キザになった彼女は別人に見えました。
元々の元気で活発、大雑把で粗暴が一変し、毅然とした態度に澄んだ低い声、それから繰り出されるキザの魂は一級品で、それとなくその彼女にも新たな魅力を見出しそうになる。昔の彼女もそれなりに素晴らしかったが、今の彼女も雰囲気が違い、また良いと思えました。
「……わりいな、家にもてなす用意がないもんで」
「いや、このファミレスも久しぶりだね」
「そうだろ」
家に人をもてなす用意がないとのことで、近くのファミレスへ駆けこんだ。そこは一度、この彼女の家に泊まりに来た時にも来た事がある場所で、一部のテーブルの配置が異なっているくらい。ああ、他は何にも変わっていなくて安心した。
「それで、いつ出所したんだい」
「半年ほど前だよ」
「そうだったのかい。それで、今日は?」
「いや、何というか、謝ろうと、思って」
「謝る?」
彼女はボサボサの髪の毛をかき混ぜて、虚ろな瞳を覗かせる。
「そう。僕が捕まっていて迷惑かけただろうから、それを謝ろうと」
と言いながら、私はやりづらさを覚える。
私はその時、自分のペースを崩されているような感覚に陥っていた。彼女に対して、どういうスタンスというか、テンションで関わればいいのか分からなかったのだ。だから、謝り方も、少しなりきれずに口走ってしまった。そんな私をみて、彼女はフッ、と嗤い。
「あたしは別に迷惑を被らなかったよ。いつかやりそうだなとも思っていたし。だからいらないや、謝罪は」
「……そ、そう」
「まあまあ、でも謝ろうと思う事はいいと思うぜ。反省しているのが見て取れる。お前が計算していなきゃ素直に尊敬できるな」
計算だなんて、ないない。
「いいや、しているね」
「……」
「……」
全てを見透かしている視線が私を捉えている。その虚ろな瞳には真実が見えているような感覚があって、私はそれに、見透かされているらしかった。どうやら今のキザな彼女には、隠し事が出来ないようだ。
「……嫌だな、もう」
なんて拒否感を醸し出すが、彼女の眼差しは鋭かった。固唾で処理しきれないほどの自らの諦めを認識し、私は途端に、両手の手の力を抜ききった。もう無理だと思った。彼女は全てを見透かしている。そういう相手に、隠し事は、阿保らしい。
「……実は、忘れているんだ」
「口を割りやがったな、ほれいうてみ」
彼女はやっぱりなと言いたげな顔で、そう嗤う。
「僕は、僕が殺した人の事を忘れている」
「ほう?」
正直に言ってしまうと、責められるかと思っていた。でも、彼女なら、キザになる前の彼女でも同様だが、彼女になら、腹の内を話してしまってもいい気がしていた。それは彼女に対する私の信頼度が高いからであり、彼女への友達としても関係性がそういうものであるからだ。それが、この数年間で変わっていないといいのだが。と不安を抱きながら、それを告げ終えた。
「そりゃ、記憶喪失ってやつかい?」
彼女はそれに喰いついた。
「……わからない。でも、僕が捕まった直前はしっかり覚えていた筈なんだ。じゃなきゃ、法廷でしっかり受け答えが出来なかったと思うし」
「確かにそうだね。じゃあ記憶喪失は、刑務所に入ってからってことかい」
「きっとね」
私が曖昧に断言すると、彼女はまた髪の毛をかき混ぜて、その目元を見せて、無表情の顔がはっと動いた。
「そうか、それで答えを人に聞かないのはどうして? 刑務所で記憶がないと言えば、もっと待遇が変わったはずじゃないか。それなりの病院に入れてくれたり」
「それは……」
「当ててみよう」
彼女は言いながら、人差し指を立ててみせる。私はその仕草に引き込まれるような錯覚を起こして、指の先端を見つめると、彼女は人差し指の奥で苦笑を浮かべて。
「愚かな贖罪、だな」
彼女は見事に言い当てて、ついに私は度肝を抜かれた。
「よくわかったね」
「そりゃ幼馴染だからね」
なんて笑う彼女は、正しく私があの頃好きだった、彼女の笑みだった。
「僕が記憶を忘れたのはきっと原因があるはずだろ?」
「ああ」
「それって多分だけど、罪の意識だとか、罪悪感だとかそういった類だと思うんだ。少なくとも僕は、記憶を失っている事に気が付いた時に、そう感じた」
赤裸々と当時の事を話す。少し前まで自分のペースを崩されていたというのに、今になると、彼女の口車に乗せられるように、話が紙芝居のようにとんとん拍子で進行せられ、それに、ままならない感覚を覚えた。
「でもそれは、甘い」
彼女はまた断定するように口走る。
「そう。甘い。沢山考えたけど、忘れてしまうのはやっぱり、ただの逃避だったんだ」
「だから?」
