はしがき
自分が写ったアルバムが嫌いでした。
何枚も何枚も無意味に、大事に保管してあるアルバムを、何度か燃やそうと画策しましたが、全ては偶然の出来事で失敗に終わり、その時から自分は、きっと、失敗の神様にでも惚れられているんだと感じるようになりました。それから自分はずっと、不幸な人生を送ってきたのです。
自分には、人間の生活と言うのが、見当つかないのです。
大阪の辺境で生まれ育った自分は、家族が多い家庭にいました。その中で受ける自分への「可愛い」の強要が、ついに気持ち悪くなったのです。あなたは可愛くありなさい。あなたきっと可愛いから、男じゃあないのよと真剣に言われて、にわかに吐き気がしました。後から思えばそれは、親戚とのただの冗談だと分かっているのですが、当時の自分からすれば、それは自分の否定と、エゴの押しつけと感ぜられ、幼子ながらに気持ちが悪かったのを、鮮明に思い出せます。
自分は男です。ちんちんはついていますし、女の胸を見て興奮もします。どこからどこまで男なんです。可愛いからという理由で、自分を、男ではないと否定しないでください。と、物心ついたときから思っていて、あれは失敗だったと、後に感じるのでした。
曲がりなりにも「可愛い」と言われて、自分は多少、容姿に自信があったのかもしれません。小学校へ上がった時、背伸びをしていきました。可愛い服は御免でしたので、男らしい服を着て学校へ行き、クラスの黒板の目の前に立ち、そして名前をいいます。そして自己紹介にて、自分を堂々と見せつけて、したら、クラスの中である種の噂が立つと思ったのです。その噂と言うのが、他のクラス、あわよくば他学年にまで広がり、自分の地位を、価値を確立しようと想像していました。なんと、いやしい。それは自分が「可愛い」という噂が流れる事を期待したのです。
なんと、あんなに反吐がでると嫌っていた「可愛い」を、自分は皮肉にも好いていたのです。当時の感情を、今の自分では、説明できません。しかし、そこで悲劇が起りました。自分が自負していた自分への過度な自信は、あろうことか、嘲笑のマトとなったのです。
「うわ、ナルシストだー」
なるしすと。その言葉の意味を知りませんでした。最初は、きっと、自分の知らないとびっきりの誉め言葉だと思っていたのです。だから最初こそ、自分は胸を張っていました。可愛いだろう。可愛いだろう。そう思っていたのです。滑稽。ぷっ。
しかしある日、学校からの帰り道、泥だんごを投げつけられ、蹴られたあの日に、自分は初めてなるしすとという言葉が、侮蔑の意味合いであると思い知りました。何度か蹴られ、ついには泣いていると、こいつはナルシストだから何やってもいいんだ。という暴論が鼓膜を破壊していき、全ての幻想に興ざめしました。
家に帰ると、家族総出で泥だらけな事への追及が始まりました。何があったんだ? イジメられでもしたのか? まるで、自分の可愛い愛娘の処女が犯されたのかと聞くような食いようで、何か親が、餌をほいと撒いた途端暴れ出す鯉に見えてきて、今思うと、思い出すだけですこぶる面白かったです。
でも自分は、全てを言えませんでした。だってそれは、元を正せば、自分が「可愛い」と思い上がっただけであり。そんなアホな事をしでかせば、誰でも馬鹿にしたくなるだろうという、謎の共感があったからなのです。思い知りました。自分は存分に、自分のあほらしさに絶望したのです。それともうひとつ、家族へ助けを求めてしまえば、それは終わりだと思っている自分がいました。だってそうしたら、「可愛い」が、「可愛そう」になって、同じ様な扱いを受けるだけだとばかり思っていたのです。「可愛い」と「可愛そう」に、幼い私は違いがそこまで分かる訳でもなく、だからこそ、似ている字なだけに、そんな無意味な危惧をして、結果、家族が信用できなくなったのです。いつも自分を言葉ではやしたてて、自分のために何かをしているのを見た事がない(ただの主観ですので、真相は真逆。親は親なりに働いていましたが、当時の自分からすれば、何をしているか理解できていなく、それを自分は、働いていないと言いがかりをつけていたのです。それに気が付くのは、大学生活で一人暮らしをしてからでした)そんな家族でしたから、助けてと言って、助けてくれるような実感がなかった。
ならどうするか。
簡単でした。
いいや、難しすぎる話でした。
きっと、テレビに出ている東大王とやらでも解けないような、凄い難問だったと思います。その末にむむっ、と英断しました。それは「ナルシスト」を貫く事でした。
ようは、お道化になったのです。傑作! 傑作級の、ド阿保に成り下がったのでした。
いじめられて、ついにそれが板についてきました。
逃げ道の無い苦痛が全身を劈いて、毎日毎日泥をかけられる生活を送りました。誰にも救いを求めることが出来ず、ついには学校で階段から落とされ気を失い、保健室で目を覚ますと、そこにはあの家族が総出で座っていました。自分はとたんに身構えましたが、家族は存外、優しく言います。
「怖かったね」
同情の言葉を告げて、落としたいじめっ子はそれ相応の罰が下るだろう。安心してね。と力強く宣言しました。その様をみて、自分は過去の選択を後悔したのです。なんと、この親は親らしいことが出来ないのではないか、という幻想が打ち砕かれ、親への価値観が一変したのです。でも、にわかに喜べませんでした。何故なら、次の言葉が、全ての元凶でした。
「可愛そうに」
ぞっと、震え上がりました。
何も恐怖を覚える事はないというのに、何かその言葉を聞いたとたん、身が猫のようにビビンと跳ねかけたのです。心臓の鼓動が早まり、そうして、冷たい汗が頬から垂れて、一そう病人みたいな風貌に変化していくのを、気分の悪さから推察しました。
そして、自分はその瞬間に、迸るように理解したのです。
自分はきっと、この「可愛い」と「ナルシスト」と「可愛そう」に振り回されるんだろうと思い知りました。その日から、自分の中で、太宰治が戦友に思えたのです。