マトリアス・リーのウルータ・リードの本拠まで歩いてゆく。
見慣れたコンクリートを打ちっぱなしにした建物までくると、階段をのぼり、ドアのインターフォンを押す。
しばらくたって、ドアが開けられて、若い衆に案内された。
今回は、マトリアスはリビングにはいなかった。
自室まで案内されると、ノックをして、ジュードローカが来たと告げる。
中からは入るようにと返事が返ってきた。
部屋に招き入れられると、そこには、机と、向かい合ったソファが置かれ、高そうな絵画が飾られていた。
「久しぶりだな。まあ、そこで話すか」
そういって、スウェット姿の彼は、先にソファに腰かけた。
ジュードローカも、向かいに座る。
「で、今回はどうしたんだ?」
「芽羽凪さんのことですがねぇ……」
ジュードローカは、相手の目を凝視していた。
「どういう子なんです? ちょっと手が付けられなくて困っているんですが」
直接には、消えたとは言わない。その代わり、手が付けられないという言葉に嘘はない。
慎重にジュードローカは言葉を選んでいた。
マトリアスはしばらく軽い笑みを浮かべながら無言だが、やっと口を開く。
「そうか、おまえでも手に負えないか。まあ、俺でさえなんだから、しかたがないが」
当たり障りのない言葉が返ってくる。
「芽羽凪さんを供養祭の人身御供にすれば、他の組織にも自分の子供を出せと、言える立場になりますね」
「ああ、その通りだ。狙いはそこだよ。さすがジュードローカだ」
「あくまで供養祭は行うのですか?」
「やるともさ」
マトリアスは当然だという風に答える。
「先日、マトリアス・リー会長に会いました」
「ほう……」
ようやく、マトリアスの冷静な態度が崩れかけた。
「芽羽凪はまだ、二人いると聞きましたが? 私はそちらの方も保護すべきでしょうか?」
突き刺すような口調のジュードローカだった。
マトリアスは明らかに動揺していた。
だが、すぐに態勢を整え、笑みすら浮かべる。
「さすがだな。そこまで調べたか。なら、二人がどこに行ったかもわかるだろう?」
「お探しですか?」
「当然だ。今回の供養祭のために偽物を用意し、本物はしばらく身を潜めさせていたが、いつの間にか連絡も取れなくなった」
彼は、計画がバレたとした場合の処置も考えていた。
他の組織も同じことをすれば良いのだという、提案がそれだった。
「いえ、未だに把握してません」
マトリアスは、残念そうな表情を見せた。
「ならば、新たに二人を探すように、おまえに頼む」
「それならついでに受けましょう」
彼らが話していると、下の階が騒がしくなった。
マトリアスは、思い切り床を足の裏で叩きつける。
事務所中に響いたはずな会長からの叱責は、一瞬しか効果がなかった。
「全く。何事だというのだ」
ドアが急に開き、少女が堂々とといった風情で現れた。
「リーンカーミラ……!」
「芽羽凪!?」
マトリアスの言葉に、ジュードローカはハッとなった。
二人というのも、サイロイドというのも、嘘だった。
芽羽凪は初めから一人で、代わりが一人いるだけだ。それが、リーンカーミラを名乗っていた芽羽凪本人なのだ。
「戻ってきたわよ、お父さん。歓迎してくれる?」
「おまえが帰ってくるにはまだ早い!」
余裕ぶって扉をしめ、二人に向き直った芽羽凪に、マトリアスは明らかに驚き、動揺していた。
南戎踊島でナンバーワン組織のトップがだ。
「おまえが、芽羽凪だっただと?」
ジュードローカはまだ信じられないといった口調だった。
「そうよ、ジュードローカ。今まで黙ってて悪かったわ」
「じゃあ、今までの芽羽凪は何者だったんだ?」
「名前はハーミルリラ。孤児よ。それも只の孤児じゃない。いや、孤児という言い方も悪いね」
歯切れが悪い。
ジュードローカは、知っているならばはっきりと言わすつもりだった。
「もう一度、訊く。何者なんだ?」
「言ってみれば光球ネットワークの管理者と言ったところだわ」
訳が分からず、ジュードローカは呆然とした。
芽羽凪はもうジュードローカには興味がないといった様子で、マトリアスに視線をやった。
