ごめんね。
自殺未遂をしてしまって、いま、病院にいます。ほんとうならこんなお手紙は、送るべきではないのだけれども、でも、あたしの気持ちの気休めの為に綴らせてください。本当に自分勝手なのを許してほしいのだけれども、でも、この手紙を綴ってあなたに送りつけるだけで、多少マシになる激情があるのよ。だから、ごめんだけど、読んだあと、記憶から消してもらってもいいから、燃やしてもらってもいいから、この手紙を送らせて。
あたしは別にあんたを罪悪感で殺そうとはしていない。そして、あのときのあんたを尊重しているし納得している。でも、あなたもあるでしょ? とたんに死にたくなることって。あたし随分長い間薬を飲んでいなかったから、あんたが来ても来なくても、こうなることはたぶん変わらなかった。なんなら、どちらかというと、あなたが来てくれたおかげで、未遂で終わった部分もあるの。だから、本当に、ごめんなさい、懇願するようなつたない事しか書けないけど、あなたに何か強い重圧をかける企みはないし、あなたに死んでほしいと思っている訳でもない。ただ一思いに、この手紙を誰かに送り付けて発散するだけで、あたしの気持ちが半減すると考えてもらえれば、これは人助けに思えないかしら? ともかく、あなたに迷惑をかけたいわけではないし、あなたを追いつめる意図はない。ただ、とにかく、たまらなかったの。抑えきれないものが、もう口から永遠と吐き出ているの。蛇口が閉まらなくて、とめどない気持ちが溢れていて、脳みそ死にそうなの。心も押しつぶされてしまいそう。体が押しつぶされてしまいそう。感情に質量なんてありゃしないけど、もうあたしは、その激情の重さに耐えきれない。
ぺちゃんこよ!
だから、ごめん。あたしを助けると思って、この手紙を黙って読んで記憶から燃やして。そして、もし、黙る事ができなかったら、あたしを記憶の中で殺しなさい。もうあたしを忘れて。
病院には、こなくていいわ。
だって、あたし、元気だし。
その手紙に、にわかにオロオロと手が震えました。
ですが、私は幼馴染に駆けつける事が出来ません。
何故なら、お金がないからです。本当なら気持ちに任せて金を叩き、泊るアテがなくとも電車を乗り継いて行くべきなのですが、手紙の筆跡は幼馴染であるということと、こっちには来ないで欲しい、という文言があったので、何だか猶予を貰えた気がして、私はすぐ駆けつける事はしませんでした。これくらいなら、貰ったサイン付きの漫画をオークションなりで売った方がよかったなと本気で後悔しましたが、今更返してほしいという訳にはいかず、悶々としながら、今日もバイトにやってきます。
「今日は何か元気がないですね」
同じバイトの彼女にそう言われて、焦ります。
「少しね」
と苦し紛れに言うと、彼女は静かにあぶれた横髪を耳にかけて、そばかすがついた顔で私を覗き込んできた。
「……心配になる顔ですね。らしくないです」
覗いて来たかと思えば、そんな的外れな事を落ち着いて言ってくる。彼女は言ってから、表に一人で歩いて行った。
私はここ最近、眠れない。
幼馴染の自殺未遂は間違いなく私が関係している。もしかしたら、私が間接的に否定してしまったのが、最悪の選択肢を誘発してしまったのかもしれない。前も言った事があると思うが、自殺は嫌いな言葉だ。人が死ぬのは、耐え切れない。どうしてか説明できないが、私はなぜか、他人の死が極端に怖いのだ。それは、身近だとか関係なく、まるで本能的に、死という概念が怖くてたまらない。災害の映像を見るのが苦手だ。リスカや流血動画を見るのが苦手だ。何か怪我をするような動画のコメントに、このあとこの人死んだんだよね。と書き込める人の気が知れない。死とは、恐怖だ。
私は本来ならば行かなければならない。
それを理性で分かっているのに、金銭という現実的な理由と、合わせる顔がないという私情と、相手から提供された免罪符が重なって、行かないと言う結論に至っている自分が、とことん気持ち悪い。
こんな自分でいいのかと自問自答するけど、どう考えても、いかない、が結論だから、腹立たしい。ただ、恐らく、この気持ちの悶々さを払拭するためにも、私はいつかいかねばならないのでしょう。彼女は自分勝手な理由で私に感情を吐露すると宣言しました。だからいわば、これは重すぎる愚痴なんですよ。でも、私もその愚痴に対して相談に乗ってあげることも出来ますし、それに、一緒にいてただ話を聞いてあげると言うのも、愚痴の対応として正しいでしょうから、いつか私は、また、幼馴染に会わなければならないのです。
決めました。次の「ごめんなさい」の旅は、そちらに寄ってから、旅にピリオドをつけるようにしましょう。両親の前に、彼女に会いましょう。
あとは、この悶々とした生活を、乗り越えるだけ。
「先輩、最近何か変ですよ」
