ホテルの部屋に入ってから、私はもう気が気ではありませんでした。臆病者という言葉を、真に受けたからです。

私は臆病者だったのかもしれません。

 あの場で生きたいと告げるのは、もしかしたら死ぬのが怖かっただけなのかもしれない。ただ大層な言い訳で、それを正当化してしまいたかった、だけなのかもしれない。なら私は臆病者です。もしかしたら私はずっとそうだったのかも。何か怖い物があったから嘘をついて、自分すら騙して、痛みを疑似的に再現したのかもしれない。もしかしたら私は、とんでもないペテン師なのでは? 誰かからはっきり否定されるくらいの醜い人間性だったのでは?

私は。

 ……私は。

 …………。

 頭が痛い。体が重い。テレビでも気を紛らわせない。頭を壁に打ち付けそうだ。思考がずっと止まらない。渦が回り続けている。何かに侵されているような不安が、疾走感がたまらなく気色悪い。反吐が出る。


「……」


 ある程度収まって、私は弟が買ってくれたお弁当を開く。弟は私が好きだった唐揚げ弁当をチョイスしてくれていたようで、やっぱり弟は私を理解していたのではと思えて来た。でも一旦考えないようにして、その唐揚げ弁当を食べると、久しぶりにありつけたシャバのご飯にまた涙が溢れて来て、必死に弟に感謝した。

 弟は私にお金を渡して去った。弟は大阪から愛知まで迎えに来てくれたらしく、ただし、出迎えだけで私を家に招き世話することは出来ない、と最初に断った。無論、私としてはその気は毛頭なかったので、話がトントン拍子で進んだと思い、それを承諾した。並びに、多少のお金を弟は手渡してくれて、その後は頑張ってねと励ましてくれた後に、私をホテルに置いて帰った。


「ありがとう」


 としっかり弟へ最後に伝えられた。


 今後について考えた。

 まず手狭だかないよりかはと思いボロいアパートに住まわせてもらい、そして手軽なコンビニバイトを始めた。最初の数日はきっと大変だろうと思ったが、刑務所で鍛えていたので体力面は問題なく、案外馴染むのも早かった。バイト先の若い女の子(彼女は丁度夏休みだったので朝までいた)と共に朝から夜までシフトに入り、家に帰ってきて、ご飯を食べて、寝る。という生活をした。案外すんなりと全ての事を行うので、私は意外に人の生活が出来るのではないかとも思えてきた。そこから弟から貰った初期資金をしっかりと大切に使いながら、二ヶ月が経過した。

二ヶ月ともなると給料が入っていて、そこから貯金を行い始めたときだった。働く事への抵抗感はなく、ただただ無意識に職場へと出向き、与えられた仕事をこなす。私は自慢ではないのだが、人に使われるのが上手だと思っている。自意識を問われる仕事はめっぽう向かないが、人に命令されて動く事柄においては多少強いと自負があるのだ。それは、それなりの記憶力や適応力や瞬発力があったからなのだが、その点、同じバイトであった若い女の子は、そういう点がダメダメだった。普通のお客様の対応も碌にできていなく、人見知りなのか、コミュニケーションもままならなかった。というと酷い言い方だが、しかし、実際にそうなのである。彼女は人とのコミュニケーションが本当に、得意そうではなかった。なので、その代わりに、私がカバー行い、彼女からお礼を言われるという体験が、しばしばあり、そこからまた月日が流れていった。

 その日、お金が溜まったので、私は長めの休暇を取って駅へ向かった。

 久しぶりにやってきた名駅に行くと、銀時計の小ささに案外笑えてきた。まあなんて事はさておき、新幹線に乗って大阪へと向かった。そして聞いて居た地区へ黙々と向かい、お気持ちのお土産を片手に、表札を見ながら市街地を歩いて、その白い一軒家を見つけて、表札を発見して、勢いでインターホンを押した。出てきたのは女性だった。私より身長は低く、頬がまるく火照っている茶髪の女性だった。私は彼女に、ご主人の兄ですと伝え、手短にと前置きしてから、その封筒とお土産を手渡した。「ご主人に預けてください。封筒にはお金が入っています」と言って、私はすぐお暇した。


 次に行くのは大阪の中にある、とある友人宅だ。私が学生の頃に色々と仲良くなった彼だが、彼もまた私のごめんなさい対象でしたので、今日はその為に準備をしてきていた。

 彼は私の事を最後まで心配してくれた友人で、まだうる覚えだが、私が殺人を犯す前に、私に電話をしてきた。内容ははっきりと覚えている訳ではないが、恐らくその通話内容は私の悩み相談だったに違いないと思う。自分の行動の記憶が曖昧なのは人として大丈夫なのかと思うが、私はそういう人間なので仕方がない。もちろん自分でもどうなんだとも思った事があるのだが、いうものの気を付けてみて分かったことは、不可能だということだけだった。

 私は過去の記憶を頼りに、最初は学校を探してみた。地図を頼りに坂を抜け、がらんと静かな道を歩き、過去の記憶とは違い更に鬱蒼とした林を抜けた。気が付くと田んぼが目立つようになり、縄手がかまぼこのような造形をしていて、ヒビが入っている道をとことこと歩くと、あの学校が見えた。既に廃校になっていた。

 学校からは記憶を頼りにした。何度も何度も渡ったことがある横断歩道あたりから記憶が蘇っていき、多少肌寒い中、手探りで住宅街に潜入する。見覚えのない新築の家やあったはずの公園が消えていたりしたが、その中で、見覚えがあった街路樹を発見したときは、胸が救われたかのような安堵を抱いた。