「あたしがここに戻ってきたか、理由はわかるでしょ? おとうさん」
「待て、芽羽凪! 一体何の不満があったというんだ!? おまえの願いはかなえてきた。言うことも聞いてきた。いまさら、どうして……」
「だからよ」
彼女は冷たく静かに言い放った。
「何でも好きにできるなら、あなたは本当は要らないじゃない?」
「なっ!?」
悲し気な雰囲気を、芽羽凪は一瞬放った。
「さようなら、おとうさん」
彼女は、腰の裏から拳銃を抜くと、その顔面に弾丸を撃ち込んだ。
マトリアスは、弾かれたように首を後方に折り、ソファの上に倒れると、体重で床に転がった。
「……で、おれも殺るのかね?」
この期に及んでも超然としているジュードローカを、芽羽凪は見下ろした。
「あなたに用はないわ。殺す必要もない」
「それはありがたい。では、帰っていいかね?」
「ええ、どうぞ。護衛はいる?」
「いらないな」
短いやり取りをすますと、ジュードローカはあえてゆっくりとした動作で立ち上がり、芽羽凪の横を通り過ぎた。
案内された時の逆に廊下を通り、ジュードローカは、ウルター・リードの本部から、外に出た。
彼が家に帰ってくると、従業員二人はすでに起きていた。
「おっかえりー!」
楓李が、跳んで抱き着いてくる。
受け止めてから床に下ろすと、不安げな表情が見上げてきた。
「いま、ウルター・リードから布告が出たんだけど、あれ、ホント?」
「どんな?」
突然いわれても、ジュードローカにわかるわけがない。
いったん、ソファに落ち着き、楓李は浮遊ディスプレイを開いて録画していた画面を再生する。
そこには、芽羽凪が映っていた。
「皆様にお知らせがあります。ウルター・リードの会長マトリアス・リーは、突然の心臓発作で昨夜、亡くなりました。組織の今後を一晩一同で考えた結果、私こと惟瀬芽羽凪が跡を継ぐことになりました。今後とも、我々にご協力をお願いします」
ジュードローカは、驚きもしなかった代わりに納得した。
確かに、先刻までそれ以上のことは考えられない状態だった。
画面の映像はまだ続いた。
芽羽凪は堂々とした表情のまま、言葉を紡ぐ。
「なお、は私、惟瀬芽羽凪の名をもって今後一切中止いたします」
これには、ジュードローカも納得した。
だが、まだ先があった。
「供養降豊祭の代わりに、天の光球ネットワークを知るものもいると思いますが、あれは今中心とされているフローエンを管理者として推挙します」
フローエンという名前は初めて聞いた。
楓李に言って、経歴を洗わせるる。
彼女は、あっという間に、調べたデータを出してきた。
すでに地上では一年前に死んでいる。享年十五歳。高校生で、恋人とともに、心中自殺。だが、彼女の方は生き残ったようである。
「それがさ、この彼女ってのが、芽羽凪なのよね」
胡坐で頬杖をつき、楓李は言った。
「なるほどね。全ては計画通りってやつか、もしかして?」
「わからないねぇ、そこまでは」
沈黙が降りた。
とにかく、ウルター・リードは急な指導者交代劇をうまく納めて、さらには、ライト・シードの支配権まで、奪ったということだ。
これで、この組織は盤石になるだろう。
ジュードローカは、複雑な顔をして、結論をだした。
ホテルの一室で、テレビを見ながら、ほほ笑んでいる少女がいた。
黒いブラウスに黒いフレアスカート。
ハーミルリラだった。
あの時の二人が約束を果たしたのを満足げに見ている。
これだから、この役割のやりごたえというものがあのだ。
彼女は人間ではなかった。
すでにこの世にはいない、天の光球の一人だ。
「これで、満足でしょう?」
テレビに向かって、ハーミルリラは笑顔で呟いた。
ココル:損傷率 六十九パーセント
黒燈:損傷率 四十五パーセント
電灯が一つの小屋に帰ると、ココルはさっそく服を脱いだ。
黒燈がチェックして、記録する。
「とんだ災難だったねぇ」
服を着ながら、のココルは他人事のようだった。
「あんたねぇ……」
さすがに黒燈は呆れる。
「まだ、安心なんかできないんだからね」