「だから僕は刑務所でのお勤めを、「償い」だとは思えなくなった。忘れてしまったら罰も与えられない。なら、僕は、僕の手で記憶を思い出して、絶望しなきゃいけないんだ」
全てが想像以上にすんなりと滑り出した。何もかも、言葉に詰まりそうだった事情が、実情が、破竹の勢いで流れだしたのだ。まさに快便。どうしてこうも語彙が揃っていくのか不思議に思うけども、しかし、そんな隙を彼女は与えてはくれなかった。
「私刑だな」
「……そうとも言えるね」
「はっ」
彼女はなぜか、鼻で私を嗤った。そして彼女は私ではないどこかへ向けて、朧気に呟くように。
「……まあ嫌いじゃないさ。お前のそういう自罰的な部分も、自己憐憫癖も、嫌いじゃあない」
なんて所まで話して、そのタイミングで店員が料理を持ってきた。彼女はオレンジジュースに明太子パスタ、私はコーラにチーズハンバーグを注文し、お互いにそれを食べ始めた。
食べながら、彼女は口を開いた。
「ばかだな」
「え?」
「ばかだよ。お前は」
パスタを啜り俯きながら彼女は言った。私はそれに疑問符を打ったが、その後、その言葉の続きは全くなくて、ただひたすらとご飯を食べて、ファミレスを後にした。
「お前が嫌じゃなければ、今日はうちに泊まっていけよ」
帰り道。一緒に歩いていると、少し前の方をリードしていた彼女がそう無愛想に言った。私は暗い歩道を歩いて、気霜を口から零しながらそれを聞いていた。特に不快感も無く、予定もなかったから、私は一言だけそれに返答をして、あの家へ向かう。
その時、そういえばと、家の近くにあったラーメン屋を思い出し、私は口を開いた。
「そういえば潰れたんだね」
「ああ」
私が言うと、肩が少し浮いて、彼女は溜息をつく。
「去年の十一月に潰れたんだ。コロナのせいで客足が遠のいたんだと」
彼女はまるでタバコでも咥えながらいうみたいに、口を尖らせて言葉を吐き捨てた。そして私は突如、彼女との出会いの時の会話を思い出した。
「女の秘密って、なに」
「おっと」
いうと、彼女はすっこけたような言葉を滑らせて、振り返った。
その姿はちょっぴりみすぼらしかった。
「ついに触れちまうか」
「聞かない訳にはいかないよ」
「はっ、殺人鬼が優しいとはね」
なんて皮肉を言われたが、私はその眼差しを崩さなかった。
次は私の番だ。と言わんばかりの気持ちを視線に乗せた。まるであの時、彼女が私の秘密を赤裸々とさせたように、鋭い眼差しを向けると、ついに彼女は観念したかのように、ため息を零した。
「うつ病になったんだ」
「……」
世界が真っ青になった。
「おい、笑えよ」
「笑えないよ」
彼女は茶化すようにいうが、私はそれに真剣な面持ちを返した。すると彼女はにわかに寂しそうな顔になって、また私に背中を向けて歩き出す。
「会社での人間関係が上手くいかなかった。女は嫌いだ。それで、大体の事に説明がつく。あたしは失業した。そしてうつ治療でまたうつになった。毎月の病院が苦痛だったんだ」
「……」
「毎月毎月、知らねえ奴に見られている気がした。病院に行くたびに同じことを聞かれて、薬を貰って出る。なんだかこいつらに生かされているような感覚がして、それが気持ち悪かった。病院の視線が怖くなった。町中の視線が嫌になった。彼氏にも、縁を切られて、ついにあたしは一人になった」
「……そっか」
「それでいうならさ、お前にやっぱり謝らせるべきだったのかもな」
私が堕ちた声で呟くと、途端に彼女は小さく言って振り返った。そして私を見つめながら、その目を細めて。
「頼れる奴がいなくなった時に、お前が捕まっていたから更に追い詰められた。反省しろばか」
「……ごめん」
「いいさ、別に。所詮お前とあたしは、幼馴染だ。そんな義理はお前にない」
友達なら、助けると言うと思うよ。なんていい奴のフリをしようとしたけど、やっぱり諦めた。結局私はどこまでいっても殺人鬼で、人を殺してしまったのだ。そんな奴が今更キザな事を言えるわけが無かった。だから私は、とても心苦しかったが、それに黙った。
いいや、口籠ったが正しいだろう。
「まあもう、過ぎたことさ」
彼女は最後にそんなふうなキザな言葉を吐いて、ついに家に到着した。
家に入ると、中はゴミ屋敷だった。
廊下を歩くと何かしらを必ず踏んでいき、奥の畳の部屋へ到着すると、知っている顔の仏壇があった。私はそれに手を合わせて、それから、彼女に誘われて、色んな柄の毛布が折り重なった生活感溢れる布団がある部屋に連れてこられた。
「ここで寝るんだ。寝心地は悪くないはずだからさ」
と言われ、私はにわかにその部屋に置いていかれる。