私がバイトを終え、着替えを終え、裏口から帰ろうとしたとき、途端に彼女からそう声をかけてきました。彼女は学校の制服姿で地味な髪型をしていて、地味な丸渕メガネをしている、通俗でいうところの陰キャのような姿をしている彼女ですが、彼女はつい最近までここまで私に絡んでくることはなかった筈なのに、いきなり、こうして話しかけることが増えてきました。
「なんでもないよ、なんでもない」
「それは嘘です。よいですか、先輩はメンタル死んでる時、顔が死んでるんです」
「趣味が人間観察だったりするのかい?」
「あえて言うならばそうですね」
暇なのか。なんて嫌味が飛び出しそうになったが、ぐっとこらえた。
「ねえ先輩」
彼女は、私の後についてくる。確かに帰り道は途中まで同じだが。こうもしつこいと嫌になる。まあ、その途中までの辛抱だ。頑張って無視しよう。
私はそう硬い決心をしましたが、それは数秒と持ちませんでした。
「漫画の中に紙切れがあったんですけど、これ、先輩宛ですよね?」
彼女がそう言うと、私は静止し、そして振り返った。
あ。と思った。そう言えばあの漫画家から貰った紙切れを悍ましくて、元の位置に戻していたんだ。すっかり忘れていた。
「ああ、そうだった。ごめんね」
私は動揺しつつ振り返り、ごめんね、ととりあえず言いながら頭の裏をぽりぽりと掻いた。別に彼女からしたら特に不快感を示すようなものでもない気がするけど、それでも、怪文書が本に挟まっていたら気になってしまうだろう。それは、悪い事をしたな、と私は感想を抱いていると。
「あれはなんです?」
と訊かれた。
「意味がないものだよ。ただの怪文書」
真相を話してしまうと、私が前科者であるという驚愕エピソードを語らねばならないので、そういう配慮をしてあえて濁した。でも彼女はそれをさらさら信じていないような顔で、へーと言いながら、ぽっと顔を赤く染めて、そして慣れない仕草で続けた。
「もしまだ殺したりないなら」
私はドキリとした。次に何が来るか、勘ぐるように目を細める。
「確か漫画のサインは、たまたま作者の方と友達で、って仰っていましたよね?」
そう言った記憶は私にもあった。
失敗だったと途端に思う。
「そうだけど」
私はそこからどう誤魔化すかの手段がまるっきり分からず、ただそれでも、まだ話すわけにはいかないと心を硬くする。その一方口からぽろりと出たのはなんの誤魔化していない、ただの肯定だった。私は存外、慌てていたのだ。
「じゃあこの紙切れは、先輩に向けてであって、先輩は人を殺してほしいと懇願されていたと」
「……戯れだよ。別にね。何かそれに深い意味があったりするわけじゃない。僕はそういうのじゃないし」
私は慌てながらも、次の言葉には案外誤魔化しが効いていた。それで、彼女の顔を伺うように覗くと、それでも彼女は私の言い分を一切信じていないような、何かしらの確信を持っているような顔をしていた。
「先輩って……世間知らずですよね」
「え?」
「コロナでどれだけ大変だったか。オリンピックが東京であったこと。戦争が起こった。大○翔平が凄かった。ビッ○モーターやばすぎ。処理水問題。何にも知りませんよね? 普通に生きてきて、テレビが家に無くても、私のような存在がいれば聞くようなニュースを、何一つ知らない」
「……」
「あり得ないんですよ。私、ずっとそういう先輩が気になっていたんですけど、聞いても答えてくれなかった。でもつい最近、この漫画にこの紙切れが挟まっていて、ビビンときたんです」
彼女は暗い路地で、顔を真っ赤に照れながら、勇気を出して告白するかのような面持ちでそれを言う。もともと、彼女は人との会話が得意な人ではない。でも、それでも最近は、私に対しては何かと心を開いてくれていた。だから、勇気を出して私にそう聞いているのだろう。
私は別に、自分が前科者であることを恥ずかしがって隠している訳じゃない。話す必要がない事を無暗に話すのは憚られただけである。ただし、ここまで考察され、ここまで詰められて、私は、ついに、私は、その堅苦しい決心を融解させようと、腹をくくった。
私は彼女をみて、観念したよ、と呟いて。
「僕はここへ来る前、人を殺して刑務所にいたんだ」
そう告げると、途端に、彼女と私の間に冷たい風が流れて、木々が揺れ、彼女の髪が乱れ、その時に見えた彼女の瞳から、ぞっとするようなぬるい漆黒と、並々ならぬ渇望が垣間見えた。
彼女は嬉しそうに恍惚とした笑みを浮かべて、
「やっぱりそうだったんですね」
なんて嬉しそうに言って、にわかにはにかんだ笑みを張り付けて、そうして、その場からゆっくりと一歩進み始め、三歩歩いてからざっといきなり駆け出して、私の目の前まで飛び込んで、私は驚いて一歩後退りするが、
彼女は途端に眼前に飛び込んで、私の腕を掴み上げた。
「私は、両親を殺したいんです!」
彼女の表情からは希望がみえて、私はそれに、並々ならぬ畏怖の念を覚えたのでした。