「でも探索はまだまだ続けるよ」
真っ向から、黒燈の言葉を否定するココル。
「もう、時間がないんじゃない? 多分、次が最後だと思う」
少女の声はどこか暗い。
「あら、もうそんなに経ったの? まだまだかと思ってたけど」
「無理ね」
一言で両断する。
「ここはいいけども……」
黒燈は、渋い顔をした。
「正直、今回の芽羽凪の件で、壬酉市が心配」
「あーねー」
ココルは納得した。
「伝えておくべきだったかな?」
「別にいいんじゃない? そのうち、嫌でも知ることになるから」
「まぁ、それもそうだけどさぁ」
その時、小屋のドアがノックされた。
「……こんなところに客?」
黒燈が警戒して、拳銃を手にした。
「晩御飯もまだだっていうのに」
ココルの言葉はずれていた。
とりあえず、扉を開くためにココルが椅子から立ち上がる。
そこに立っていたのは、黒一色の服装をして、傘をさしたハーミルリラだった。
「この前ぶりね」
彼女は屈託なく挨拶をした。
「あなた、芽羽凪役をやっていた……」
背後から、黒燈が声を掛ける。
「本名はハーミルリラよ。よろしくね」
「どうやってここを?」
「あたしも少しは、デッキ使えるんだから」
もちろんここはデッキになど記録されていない。軽いジョークといったところだろう。
「まあ、はいりなさいよ」
ココルが呑気に招き入れるのを、黒燈は苦い様子で見ている。
「あー、あっちのお姉さんには、あまり好かれてないようねぇ」
ハーミルリラは黒燈をチラリとみて、苦笑した。
「別にそんなことは……」
黒燈は、慌てて否定する。
「別にいいの。気にしないで。慣れてるから」
「慣れてる?」
「そう」
テーブルの一郭に立った、ハーミルリラは、二人を見下ろしていた。
ココルが椅子を用意して、中央のテーブルにつかせる。
「好かれることはしていないからね」
ここで笑顔のハーミルリラである。
「あなた、何者なの?」
黒燈が訊いているあいだ、ココルは冷蔵庫からバカルディを持ってきて、蓋を開けていた。
「知りたい? 後悔しない?」
もったいぶった言い方。
ココルがラッパ飲みする前方で、黒燈の興味深げに目が光っていた。
「正体不明の相手にここが知れたんじゃ、色々考えなきゃならないのよ」
「なるほどねぇ」
ハーミルリラは、頷いた。
「あたしは、死神。死者を見とるのが仕事。でも今回は特別ね」
「死神……?」
黒燈の頬が緩む。
彼女は、耐え切れないという様子で、笑った。
「たしかに、特別だね」
「でしょ?」
「さらに特別な話があるの」
「なに?」
黒燈はすっかり警戒を解いていた。
ココルがニコニコしながら、バカルディの瓶を口にする。
「願いを一つ叶えてあげるわ。生きる以外のね」
「……願いねぇ」
黒燈は考えて、無言になった。
「ねぇ、訊きたいんだけどさ」
ココルがその間に声を出す。
「はい、なにかな?」
「本物の芽羽凪いうフローエンは、どういういう経緯で死んだの?」
「それが……私は止めようと思ったのですが」
ハーミルリラは喋りだした。
「そらの光球のネットワークを知ったフローエンは、明らかにこれから、利用されるだけ利用される人生の芽羽凪のことを心配して」
「うん」
「無理心中を計画して、実行したんです。芽羽凪さんだけは助かるようにと」
「フローエンは?」
「彼は最初から死ぬ気でした。光球となって、天のネットワークを支配するために。地上で成仏できない戦艦たちや魂を集めるのです。供養祭の代わりですね」
「まあ、衝撃的と言えば衝撃的だけども、ただの少年一人が、ネットワークを支配できるものなの?」
「時間を考えてください。あなた方と、彼らの」
「……ほー、そういうことねぇ」
黒燈が関心したように、横から言ってきた。
「でも、まだ、理由があるんでしょ? いくら組織の人間だと言っても、フローエンがそこまでするとは、よっぽどのことじゃない?」
「はい。付き合いはもちろん、リー会長から反対されていました。加え、フローエンの両親は自殺でした。そして、兄は、供養祭の人身御供となっていす。」
「なるほど」
