それから大事を取って3日間、クロードはオベール伯爵邸で養生した。伯爵邸の
「パパがクロードのことを気に入ってくれたのは良いけど、クロードは怪我人なのにお酒を勧めるのはどうにかしてほしかったなあ」
マリーとクロードは今、王都に戻るための馬車に乗っていた。パパもその馬車に乗ると言ってきたが、マリーがパパにはちゃんと領地を守るっていう仕事があるんだから、親バカもそこまでにして! と馬車の外へと無理やり追い出していた。
「今度、帰省した時には元気な身体であることを願うよ、俺も。お義父さんには俺が知らない頃のマリーの話をもっとしてほしいからなっ」
「いやだよ、恥ずかしいもん。あの調子だと寝室でクロードといちゃついてる時にも乗り込んできそうだもん」
それはそれで困るなと思ってしまうクロードである。今はまだ清いお付き合いのクロードとマリーであるが、関係が深まればそれ相応の深い付き合いに変わっていくだろう。その最中に乗り込んできては困るのは当然の話だ。
「恥ずかしいと言えばさ……。この獅子のマスク。いつも身に着けていなきゃダメなのかな?」
「んー。そこのところ、どうなんだろう? あたしはマスクを被ったクロードはかっこいいなって思うけど、クロードの素の顔を見れないのはすっごく残念って気持ちもある」
クロードは魔物との戦いを経て、その後、目覚めた。そして、なんとかマリーの父親であるカルドリアにマリーとの交際を認めてもらうまでに至った。その後の3日間、養生している傍ら、たまにカルドリアがクロードの前に現れて、マスク・ド・タイラーの逸話を話してくれたり、マスク・ド・タイラーの遺物の使い方をレクチャーしてくれた。
その中でクロードの変形してしまった右手を普通のヒトの手に戻す訓練も積むことになる。目覚めた時、クロードの右手は黒く変色し、赤い葉脈が走っていた。その肌はまるで甲殻に覆われたかのように固く見え、爪は鋭く尖っていた。その状態からいつもの肌色に戻り、爪も普通の長さと形状にまで戻っていた。だがそれでも赤い葉脈だけは隠せないままであった。
今のクロードの右手は厚手の皮グローブに包まれていた。自分で見てもギョッとした目つきにならざるをえない右手の状態だ。それをひと目が触れるようにしておくわけにはいかない。それとは別でカルドリアから譲られたマスク・ド・タイラーの遺物を膝の上に置いているクロードであった。その中のひとつであるマスクを右手で手に取り、普段、どう扱っていいのか逡巡している真っ最中であった。
「マスクはまあ……。制服のポケットにつっこんでおけばいいか……。籠手は、うん、これは常時装着ってことで……。マントは必要に応じてと……」
「今、しれっとパンツのことを除外したわよね?」
マリーの鋭いツッコミにうぐっ! と口から零してしまうクロードであった。他人の物を譲られて、それを装着してくださいと言われた場合、籠手とマントはまったく問題ない。マスクはかなりギリギリの部類に入る。そしていくら英雄が履いていたと言われても、パンツはさすがに精神的にキツイ。そして形状がブリーフだ。股間にダイレクトにフィットしすぎるのだ。男にとって、これほど気持ち悪い感触はあってはならないものだ。
「女性視点から考えて、ひとさまからショーツを譲られたら、それを履きたいか?」
「あたしは嫌。絶対に嫌。でも美の女神が履いていたというショーツならちょっと考える」
「現金なやつだな、マリーは。でも、そう考えると俺はマッチョ神が履いていたパンツだと考えればいいわけだな? そう考えれば、有りっちゃ有りなわけか……」
クロードがそう言うと、マリーの笑いのツボに入ったのかマリーはお腹を抱えて笑いだす。真面目に考えていたというのに目の前のマリーが大笑いしだしたので、ムッとなるしかないクロードであった。いっそ、この場でズボンとパンツを脱いで、マスク・ド・タイラーのブリーフ・パンツを履いてやろうかとさえ思ってしまう。
マリーは男のシンボルを間近で見た経験など無いはずだ。可笑しくて笑いが止まらないマリーを自分の自慢の男のシンボルで驚きの表情に変えることで、無理やり笑いを止めてやろうと思ってしまう。
実際にクロードがズボンを膝まで擦り降ろし、むき出しになったトランクス・パンツをまざまざとマリーに見せつける。マリーは息を飲み、大笑いを無理やり止めてしまう。しかし、そのすぐ後にはマリーの顔は般若の面を被ったような形相となる。
「ちょっとやめてよっ。いくら馬車の中でふたりっきりだからって、順序がちがう」
「はい、すみません。自分がバカでした」
