「怒ってる?」
「怒ってない」
「怒ってるんでしょ?」
「いや本当に怒ってないって!」
マリーは満足に箸を持つことが出来ないクロードに変わって、クロードの口の中に熱々の焼肉を運んでいた。その途中でマリーはクロードの口の中に食べ物を運ぶのを止める。そして、自分のパパのクロードに対する態度について、クロード自身はどう思っているのかを聞く。
クロードは先ほどのカルドリアとのやり取りを思い出すことになり、渋面になってしまう。その表情を見逃すはずがないマリーであった。マリーは正直に話してほしいとばかりにまずは感情としてどうなのか? と問う。
最後のほうはまともに受け答えを拒否していたカルドリアだ。実際のところ、あの時は腹が立ってしょうがなかったが、甘辛いタレを浸かってから口の中に運ばれてくる焼肉に頬がとろけそうになったクロードはそれまでの怒りなど、どこかに飛んで行ってしまっていた。
さらにあーんして? という甘い声で囁いてくれるマリーがいるのだ。ここは地上の楽園かと思える至福の時を過ごしていたクロードである。それなのにマリーは自分からその楽園を破壊する呪文を唱えてきたのだ。マリーの手はすっかり止まってしまっている。さらにはマリーはクロードに対して、申し訳なさそうな表情になっている。
クロードはどうしたものかと少しの間、思い悩む。しかし、自分は男だ。そしてマリーにそんな表情をしてほしくないと思っている。いつもの笑顔に戻ってほしいクロードであった。
「正直に言うよ。確かにさっきまで俺はカルドリア様に怒ってた」
「やっぱり怒ってるじゃないの、嘘つき!」
マリーはそう言うと箸の先端でつまんでいた焼肉をクロードの額にぶち当てる。それだけでは気が済まぬとばかりにもうひとつ焼肉を箸で持ち、その箸ごと、クロードの額に熱々の焼肉をぶち当てようとする。しかし、クロードはそうされてたまるかと、左手でマリーの細い右手首を掴む。
「話の続きを聞いてくれ!」
「やだっ! 嘘つきのクロードのことだもん。どうせ嘘をつくつもりだもん!」
マリーはぷんぷんとほっぺたを膨らませる。クロードはこいつっ! と思いながらも、マリーを怪我させないように十分注意しながら、マリーが自分の顔面に熱々の焼肉を押し付けてくるのを止めさせようとする。
この部屋に集まる使用人たちは2人を止めるべきなのかとおろおろと慌てふためく。だが、この喧嘩の原因の人物である男が入室してきて、あれは夫婦喧嘩だから止める必要もないと、使用人たちに放っておけと命令する。本当に放っておいていいのだろうかと戸惑う使用人たちであったが、見守る2人が同時にプッ! と噴き出したことで、一様に安堵の表情へと変わる。
「久しぶりね、こうして2人で喧嘩したのって! 前はいつだったっけ?」
「そうだなあ。俺の記憶だと、俺からマリーに告白した後は喧嘩はほとんどなかったような?」
「そうかも。付き合う前まではなんて憎たらしいんだろうって思ったことが度々あったけど、付き合い始めてからはクロードの憎たらしさも可愛く見えちゃってたのかな」
「そうかもしれん。俺も俺でマリーが何してても可愛く見えて仕方がなかった」
クロードとマリ―は争いをやめ、しばしお互いのその時々の感情を静かに吐露し始める。クロードとマリーは最初、敬虔な感じで告白していったが、しだいに可笑しそうな表情であの時はああだった、この時はああだったと楽しそうに会話をするように変っていく。するとだ。自然とマリーはクロードの口の中に食べ物を入れるようになってくる。クロードは口の中に食べ物が運びこまれるたびに幸せが零れだしている笑顔になる。
「あたしって、クロードが食べてる姿にも文句を言ったことあったよね? なんでそんなに美味しくなさそうに食べてるの? って」
「ああ、あったあった。あんときはこんな閑職に飛ばされたばかりで、この先真っ暗かーって思ってたんだよな。いくらマリーの笑顔が素晴らしいからといって、俺の人生が素晴らしいことになるなって、これっぽちも思い描けてなかったからな」
クロードは今から1年半前にマリーが隊長を務めるとある部署へと飛ばされてきた。マリーとの衝撃的な出会いはあったものの、その時点ではマリーとこのような仲睦まじい関係になれるとは到底、考えもしていなかった。それがそのまま身体の表面に出ていたのか、せっかくの食事タイムだというのに、終始、暗そうな雰囲気で食事していたのである。