「フローエンはアルバイトもしていましたが、どうやら芽羽凪から援助も受けていたらしいです。出どころは、組織の運営資金から抜き取った分よ」
「でも、まだ十代でしょ? そんなにお金がかかるとか思えないんだけど」
「両親が死ぬ前にやけになって、莫大な借金を背負い込んだのよ。二百億入ってるわね」
世の中、金を使おうと思えば、滝のように流し込めるところが大量にあるものだ。
「なるほどねぇ」
「で、あたしたちのところに来たのはいいけど、問題があるんじゃないの、一つ」
すっかり顔を紅くしたココルが口を挟んできた。
「ええ、大元が手付かずです」
ハーミルリラはココルに向き直る。
「どうするのさ?」
「安心してっくださいな。それは、ジュードローカにお願いしておきました」
「ああ、なるほど。それなら、問題はないな」
黒燈は、一つ息を吐いた。
「で、見とるというと、最後までいるってことね?」
「なにか?」
嫌悪の雰囲気を察し、ハーミルリラは訊いた。
黒燈は、両膝を抱える。
「私たちは、二人だけで、最後にしようと思ってたんだ。だから、正直……」
ハーミルリラは、ふむと一声だした。
「なるほどです。それもいいですねぇ。では、私はこれをあいさつ代わりとして、退散しますか」
彼女は立ち上がると、ドアまで黒燈が送っていった。
「ごめんね、せっかく来てくれたのに」
「いえ、いいんです。私がここに来たのは、特別ですから」
「どうして特別なの?」
「あなたたちが特別だったからですよ。今時いませんよ。わざわざサイロイドに乗り移って最後を迎えようなんて」
黒燈とココルは笑った。
「なかなか、風流だろう?」
「ええ、そう思います。本当に」
その言葉を最後に、ハーミルリラは闇の中に消えていった。
ジュードローカは最初、リリアナにどう復讐してやろうかと考えていた。
だが、彼女にも立場があったのだろう。
楓李と空名はすでに寝ていた。
携帯通信機で、リリアナを呼び出す。
「どーしたー、こんな夜中に……」
間延びして、眠たげな声が聞こえてくる。
「おまえ、俺を騙しただろう?」
「……あー、んー、そうかなー?」
覚えがないかのように彼女は恍ける。
「そうだよ。都合よく記憶喪失になるんじゃねぇよ。おまえ、誰相手にしているか、かわっているのか?」
一気に怒りがわいてきたジュードローカは、まくし立てた。
「まー、そういきり立つなよ。あたしだって、騙してやったぜ、うふふふふとか思ってやったわけじゃないんだよ? リー会長が頼んできたから仕方なくってやつだよ」
相手の呑気さは変わらない。
「リー会長なんて死んだよ。とりあえず、落とし前の一つもほしいところだな」
ジュードローカはおさまらずに言う。
「あー、わかったわかった。幾らか、おまえのとこに振り込んでおくから、それで手を打ってくれ」
「……五本だぞ」
「安いものだ」
「なら、問題ない」
返事も訊かずに、ジュードローカは通信を切った。
「それは万ですか、億ですか?」
突然、本来の真っ黒な服をまとったになったハーミルリラが眼前にいることに、気が付いた。
「おまえ、いつの間に……」
その驚きっぷりに、ハーミルリラは思わず笑った。
「窓から失礼しました」
「どこの?」
即、聞き返す。リビングの窓に変化はない。
「ジュードローカの窓です。ちゃんと鍵は掛けているんですね。いい警戒っぷりだと思いますよ?」
「鍵が掛かっているのに、窓からってことは……」
「ええ、割りました」
ニッコリとハーミルリラは答えた。
ジュードローカは、膝に立てた手に顔を埋めた。
「いいじゃありませんか。興明会からお金が入るんでしょ?」
「うっさいなぁ。ウチの家計や経営に口出さないでもらいたいところだ」
「あ、借金ですか」
「あー、まぁ、そうだな」
ハーミルリラは息を吐いた。
「借金、借金。まったくもって、お金って嫌な物です」
「同感だ」
落ち着いたらしいジュードローカは、ようやくソファにもたれた。
「で、どうして戻ってきたんだ?」
「追い出されました」
悪びれずもせずに言うと、ジュードローカの隣に座った。
