クロードが目を覚ましたのは魔物との戦いから丸1日が経った後であった。クロードは目が覚めるや否や、眠っているベッドから起き上がろうとする。しかしながらクロードの身体のあちこちから悲鳴に似たきしみ音が鳴り、上半身を起こすことすら満足に出来はしなかった。そんな彼を囲むひとたちが無理やりクロードを寝かせつける。その人々の中のひとりがローズマリーとカルドリアを呼びに行く。
「クロード! やっと目を覚ましたのねっ! よかった……。本当によかった……」
マリーはベッドの横にある椅子に座りながら零れ落ちそうになっている涙を右手で拭い取る。クロードは左手をマリーの顔に近づけようとしたが、ビキッ! という音と共にクロードの背中に鋭い痛みが走り、マリーの頬を撫でるのを断念してしまう。そんなクロードをおもんばかってか、クロードの左手をそっと両手で包み込むマリーであった。
「まずは1勝おめでとう、クロード・サインくん。きみは宣誓通り、うちのマリーを魔の手から救ってくれた。礼を言わせてもらおう」
マリーの隣に立つカルドリアがそう言う。そして、何かしてほしいことは無いかとクロードに問う。
「腹が猛烈に減ってます……」
クロードがそう言うとほぼ同時にぐぎゅうううという大きな音がクロードの腹から鳴り響く。クロードは赤面してしまう他なかった。もっと他に言うべきことがあるはずなのに、それでも身体は栄養を欲しているのには逆らえなかった。
マリーはおかしそうにクスクスと笑っている。カルドリアはすぐに食事の用意をさせるから、もう少し寝ていなさいとクロードに告げる。クロードはその言葉に甘えて、身体から力を抜き、ベッドに体重を預ける。
そうしている間にもクロードが目覚めたことを受けて、周りは慌ただしい動きを見せていた。医者と看護師を呼んでくる者や、食事の用意に走る者。さらにはカルドリアに報告書を渡している者もいた。クロードはそんなひとたちを目だけで追っていた。まるで自分はひとり置いてきぼりを喰らっているような感じを受けてしまう。
そんな中でもマリーはクロードの左手をやさしく両手で包み込み続けた。遠い昔、風邪を引いた時に自分の母親がそうしてくれていたのを思い出すクロードであった。その時の母と同じく、マリーの両手からは優しさと安心感が注ぎ込まれてきていた。クロードはその感情を受けて、自然に目が閉じていく。
だがクロードは眠りに落ちることは出来なかった。看護婦がクロードに包帯を変えますねと告げた後、クロードの右腕を持ち上げ、手慣れた感じでクロードの右腕にぐるぐるに巻かれた包帯を解きほどしていく。
クロードはうっつらうっつらとしていたが、包帯によって隠されていた自分の右手を見たことで無理やりにでも覚醒してしまう。彼の右手は黒く変色し、赤い葉脈が走っていた。その肌はまるで甲殻に覆われたかのように固く見え、爪は鋭く尖っていた。まるで悪魔の手のように変わり果てたのだ、自分の右手は。
「俺の手が……。俺の手じゃな……い? 俺は怪物になっちまったのか?」
クロードはマリーにそう問いかける。マリーの顔が一瞬強張るが努めて笑顔へと変えようとする。不安になっているクロードを安心させようという配慮が込められた笑顔であった。そんなマリーの代わりにクロードの質問に答える人物がいた。それはカルドリアであった。
「安心したまえ。見た目こそ、ヒトならざるものだが、それはマスク・ド・タイラーから与えられた祝福だと思えばいい」
「祝福? これのどこが祝福だと言うんですか! あなたは最初、呪物だと言った! その通り、俺の右手は呪われてしまったんだろ!?」
「落ち着き給え! わたしの右手を見なさいっ!」
憤りを隠せぬクロードに対して、カルドリアは右手に嵌めている皮手袋を外す。その手はひとの手そのものであった。だがカルドリアがその身体の奥底から魔力を発するや否や、クロードと同じく悪魔のような手になってしまう。
「自分の意思でどうにでもごまかせる。慣れてくれば、このように自在に自分の手を変貌させれるようになるだろう」