彼女はどこかへ行ってしまったけど、私はまあ、それなりに疲れていたので、上着だけ脱いでその布団に寝転がった。寝心地は確かに悪くなかった。まあ、落ち着きはしなかったけども。
「……」
彼女の豹変に慣れ始めている。
私は彼女がめっぽう好きだった。大好き、といっても差し支えないくらいの気持ちの大きさである。しかし、これは恋愛と言われるものではない。私は、友人として、親友として、彼女が大好きなのだ。彼女の性格には度々助けられたことがあったし、辛い事があった時は、共感なんてケチなものを向けずに、ただそっと横に座ってじっとしていてくれた。いつも減らず口を叩くくせに、その時だけは静かにしていて、その時に、私に対する『理解』を感じた。
私はそれまで口うるさい彼女が好きでも何とも無かったのだが、その瞬間だけ、彼女の気遣いというものが痛いほどに染みて、私は彼女の事が友人として好きになったのだ。人としていい人になろう。ああ、私も「いい人」でありたい。という理想の根底とまではいかないけども、その理想の増強に彼女は一役買っている。そう考えると、私にとって悪い出会いであったとも言えてしまうが、それを加味しても、彼女から貰った暖かなものというのは、私にとってかけがえのないものだった。
だからこそ、彼女には「いい人」である事を知ってほしいし、それを誇ってほしいし、それでいて、そのままで居てほしかった。願望だが。
でも彼女は、それでも私が知っている暖かさのようなものを、もしかしたら残しているのかもしれない。先ほどから感じる名残は、それなのかもしれない。励ます、と言いますか。元気づける、と言いますか。そういったものを私は感じている。この人と一緒にいるだけで心が暖まるような、元気が出るような、涙が溢れそうになるような、そんな温度がはっきりとしていて、私は今のキザな彼女も、嫌いではない、のかもしれない。
無意識なのかは知らないが、彼女のそう言った技能は。
私が喉から手が出るほど欲しかった、「いい人」の適正だった。
憧れなのだろうか。それとも、ただ都合がいいだけなのだろうか。私はこの感情を何と形容するべきか分からなかった。私は、この感覚の名前を、……知らない。
彼女が戻って来た。
私が布団で寝転んでいると、どたどたとこちらへ近づいてくる足音がして私は何か救われたかのような感覚を勝手に抱いた。すると、部屋のドアが開き、廊下にある窓から薄い月光が静かに照らしてくる。私は何となく、彼女の方をむけなかった。
「寝てんのか」
「……起きてるよ」
「そうだよな。そんなにすぐ寝れちまったらのび太だもんな。お前の黄色い服の姿は見た事がなかったから、目を疑ったよ」
なんて彼女は冗談を吐きながらドアを閉めて、私の背中に入ってくる。掛け布団の中に潜って、モジモジと背中越しに彼女の行動が伝わってきて、私は一度寝返りをうち、天井を見上げるように寝転ぶと、
少しの間があって。彼女が私に抱き着いてきた。
「どうしたの?」
「ごめん」
「え?」
「あたし、変わってて、ごめん」
彼女は擦り切れそうに言った。
「そんな君も素敵だよ」
「……はっ、キザだな」
「誰の真似だろうね」
「やめろよ」
それから、また多少の間があって、
「覚えてるか」
「ん?」
「昔さ、家族ぐるみで旅行した時さ、違う布団で寝てたけど、深夜にお前があたしの布団に来たときがあったよな」
「……覚えてないや」
「その時さ、お前私が寝付けなかった中に、いきなり「だーれだ」ってやってきて、すっげえ怖くって飛び跳ねたんだよ。したらお前の顎に私の頭が激突して、お前が悶絶してた」
「ああ、思い出した」
そういえば、昔にそんな事があった気がする。気がする、というくらいに昔の話ではあるんだけど。
「あの時からあたしは、ずっと暗闇で「だーれだ」をされるのが怖くなったんだ。だから、布団とか一人で入るようになって、親からびっくりされたよ」
「それは……ごめん」
「だーれだ」
刹那、私の視界が真っ暗になった。
「……仕返し?」
「そ」
彼女は短く肯定した。
「ぷふ」
そして彼女は静かに吹き出す。
私はそこでやっと彼女方向へ振り返って、もう、といじけてみせようとした。すると、彼女は私の後ろで、下着姿だった。黒くどえろい、下着姿だった。
「……」
「ねえ、布団で一人で寝てるあたしが、どうしてお前と一緒の布団に入ってると、思う?」
よく見ると、彼女は何だか赤らめていた。黒い不潔だった髪の毛が湿っていて、私を待たせっている間にそっとシャワーを浴びていた事を、それは、暗示していた。
「……」
「……しよ?」
私は心臓がはち切れそうな感覚に苛まれた。
それは名前を持たなかった。強いて、いうなれば。
怒りだった。