「まあ、あの二人のことだ。別に他意があったわけではないだろう」
「そうでしょうね」
「他意といえば、どうしてここに来た?」
ハーミルリラはクスクスと笑った。
「他意がなくとも、嫌われているというのですよ、そういうの。私がいるのは、やはり駄目ですか?」
「ふむ。言い方が悪かったな」
ジュードローカは、心底、失言したと反省した。
その様子に、また、ハーミルリラは笑う。
「で、死神なら、どうしてリー会長の時に、その場にいなかったんだ?」
「あたし、役割失格なんですよ。うまく自分の仕事が果たせない」
「まぁ、そういうことなら別に非難もなにもしないがな」
「しばらく置いてくれます?」
「それはいいが……」
「何イチャイチャしてるのさ……?」
見ると階段のところで、眠気も混ざっているのだろう、目の座った楓李が立っていた。
「いや、別になにも……」
「いやもなにも、してた。ジュードローカの回転チン野郎!」
「なんだ、それは……」
ジュードローカはむしろ呆れた。
反対側に座ってきた楓李はまだ眠そうだった。
「でだ、まあ、居るのは構わないが、おまえがいるべきは、氷珂のところじゃないのか、ハーミルリラ?」
「あれは、違いますから」
「違う?」
「ええ、黒燈とココルが特別だったんですよ。氷珂はただの氷珂でしかありませんから」
「ふむ……」
そういうものかと、ジュードローカは思った。
「氷珂だが、本体を停止させれば、こっちの側の奴も死ぬのか?」
「理論上そうなりますよ」
「ふむ。楓李、おまえの出番だ」
「えー、あー、うん……」
完全に寝ぼけている。
「逆はないということだな」
「ありませんね」
氷珂の本体は、地球衛星軌道上の巨大軍事衛星だった。
人間かサイロイドかわからない姿で、地上に降りて来ていたのだ。
黒燈とココルは、その被害にあった天候衛星と観測衛星だった。
氷珂が暴走した以上、地上でうだうだしていても仕方がない。
ジュードローカ自身にも手がない。
ここは楓李に頼るしかなかった。
氷珂は夜、獲物を求めて、狩場の歓楽街をうろうろとしていた。
あの女はだめだ、ケバすぎる。
あっちは歳がいきすぎている。
あれは、ただの不良だ。
そうして、探し回るうちに、タイトなスカートとジャケットを来た、若い女性を見つけた。
氷珂の好みにぴったりだった。
彼は後ろから女性に近づき、傍近くを歩いていた男に、光球をナイフにして、背中に突き刺して抜く。光球はそのまま消した。
気づかないふりをして、歩いて女性相手にも通り過ぎると、悲鳴がした。
男は背中の痛みに、女性にすがるようにのしかかってきた。
「おい、おまえ、何しているんだ!?」
氷珂は、男を押しのけ、そのまま彼が刺されてたことを知らせないように、女性の手を取って走りだした。
一区画行って脇道にそれた時、ようやく彼らは足を止めた。
息を荒くして、しゃがみ込みそうになっている女性の後ろで、氷珂は浸透圧注射器を取り出した。
首に打ち込むと、女性は急に意識が遠のく。
ナノチップが、脳を麻痺させたのだ。
「おっとお嬢さん、こんなところで倒れては危ないなぁ」
氷珂は一人言って、彼女を片腕で抱きかかえるようにする。
「はい、そこまでだ」
急に路地の奥から声がした。
聞き覚えがあるジュードローカのものだ。
背後を振り返ると、左手に刀を納めた鞘をぶら下げている空名が立っていた。
「おまえらか……」
氷珂は女性を道路に落として、背を正した。
「今更、俺に何の用だ?」
「おまえは、もう駄目だ。見てみな、その女を」
憐みに近い声いジュードローカの声だった。
「もう駄目? 何を根拠に……」
二人に警戒しながら、足元の女性をみると、氷珂は思わず、驚きの呻きを上げた。
彼女は、どう見ても五十代の中年男性だった。
「何がどうなっている……?」
氷珂は、混乱したがなんとか、自分を落ち着かせようとしている。
「しかもだ、相手はただのサイロイドだ。背後には何もない」
「……馬鹿な……」
今迄、目標を外したことなどなかった。
だが、このざまは何だ?
