ホテルへ到着。チェックインして、部屋に入った。荷物だけ増えてしまったので先に預けてしまおうと漫画の入った紙袋を玄関に置いて、私はしばしの休憩を始める。
漫画家の彼とは昔、名古屋に弟と共に出てきた時に知り合った。元々大阪にいた私たちはとある事業の為にやってきて、その時期に弟がとあるバーにて出会ったらしく、その後に私もそのバーに誘われ、そこで邂逅した。お酒の流れで漫画家の夢を語ったり、そして、そう、あの不倫野郎と言われていた男の話も聞いていた気がする。そういえば、彼が何かとんでもない憎悪を抱いていたのを、ふんわりと考えた。
「……」
その不倫野郎の名前は……『ヤスヒコ』だった。
思い出した。
ヤスヒコ、顔はまだ思い出せない。けど、名前だけ思い出した。
「ヤスヒコ、ヤスヒコ」
何故か言う度にゾクゾクする。そして少し、頭の中の靄の存在をはっきりと感知したきがした。途端に、あの夜のことが蘇ってくるような気がする。気がするばかりだな。まあいいさ。大きな一歩だからね。
漫画家としてデビューしていたことは嬉しい事だ。もともと手紙では軽く触れられていたけども、その漫画がどのくらいの規模感、そしてどのくらいの人気なのかを知らなかったから、こんなに有名になっていたのはとても嬉しい事だった。
別に、私に彼の才覚を計るような能力はないが、何となくビックの男になるだろうなと思ってはいたから、しかし誇らしい気分だ。
なんて邪推しながら私はシャワーを終え、テレビをつけて弁当を開ける。テレビでは年始の地震についての報道が、まだ続いていた。そのとき初めて映像をみたが、こんなに悲惨な事になっていたとはと少しショックを受けた。
いやいや、明日は我が身かもしれないんだ。備えあれば患いなし。何か恐ろしいことが起こった時の備えは、しっかりしておこう。「ごめんなさい」を言う旅の最後までは生きてなければならない。
「そういえば」
そういえば、自殺してしまった友人の日記をあれから読んでいないな。
読む気ではあったんだが、弟の留守電でのショックからまた精神を病んでしまい、しばらくは大阪のあの日を想起させる事には触れないようにしていた。すっかり時間が経ってしまったが、あの文豪気取りの日記を今読んでみるか、と思い付き、私は布団から起き上がり、バックの中に仕舞っていた日記を取り出し、一冊目を続きから読み始めたのだった。
その日記は、またあの文豪気取りの文章から幕を開けた。
◇
第一の手記
死にたくなるような人生を送ってきました。
母が死んだあの日から、自分はやけに体調が良くなり、その日から、中学までは大いに順調でした。お道化を演じたおかげで、それなりにお道化友達が出来上がっていて、その派閥の中の一人だった自分は、今や最初で最後の、人生のハイライトを送っていました。
そんなある日、自分の弟がついに中学に入学してきたのです。小学では六年制という事もあって離れた下級生とは距離が離れていたので、当時は気が付きませんでしたが、中学になると、三年制となり、自分が中三の時期に、あの弟が入学してきました。そして、その弟が、小学校に居たときよりも、見違えるほど優秀になっていたのです。
人気者、だったのです。
それなりにビジュアルが良く、そして芸術に強く、彼の絵画は評価され、ついには学内で一番の芸能人となったのです。テレビに出演したときの録画は、未だに家のテレビに残っています。その取り上げ方というのがやけに大げさで当時の自分は大いに嘲笑し、馬鹿にしていたのですが、しかし、世間は違いました。自分の弟を天才とはやしたて、次世代の杉山寧になるだろうと、大いに盛り上げたのです。その盛り上がり様が、どうも、気に食わなかった。
自分は付き合っていた女に頼みごとをしました。
あの人の弱みをみつけてくれと。
ただ、結果は実りません。弟は聖人でした。自分の女がどうたぶらかしても、色仕掛けを繰り出しても、びくともしません。まるで銅像。弟は、功績が付いて回る偉人の銅像と変わりなかったのです。
