うす暗い部屋で気まずい雰囲気に喉を詰まらせていた。
私はまるで身を粉にするような思いで解明を急ぐ。その感情の名前を、その感情の正体を解明する為に、私は布団の中で彼女に背を向け静かにむせび泣く。泣きたくて、泣いているのではない。彼女にこんな姿を見せたらきっとショックを受ける。だからこの行動が、不適切なのは知っている。知っている! でも、止まらないのだ。私の何かが瓦解している。彼女に対する何かが、音を立てて瓦解している。怖い。とても怖い。なんだ。なんなんだこの感情は。うるさい。うるさいうるさいうるさい! これは、これは、『失望』じゃない!
違うんだ。そんな筈ないじゃないか。彼女の行動にずっと助けられてきた。その恩は? 私は、私? なに丁寧ぶっているんだ。いや、ああ、もう、
ボクは、ナニを、シテいる?
はち切れそうな苦しみが、喉のイガイガを作る。首を絞めているような失望が、目を焦がすように震わす。尋常でない怒りが、拳を作る。計り知れない怒りが溢れだす。コップが揺れる。コップにヒビが入る。コップが落ちる。世界が終わる。悲しみが、海に沈んで、いく。海? 海。海。綺麗なものがみたい。ああ、沈む。何かに全身を包まれて消えていく、溶けていく、体が、身体が耐え切れない。耐え切れない。その感情のパワーが溢れて我が押しつぶされて行く。何かが僕の中に住んでいるようだ。僕だ。コップが、割れる、音が、耳の奥で木霊する。
割れて空虚が物語る。跪き、懇願、破竹の勢いを止めてください、合唱。煩悩。益体。早鐘の音が脳裏にちらつく。哄笑。双眸に写るワタシ。求ム泰然。琴線。睥睨。疑心。杞憂。剣戟。一閃。瞑目、合唱。感涙。妄信。ジコ憐憫。失意。失望。失速。執行。
走れ。奔れ。いや止まれ。止まってくれ。不安の、疾走よ。
「…………」
ボクは。
「失望したんでしょ?」
はっとした。僕の後ろで蹲っていた彼女が、そう優しい声で聴いてきた。
「…………」
「わからないんでしょ。自分の感情が分からない。自分が何を思っていて、自分がどうしたいのか分からない」
「…………」
「それ、病気だよ」
「…………」
静寂が支配して、さながら花が咲いたかのような解放感がしきりに襲ってきた。鬱屈とした空に光が指して、沼から宝石が見つかったかのような衝撃が迸った。いわば、感情の救済。混濁からの脱却、物語の救済、漆黒の中の光。それが、まるで、全てを救済したかのような眩しい光を生み出し、人の苦しみを全てのみ込んだ。それほどの鳥肌があり、にしては、やけに釈然としないような快楽に、違和感と多幸感の狭間にてもがき苦しみ、しかし、多幸感が勝ち、そうして、何もかもがどうでもよくなり、ポジティブシンキングにシフトし、そうして、僕は救われかけた。
次の言葉を言われるまでは。
「ねえ、いま病気って言われて軽くなったでしょ?」
そうして、破壊衝動がことさらに溢れて、縄が首にてしまった。
あ、ああ、あああ。
泣き叫びそうだった。慟哭をあげてしまいそうだった。嗚咽という慟哭をあげてしまいそうだった。頭が整頓されて行く、彼女の言葉で、僕の感情に正解の二文字のスティグマが刻まれて行く。彼女は正解した。僕はいま、確かにスコシ心が軽くなった。そんな我に吐き気がシた。
バケモノだ?
許せない。自分がシンじられない。僕は何をしている? 僕は、ああ、バケモノ。
濁点ガついた、叫ビをしたい。
「ごめんねえ」
「…………」
「ごめんなさい」の旅の最中に、他人から謝られるとは、思わなかった。
僕はなんて返せばいいか分からなかったから、何も言えなかったけど、それを理解したうえで、彼女ははっきりと『間』をその位置に置いているような、『計算』らしき狡猾さを何となく感じた。
「分かってたよ。お前がそうなるのも」
「…………」
「でもごめん。あたしは、ずっとお前と、こうしたかったあ」
「…………」
諦めたように、少し声を裏返らせながら云う。
「惨い人だよね……」
「…………」
そのとき、喉のイガイガがふっと和らいだ気がした。
「……ああ、酷いよ」
なんて根拠もない誹謗を滑らせた。
言ってから、彼女の間が、僕の喉の痛みを和らげたように思えてきて、彼女の底の知れない思考に絶句した。僕は彼女の手の上に乗せられているようだ。と思えてきた。
「でもさ、あたしも我慢できなかったんだ。だって、うつ、だもん」
「…………」
「病気だもん」
「…………」
それを言われると、どうも言えなくなる。まるで、魔法の言葉……だなんて言ってしまったらきっと、よくない。でもそうだ。実際にそうなんだ。魔法の言葉になりうるんだ。
僕は何も言えなくなった。何か責めたいような怒りが確かにあったけど、でも、それでも、その魔法の言葉で僕は黙るしかなかった。何も言えなくなって、何も意見を言えなくなった。そんな僕をみて、彼女はまた全てを知っているかのような態度で、
「あたしはあんたになりたかった」
「……何を言ってるの?」
今度はほぼ意識せず、ついに喋ってしまった。
「あんたに憧れていた時期があるの」
「…………」
「あたしはこんな性格だったから、ずっと女子からも男子からも嫌われていてね。人当たりがいい訳でもなく、ただ思う事をそのまま言っちゃうあたしは、ずっと嫌われていた」
彼女は語り出した。僕はそれを静かに傾聴した。
「でも、思った事をはっきり伝えても離れない人がいた。それが、あんた。あたしからしたらそれがどれだけ嬉しい事だったか。同時に、どれだけ悔しかったか。あたしはあんたの人当たりの良さに憧れていた。みんなと普通に話して、溶け込めて、深い関係にはなれなくても、浅い関係を地続きに作れるあんたを羨ましいと思った。それはあたしが持っていなかった才覚だったから、どうにかして自分もそうなろうとした。だからあたしはあんたと仲良くなろうと思った」
そこまで話して、下心な女でしょ? と冗談臭く言われたが、僕も言ってしまえばそういう存在だったので、同じく、と返すと、彼女は後ろでちょっと笑い声を出した。
途端に彼女が可愛く見えてきた。
「あたしは別にあんたの心が読めるわけじゃない。ただあんたに憧れて、あんたと一緒に過ごす中で、あんたの性格を何となく理解していたっていうだけなんだ。ただ、それだけなんだよ」
彼女はそうまとめて、鼻水をすすった。その音で何となく、彼女も泣いていたと理解した。ただその涙は、僕の態度に傷ついて出た涙ではなく、感極まったものであった。
「……あたしは分からなかった。自分がどうしたいのか」
涙を啜りながら、僕は月光に包まれながら、彼女の悲鳴を傾聴した。
僕にはそれが悲鳴に聞こえた。勝手な共感で、勝手な考察なのは分かっているけど、彼女が言ったその言葉には、その言葉以上の感情が隠されているように思えた。庭に隠して埋めた激情を、掘り起こしてもってきているような、重くも熱くも激しくもある、感情が垣間見えた気がした。
僕はそれに何か言えるほど、自分の中の答えを見つけてはいなかった。でも、その彼女の激情に、何だかまた、元気づけられていくような気がして、にわかに震えた。僕は、自分が思っているよりも、彼女を好きだったのかもしれないし。
……僕は、彼女のコトを、何も知らなかった。