氷珂は冷や汗が湧き出るのを感じた。
「つまり、おまえ本体も、もう限界だってことだよ」
ジュードローカの言葉に、氷珂は自分の両手を見つめて震えた。
「そんな訳がない。俺を誰だと思っている? 八祐理氷珂だぞ?」
「ああ、おまえは氷珂だ。そして、ウィザード・ハットでありハット・アイスだ」
「そうだ、ハット・アイスさ……南戎踊島最大の武装衛星だ」
氷珂は初めて自身の正体を明かした。
無言で光球のネックレスをバラバラにして、身体に周回させる。
「正体を知ったものは、消す」
強い意思によって、口に出された言葉だった。
光球の一つが遠方まで行くと垂直ミサイル発射装置に姿を変える。
すぐにミサイルが、三基づつ、氷珂と空名に向かって飛び出す。
だが、途中で目標を失い、ミサイルは自爆した。
そういえば、こいつらにはもう一人いたはずだ。
姿が見えないということは、どこかに隠れて、ハッキングしているのだろう。
氷珂は光球を数個、無造作に弾いたかと思うと、一本の刀を抜き出した。
真っ直ぐ、ジュードローカに向かって走り出す。
刀の間合いに入ると、袈裟斬りで彼の肩めがけて振り下ろす。
ジュードローカは、半身になって避けると、脚をひっかけ、前のめりになった彼の襟を掴み、顔面に膝を叩き込んだ。
刀を奪い、振るうと、彼の左腕が綺麗に切断されて、遠く跳んでいく。
「クソっ」
背後に飛びのくと、鼻血をだしながら左腕を庇いつつ、氷珂はジュードローカを睨んだ。 「諦めるんだな。今、楓李が、ハット・アイスを改造中だ」
「改造だと?」
破壊ではないのか?
「おまえに興味がある奴がいてな」
ジュードローカは、つまらなさそうに言った。
「……警察か?」
せせら笑うように、氷珂は訊いた。
「違う。そろそろ、来たようだ」
路地にBМW二台と珍しい真っ白なベンツ一台が路地に入ってきた。
彼らの傍まで来て止まると、ベンツからは一斉に男たちが降りてくる。
氷珂に上から、ずた袋を被せて、脚をローブで縛る。そして、荷物のように二人が、っ車の中に運ぶと、ドアが絞められた。
BМWは、まるで一瞬のことのようにして、通りにもどって消えていった。
ベンツから、ただでさえ小柄な少女が猫背に背を丸めて降りてきた。
髪を後ろで二つに結んで、大き目のTシャツにホットパンツ。
外に出る恰好ではない。
見ると、裸足だ。
さすがにジュードローカは呆れた。
「おまえ、なんだその恰好?」
「あー……いいのいいの。すぐ帰るから」
リリアンカは軽く右手を振る。
「おい、楓李」
「はーい」
彼女が呼ぶと、日焼けしたダンクトップの少女は、脇にある雑居ビルの三階の窓から顔を出した。
「今行くから、待ってて!」
どたどたとした足音が鳴り響き、簡易デッキと浮遊ディスプレイを広げたままの楓李が、路地に現れた。
「あれ、どれぐらい弄った?」
あれとは、氷珂のことだった。
もはやサイロイドと見分けがつかない人間は、ネットハックの対象になって久しかった。
「全くなにも触ってないよ、氷珂自身には」
「そうかそうか。それならいい」
「あれのどこに興味があるんだ、あんた」
ジュードローカは興味半分で訊いた。
「あー……。連続殺人鬼の研究はすでにされつくされているんだが、今回のように、憑依してからの連続殺人鬼というのは、色々関心が湧く事例でねぇ」
「例えば?」
「どうして? どうやって? どこが? どうなってる? かなぁ」
リリアンカは真面目に答える。
「要するに、何もわかってないんだな?」
ジュードローカの言葉に、リリアンカは照れたように笑う。
「そうなる!」
「……威張るなよ」
堂々とした彼女に、思わずジュードローカは言った。
「あー、それそれ、あたしも気になる!」
「おー、楓李、気が合うじゃないか。それじゃあ、あたしはいくよ」
「あたしも着いてっていい?」