マリーの大笑いを止めることには成功したクロードであった。だが、素に戻りさらに般若へと変貌したマリーにつっけんどんな態度で怒られたクロードは膝まで下げたズボンをいそいそと元の位置へと戻す。
(何やってんだ俺は……)
クロードはそう思うしかなかった。ズボンの位置を元に戻し、席に尻をつけたクロードは改めて自分の膝の上においたマスク・ド・タイラーの遺物を見る。しかしながら、今のような失態を犯した以上、やはりこれらは呪物であることを再確認するに至る。
しばしの沈黙が馬車内に流れる。クロードはちらちらとマリーの機嫌を伺いつつ、遺物を手に取り、ああでもないこうでもないと小さく呟く。見かねたマリーがもう! という言葉を皮きりにクロードとの会話を再開するのであった。
「さっきは大笑いしたあたしも悪かったって思う。それほど真剣に考えてくれてたってことなんだしね。でも、パンツかー。うーん、パンツねー。ちゃんと洗えばいいんじゃないの?」
「そう……だな。何度も洗えばそのうち、元から自分の物だって思えるようになるかっ!」
「うん、そう、その気持ちが大切だと思う。パパが言ってたでしょ。元から自分の物だって思えるようにならないと、遺物の力は引き出せないって」
クロードはこの遺物の前の持ち主であるカルドリアから、この遺物の使い方をいくつかレクチャーされていた。魔力をほとんど持たぬ身の場合でも、この遺物に語りかけるように意識を集中すれば、ある程度の力を貸してもらえるはずだと。
そうレクチャーされて、右腕に籠手を装着し、色々と試してみたのがクロードであった。カルドリアに言われた通り、籠手の向こう側にいるマスク・ド・タイラーに魔力ではなく言葉で語り掛ける意識でだ。その過程において、クロードは魔物のように変形した右手をいくらかヒトの手に戻してみせたのだ。しかしながら襲ってきた魔物を撃退してみせたような力はついに発揮することは出来ずじまいであった。
「自由自在にマスク・ド・タイラーの力を発揮できりゃあいいんだが……」
クロードは呪いがまとわりついた右手を握ったり開いたりして、この手が自分の手であることを確かめるような所作を続けた。さらにはぶつぶつと籠手に向かって何かを呟きだす。見かねたマリーがクロードの右手にそっと左手を添える。
「急いで事を為そうとすればパパみたいになるわよ。王国内の医者や魔術師に見てもらったみたいだけど、根本的にパパの右手は元には戻らないって言われたそうよ」
「そうか……。俺はまだマシな段階なのか」
クロードは籠手を用いて、ある程度までは自分の右手がヒトの手に見えるように戻せる。しかしながら、前の装着者であるカルドリアの右手はヒトの手に戻せているわけではない。あくまでもその身に宿る魔力で偽装しているだけなのだ。ちょっとした衝撃ですぐに右手は黒く変色し、右手の骨自体が変形する。さらにはその肌はまるで甲殻に覆われたかのように固くなり、爪は鋭く尖り出す。
「マリーのパパはすごいな。もし俺がパパみたいに元に戻せない状態になっていたら、俺は凹みに凹んで、まだベッドで寝ていたかもしれない」
娘を想う父親のすごさをまざまざと見せつけられているような気分になるクロードであった。自分の身体がヒトのそれではなくなっても良いという強い意思を持っているからこそ、娘を守ってくれる人物をあれほどまでに冷徹に見定めていたんだと今更ながらに畏敬の念を抱いてしまうクロードであった。
自分はこの呪いの本当の効果を知らぬうちから装着して、その力を用いた。もし呪いの内容を知ったうえで遺物を使えと言われたら、自分はあの時、ためらわずに魔物相手に力を行使できたのだろうかという今更ながらに一抹の不安がよぎる。
クロードは重い責任をカルドリアから託された。こんな情けない感情に支配されてどうするとクロードは厳しい顔つきになる。そんなクロードに対して、彼の目の前に座るマリーは薄い胸に右手を添えて、自信満々にこう告げる。
「クロードなら大丈夫よ。だって、クロードにはマリーっていう可愛い彼女がいるんだもん。パパにはマリーっていう可愛い娘がいるからこそ、今は普通に暮らしてる。うちのパパとクロード、どこに違いがあるっていうの?」
「降参。まいりました! 先に惚れたほうが負けって、カルドリア様が言ってたこと、本当にそのとおりだわっ! あー、ちくしょう! 安心してください、清い仲ですとか言わなきゃよかったなぁ!」
クロードは目の前の少女に一瞬で笑顔にされてしまう。歳の差10歳というのにどちらのほうが年上なのかとおかしくなってしまう。自分はまだまだガキなんだなと思いしらされるクロードであった。