いよいよ歯の肉が千切れるほどの強い憎しみを抱きました。ともすれば、自分は始動をします。何が何でも弟の弱い部分をさらけ出し、人気者の座から引きずり落としてやると、醜く躍起になったのです。しかし、自分は阿保だったので、まるで上手くいきません。あまりの失敗の多さに、幼いころを思い出すくらいでした。自分の容姿が嫌いで、「可愛い」や「ナルシスト」や「可愛そう」がとにかく嫌いだったあの時、自分が写った写真を抹殺したくなって、アルバムを燃やそうと画策したのですが、結果は酷い有様で、何もかもうまくは行きませんでした。なぜか親が起床してきたり、なぜかアルバムが見当たらなかったり、なぜかライターが見当たらなかったりと散々で、その日から私は、失敗の神様が自分には憑いているのだと信じ始めたのです。それから、何か自分の醜い部分を出した行動を起こそうとすると、必ずと言ってもいいほど失敗するという、ジンクスが出来ました。
実際には大いに勘違いでありましょうが、その時の自分にはおおよそ知能という物が備わっていなかったので、馬鹿な事をして、それを本気で信じたのです。その結果、自分は、始動しようと思い至ったその日から、全てが凶日となったのです。
泥に滑り、突き指し、雨で濡れ、熱がでて、偏頭痛が酷く、大雨が降り、突風が窓を割り、自分を更に濡らし、嗚呼、嗚呼、嗚呼! 酷いじゃないか。酷すぎる。世界は、自分を嫌いすぎではないか? と本気で思い、自分はついに、果てしなく絶望しました。
自然と弟の話題がなくなっていき、結局弟はその後、芸術面で日の目を浴びる事はなくなってしまいましたが。自分は遺恨だけが残り、しまいに潰れました。自分はその時の出来事のせいで、「ナルシスト」の「お道化」で築き上げた派閥からの信頼がなくなってしまったようで、彼女からの絶縁状を機に、自分は本当の意味で孤独になったのです。でも自分は、その事には全く傷つかず、自分の「お道化」があれば、また仲間など集まるだろうと高を括ったのですが、それは大いに間違いで、自分はまた影口を言われながら、ついに、二度目の絶望をしたのです。
どうしてこうも恵まれないのか。自分は、自分の感情を押しつぶして生きて行った方が幸せなのだろうか。どうすりゃいい。どうすれば自分は、普通の人のように悩まず生きて行けるのか。なんて考えていると、ついに、自分は自分の一番の過ちに気が付いたのです。それはすなわち、自分が馬鹿であり自己中心的であり、他人の事を一切考えず、また、自分の醜い私怨で誰かを破滅させる事を正当化できる、その気味悪い極悪な動機を持っていたという、真実なのでした。そしてついに、自分は、自分に果てしなく失望し、末に、希死念慮の概念を認識しました。
どこから間違えていたのか。いいやきっと、生まれてから自分は間違えていたんだ。自分はずっと間違えていた。誰かのせいにするのもおこがましい。だって、自分は、自分が、愚かであるから、誰かのせいにしてしまうのは、その人に気の毒なきがした。
嗚呼。生き地獄。冷汗、冷汗。
母親が死んだあの日からずっと絶好調だった人生は、急な堕落により終わりました。そして自分は、自分が愚かであったことを思い知り、そしてついには、『吐きたい欲求』にかられたのです。何でもいい。喉に手を突っ込んで、何かを腹から吐き出したかった。何でもいい。吐きたい。嘔吐したい。そんな欲求が、自分の脳にこびりついて、離れなかった。そして、死にたいとも思っていましたとも? だって、そうでしょう、そうでしょう? 自分は生きている資格がありません。だって、誰からも好かれていません。自分は生きている資格がありません。だって、最低なクズです。自分は生きている資格がありません。だって、誰かを貶めようとする卑劣な奴ですから。自分は生きている資格がありません。だって、そう、愚かですから。
自分は生きている資格がありません。
だって、ひとりですから。
せめて、仲間がいてくれたらよかったのですが、もう、現実には居ません。
自分の仲間は、本の世界にしかいないのです。ありがとう。大庭葉蔵。存在してくれてありがとう。君がいなきゃ、自分は、どうしようもなく、死ぬしかなかった。
自分は孤立したまま、高校へあがりました。