楓李が小型デッキをしまいながら、リリアンカを見る。
「おや、来てくれるのか。あたしの方から頼もうとしてたところなのに」
リリアンカはまた笑った。
「てか、寒い。さっさと車に乗ろう」
彼女は、自業自得の恰好で文句をいってから、真っ白なベンツの中に消えていった。
楓李も乗り込むと、ドアが閉まりベンツは走って行った。
「……おい、俺ら置いてきぼりかよ……」
後ろ姿も見えなくなって、ジュードローカはつい声に出した。
「……眠い」
空名がやっと喋ったかと思うと、今にも寝てしまいそうな顔をしていた。
「おい待てよ、おまえ背負って家まで帰るなんて、まっぴらだぞ」
「ん……わかっているんだが……」
少年は足元がすでにおぼつかない。
「仕方ない。タクシーにするか」
ジュードローカは、空名の肩を持ち、大通りに出た。
ネオンや酔客などがいまだ賑っている。
時間は午前二時のはずだ。
街は壬酉市ではない。
眞頃(まころ)市という、壬酉市のウルター・リードの傘下にある組織の存在する街だ。
その彼らの前に、また、今度は黒塗りのベンツが一台止まった。
運転席のサイドウィンドウが下がると、見覚えがある程度の男が乗っていた。
「どうも、ジュードローカさん。ごくろうさまです」
「どちらさん?」
ジュードローカは呑気に尋ねる。
「リー会長から指示されまして。家まで送らせてもらいます」
裏でリリアンカとの関係を掴んだ彼は、安心して後部座席に腰を下ろすことにした。
空名はすでに、夢の中だ。
それでいい。彼も疲れた。
いつの間にか、ジュードローカは目を閉じて、眠っていた。
家に着くと、リビングで勝手に浮遊ディスプレイのウィンドウが開き、楓李が元気な表情で現れた。
ジュードローカは、珈琲を淹れながら、彼女の話を聞いていた。
「……で、ハット・アイスなんだけど、これが衛星間で、ネットワーク作りもしてたのよ。何のためだと思う?」
「宇宙でも支配したかったのか?」
自分のつまらないジョークに、ジュードローカは言ったことを後悔した。
「あら、ご名答」
「はぁ?」
つい、間抜けな声がでた。
あれだけ衛星と都市をやっておいて、独自ネットワークで支配とは意味が分からない。
熱い珈琲をテーブルに置き、ジュードローカは、ソファに座った。
「どういうこと?」
彼は続きを促す。
「支配って言い方はおかしいか。要するに、自分が攻撃可能な衛星と、代わりに攻撃可能な衛星とのネットワークね。それも全部、廃棄衛星でよ」
それはまた、面倒くさいことになるところだったと、ジュードローカは思った。
「それで、ハット・アイスはどうなるんだ?」
「廃棄されたものだから、持ち主はいないわ」
言ってから、悪戯っぽく笑みを浮かべ小声になる。
「だから、あたしたちの物にしちゃった。コードネームは、ハット・アイスってそのままよ」
ジュードローカは、疲れて珈琲を一口飲んだ。
「まー、好きにしろよ」
「まだ処理が残ってるの。そっちに戻るのは、明後日になりそうかな」
「わかった」
投げキスを寄越し、浮遊ディスプレイを閉じた楓李に、ジュードローカはため息を吐いた。
「まー、あいつに玩具ができただけいいか」
ジュードローカは、携帯通信機の音声メールを確認した。
「了解した。これからも、よろしく頼む」
短く答えていたのは、ウルター・リードを支配下にした、ハーミルリラからだった。
ココルは、グラスとコップを出してきた。
コップは黒燈用である。
テーブルに置いて、自分はバカルディ、黒燈にはグレープジュースを注ぐ。
「あと、どれぐらい?」
入れ終わると、椅子に座るココル。
「うんとねぇ、ココルがニ十分。あたしが、三十分。意識がなくなるのは、もうすぐ」
「そう。最初はあたしからなんだ」
「うん。でもすぐに追いかけるよ」
黒燈は微笑んだ。
「この一週間、楽しかった」