 あまりの変化のなさに興奮が隠せない。多少成長していたが、当時の面影がまだ残っていたこともその感動を際立たせた。なんせその街路樹は、私にとって何かと思い出深い物であったからだ。そして、その街路樹を見つけたなら、もう簡単だった。


 街路樹から二個標識を無視した突き当りにある大きな家、築五十年はいっていそうな家が気難しそうに鎮座していた。物々しい雰囲気である家の中に入り、玄関まで入って進むと鹿威しの音が聞こえてきて、ふとノスタルジックな気持ちになっていく。

そうして玄関のインターホンを押すと、中から知らない老婆が出て来て、私はぎょっとしながらも一言聞いた。


「ここに住んでいた人は?」

「死んだよ」


 ぎょっとした。



 家に上がらせてもらい、その老婆の正体が友人の親戚であることを聞かされた。


 あんたの事を知っている。そりゃもう、有名人だったから。という言葉から、私は友人一家の中で笑い話の種になっていたことを知って、少し肩身が狭いような感覚を抱いた。それから私はテレビがつき、白い電灯がついている部屋の座布団に坐すよう言われ、田舎臭い茶碗にお茶を一杯、ギリギリまで満タンになったものを手前に置かれ、その老婆はどっこいしょと私の目の前に座り、持ってきたアルバムを開いてみせてくれた。


 友人はどうやら私が逮捕された次の年に自殺していたようだった。


 自殺の理由は老婆によると極度の精神的ストレスによるものらしく、大学時代の友達から酷い嫌がらせを受けていたと説明してくれた。その時の新聞もついでに見せてくれて、友人が自殺した部分の記事を、老婆は優しくここだと指をさして、教えてくれた。


 自殺。


 嫌な言葉である。


 友人はそのような性格ではなかった。確かに多少読めない部分はあったが、決して貪くさい野郎ではなく、どちらかというと弟のような外交の上手さがあったはず。どこぞのテニサーにでも目を付けられてしまったのだろうか。群れた馬鹿どもは何をしでかすか知ったもんではない。あんな気のいい人に嫌がらせを仕掛けるなんて、きっとよほどの性悪でしかありえないであろう。




「この嫌がらせをしていた奴ら、今は?」


「しらんね」




 それ相応の天罰が下っていればいいのだが。


 まあ、そんな事を考えても、私からすれば仕方がない。物理的に時間の流れがあったことは、どうしようもできない。なんて割り切れれば多少楽だった。だが、多少楽なだけで、心はとっくにどん底だった。どうやら私は、友人と自分を重ねているようだ。


 自殺するくらいに追い詰められた。その結果だけが残っているが、その過程に一体何があったんだろうか。結果しか残らない世界だから分かり様がないのは知っているが、それでも、私は過程に何があったのかを知りたいと、強く願った。


 すると、老婆はそれに感化されたかのように、ちょっとまっとけ。と腰を上げる。感化、というから私が分かりやすくその知識欲的な、はたまた、正義感なのかを表に出したかと言われれば、まったくそうではなく、私が何かを言う前に、老婆は勝手に立ちあがったのだ。


 しばらくして、二冊の本を持って帰ってきた。これは? というと、老婆は云った。




「あいつの日記さ。残しとくのも気味が悪いから、どうせなら持って帰ってくれんか」


「どうして?」


「へへ、あんたなら、こういうの好きだろう?」




 その言い方に嫌味を覚えた。


 私の話がどういう伝わり方をしているのか気になる言い方だ。何か誤解がある気がする。という本音は抑え込み。私はその日記を受け取った。


 別に拒否してもよかったのだけども、丁度、彼を知りたいと思っていたすぐだったから、私は割と嫌な顔をせずに、その日記を受け取った。そんな私の様子を見て、本当にこういうのが好きなんだな。と物珍しそうな事を言われて、とたん、私はにわかに絶望した。




 胸に突き刺さった。私はそんなに、殺人鬼の顔をしていたのだろうか。


 していたのかもしれない。あの老婆は意地悪な人に見えただろうか。顔は優しそうな人だった。私は、それほどまでに、恐ろしいのだろうか。分からない。鏡をみても、分からない。私は老婆にお金の入った袋を渡すと、老婆は嬉しそうにぽりぽりと頬を掻いて、何も言わずに家に戻っていった。私は帰路につき、考えた。


 私は快楽殺人鬼なのだろうか。


 私は、もしかしたら、恐ろしいサイコキラーなのだろうか。確かに、私は人を殺す事に抵抗がない。あの人を殺せと言われたら、別にほんの少しの勇気でやってのけるだろう。包丁があれば容易いし、縄さえあれば嬲ることも出来る。しかし、それで楽しいと私は思えるのだろうか。ああ、もちろん倫理的に人を殺してはならないのは分かっているつもりだ。つもりだが、はて、人を殺した事がある私が、それを言えるのだろうか。分からない。案外私は、そうなのかもしれない。殺すという事のフットワークの軽さが、はっきり否定することができない。


 私は殺人鬼なのか?




 熟考して、疲れた。


 私は外食を済ませてからホテルに泊まった。安いホテルを選んだとはいえ、最低限のスペースとテレビがあれば自宅よりかはマシなので、存分にそれを満喫した。ふかふかの布団が心地よかった。いつも敷布団だったから、出所したあの日ぶりの布団で、妙に疲れがどっとやってくる。そんな中、私はついに、友人の日記を開いてみた。するとそこに書いてあったのは、某文豪の手記のような口調の、とんだ二番煎じの文章であった。