それをムスッとした表情で問いただしたのが当時のマリーである。何か不満があるなら言ってみなさいよと喧嘩腰でクロードを詰問したのである。
「あんときゃ自分でもひどいことを言ったもんだって自覚があるよ。この笑顔だけはかわいい隊長さんよぉ! って」
「ほんとひどい言い草だったよねっ! でも、人生って不思議……。そんなひどいこと言った男のことを好きで好きでたまらない自分がいるんだもん」
クロードとマリ―は出会った当初のことを話題にして、楽しそうに会話をしていた。付き合っている男女がそういう心温まる会話で盛り上がれば、自然と身体と身体の距離も近づいていく。クロードとマリーは気付くと額と額がキスしてしまいそうになるほど、顔を近づけていた。
「クロード……、好き」
「マリー……、俺もだよ」
マリーは静かに目を閉じる。そして軽く唇をクロードに向かって差し出す。クロードはそれに促され、目を閉じつつマリーへの唇に自分の唇を重ねていこうとする。しかし、ここでごほんっ! と強い咳払いをする男がいた。その者の名はカルドリア・オベール。ローズマリー・オベールの父親である。
「あーーー。盛り上がっている最中すまん。この場がふたりっきりなら、私も無粋なことはしないのだがな?」
マリーは父親の声を耳にいれるや否や、ここがどういった場所なのかをハッとした顔つきになりながら再確認させられる。この部屋には使用人、自分の父親、さらにはクロードの容態に変化がないのかをつぶさに観察している医者と看護婦がいた。それなのに自分たちは盛り時期の
そんな恥ずかしがるマリーに対して、マリーは悪くないんだよと言いたげにマリーの頭を左手で優しく撫でるクロードであった。そして、クロードはそうしながらも視線をマリーの父親のほうへと向ける。当のカルドリアは未だに感情の仮面を外してはいなさそうであった。
それでもクロードは構うものかとカルドリアにこう告げる。
「マリーと久しぶりに喧嘩をしました。それで改めて感じたんです。俺はマリーがこの世で1番大切な人だって。俺は災厄王だけでなく、マスク・ド・タイラーの呪いになんか負けるつもりはありません」
「それが困難な道だとわかっているのかね?」
カルドリアの被る感情の仮面にヒビが入る。そのヒビの奥からは色んな感情が零れ出してくるのを感じるクロードであった。だがクロードは臆せず、カルドリアに対して、宣誓を続ける。
「俺は俺じゃない何かに変わってしまうことが正直に言えば怖いです。でも、それでも守りたいんです。マリーを。マリーの笑顔を」
クロードがそう言うと、カルドリアは顔を下に一度向ける。そして静かに顔を左右に振った後、カルドリアは頭を上げた。その時、彼の顔につけられている感情の仮面の一部が欠けていた。その状態でカルドリアはクロードと再度、視線を合わせる。
「マリーの素晴らしいところは笑顔だけではないっ。怒ったときの顔。泣いている時の顔。悲しんでいる顔。誇らしげに自慢してくる憎たらしい顔。それをきみは父親である私に代わって享受しようとしているのだ……」
カルドリアの感情の仮面のあちらこちらにヒビが入っていく。それと同時にボロッ、ボロッと仮面の欠片がところどころ欠け落ちていく。むき出しになった表情の一部はお前にマリーの何がわかるのかと言いたげであった。過酷な運命を背負わされた娘の父親であることがどれほど苦しいのかという表情全面が崩れ落ちていく感情の仮面の向こう側から見え始めていた。
「俺はマリーの素晴らしさの一部しかわかってません。現にこうして喧嘩もしてしまいます」
「当然だ。マリーは笑顔を産み出すためだけに生まれてきたわけじゃない。クロードくん。娘を真に理解してくれ。そして、私に出来ぬことをクロードくん、きみが成し遂げてくれ」
カルドリアの顔からはすでに感情の仮面は全てはがれ落ちていた。そこにいるのはただただ娘を救ってほしいというひとりの父親が浮かべるべき表情であった。クロードはその真摯な感情を見せつけられる。だが、ここで戸惑いを見せることなど、クロードには出来なかった。ありったけの勇気を振り絞り、あなたの代わりにマリーを幸せにしてみせると宣誓する。
「俺はマリーの