机に両腕をのせたココルも笑顔をかえす。
「正直、こんなに持つとは思わなかったわよ」
「ほんと、大変だったんだからね?」
黒燈は、苦労をしのばせる顔をしてみせた。
「お疲れ様。ありがとうね」
「お礼を言われる筋合いはないよ。おかげで、ホントいい時間を過ごせたんだから」
「そういってくれると、嬉しいわ」
ココルはグラスを持って、軽く掲げた。
黒燈も、コップを浮かす。
「出会いと別れに」
ココルが言う。
「楽しかった日々に」
黒燈も答えた。
二人は乾杯して、中身を飲み干した。
直後、ココルは急に体から力が抜け、床に倒れ込んだ。
それを見下ろした黒燈も、身体を床に落とした。
気象衛星アールレインボーに続き、観測衛星フライングムーンは、大気圏に突入した。
すさまじい摩擦力が、二つの衛星を焼く。
やがて、二基は燃え尽き、塵となった。
「終わったな」
タバコに火を点け、男が煙を吐いた。
場所は、壬酉市のビルの屋上だった。
サーエンミラーは、煙を風に流しつつ、空を見上げた。
隣には、ハーミルリラが、傘を閉じて立っていた。
「まだよ」
彼女は空を見つめ、光球を一つ取り出した。
それは一人の少年に代わり、二人の前に現れた。
フローエンだった。
「お久しぶりですね」
「……ハーミルリラさん、お久しぶりです」
少年は隣のタバコを吸っている中年が気にかかったようだった。
「大丈夫。サーエンミラーはあなた方になにもできません」
「ところで、僕を呼び出したのは?」
「ライト・シードだけど、あなた一人で大丈夫かと思いましてね」
「というと?」
気にもかけずにこれといった感情を現さずフローエンは訊いた。
「つまり、あそこには旧海軍から、ここ南戎踊島の魂があつまっています。それを、一人で処理できるのかと、ちょっと心配になりまして」
「これは、あなた方には珍しい懸念ですね」
今度は軽く驚くのを隠さないでいた。
「……例えば今度の氷珂のような、衛星からの攻撃に耐えられるかどうか」
「あれは、ライト・シードがまとまらず、スカスカの状態だったからできた事件です。僕が管理者になった以上、二度とそのようなことはさせません」
ハッキリとフローエンが宣言すると、サーエンミラーは頷いた。
「そんなことのために呼んだのですか?」
「いや、心配だったのは事実ですが、もう一つ、頼みがありましてね」
「頼み? 僕にですか?」
ハーミルリラは頷いた。
「何でしょう? 僕にできることがあれば、協力しますよ」
「実は……」
彼女は言いづらそうに言葉を濁した。
「実は?」
促されて、ハーミルリラは、息を一つ吐いた。
「疲れたんだ。いい加減、この役目に……」
「というと……」
「ああ、私も光球となって、しばらくライト・シードの中に入りたのです」
サーエンミラーは、煙を吸い、二人のやり取りを冷静に眺めていた。
「あの時と、立場が逆ですね」
フローエンはほんの一か月もたたない以前を思い出し、苦笑した。
「全くです」
ハーミルリラも、力ない笑いを顔に浮かべる。
「なら、一つ頼みがあります」
「なんでしょう? サーエンミラーを道連れにでもすればいいのですか?」
「おい、ちょっと待てよ、どういうことだそりゃぁ」
彼はタバコの火を靴の裏で消して、抗議した。
「はは、冗談だ。本気にするなよ」
ハーミルリラの力ない笑みが向けられる。
サーエンミラーは、つまらないといった風に、唾を足元に吐いた。
「月の一日でもよいので、僕と役割を交換してください」
「ほう。それで、どこへ行くんです?」
ハーミルリラは意地悪く笑って、ワザとわかり切っていることを訊いた。
顔を紅くしたフローエンは答えなかった。
「いいでしょう。月一と言わず、一週間上げます。若いんだから、少しでも傍にいてあげてください」
「はい」
フローエンは明るく返事をした。