カルドリアはその身に宿る魔力を出したり引っ込めたりする。それと同期するようにカルドリアの右手はヒトのそれと悪魔のそれを行ったり来たりしたのだ。
「クロードくん、きみは呪いと言ったが恐れることはない! 使い方を学べ。君は私とは違いとてつもなく強くなれる。呪いじゃなく、祝福だと考えるんだ」
その様を見せつけられて、クロードはいくばくか安心感を覚える。落ち着きを取り戻したクロードに安堵したのか、包帯を変えようとしていた看護婦がその動きを再開する。必要な処置をクロードに施している看護婦を余所にカルドリアがクロードに向かって言葉を発する。
「きみは素晴らしい才能、いや、マリーへの深い愛情と言い換えるべきか。先日現れた魔物とクロードくんとの戦いを見せてもらった。私は右腕しか筋肉量を変えれなかったのに、きみは君自身が伝説のマスク・ド・タイラーと思わせるような全身、鋼のような筋肉であったぞ。マリーを見染めてくれたのがきみであったことに感謝しかでない」
カルドリアはそう言いながら身振り手振りを交えてクロードくんは素晴らしいと言ってくる。その所作には何か作為めいたものがあったが、クロードはそれに気を回せるほど、今の精神状態は良くなかった。
「俺はあの時、ほとんど意識が飛んでいました。でも、マリーは絶対に渡したくないとだけは強く念じていたと、今更ながら思います」
「そうかそうか……。マリー、こんな場所ではあるが、クロードくんとの交際を正式に認めよう。クロードくんはマリーの
「カルドリア様。いや、お義父さん、ありがとうございます!」
またしても芝居めいたカルドリアであるが、クロードは本当に気が動転していたのだろう。額面通りにカルドリアの言葉を受け取ってしまう。だが当事者のひとりであるマリーは自然とクロードの左手を包む両手に力が入ってしまう。そのことにもクロードは気付く振りは無かった。
「ははっ! お義父さんは早過ぎるだろう! マリーは災厄王の花嫁として選ばれたのだ。災厄王を倒さぬ限り、マリーとクロードくんの結婚式は挙げれん。どうか、マリーを災厄王から守ってくれ」
「そう……ですよね。順番を間違えるところだった。マスク・ド・タイラーから力を借りて、その力で災厄王を倒す。俺は晴れてマスク・ド・タイラーの呪いから解き放たれる。そして、ひとの身に戻って、マリーと結婚式を挙げる。そうですよね!」
クロードはすがるような感情もはらんだ明るい表情でカルドリアに言ってみせる。だがカルドリアの顔は一瞬、強張る。その顔を見られてはいけないとばかりに不自然にクロードから目を逸らす。クロードは思わず、えっ? 違うんですか? と口から言葉が飛び出してしまう。
「うほん! あーそのー。そうだマリー。マリーはクロードくんがどんな姿になっても、変わらずクロードを愛してくれるよな? そうだよな!?」
いきなり話を振られたマリーは顔を曇らせる。しかし、その暗い表情を顔を左右に振ることでどこかへと放り投げる。そしていつもの笑顔に戻って、クロードへ語り掛ける。
「うん、それはもちろん! あたしのためにクロードが魔物みたいになっちゃっても、クロードであることは変わらないもん! クロード、安心して! どんな姿になろうともあたしがちゃんとクロードをお世話するから! でも、ヒトとまったく変わってしまうのなら
「ちょっと待って……。
クロードの必死の問いかけを無視するかのようにカルドリアはクロードと決して視線を合わせようとはしなかった。それどころかカルドリアは医者に向かって、クロードくんはまだまだ意識が混濁しているようだから、必要な処置を取ってほしいと言い出す始末である。クロードは無理やりにでも身体を起こして、カルドリアをその手で捕まえ、さらにはこっちに無理やり身体を向かせてやろうとさえ思ってしまう。だが、クロードがそうしようにも身体のあちこちからは痛みのサインが出ていた。
満足に自分の身体を動かせないクロードは看護師を含め、周りのひとたちがクロードを必死にベッドへと縛り付ける。クロードはなす
「さて、私がマスク・ド・タイラー様の力を使った時は肉が喰いたくてしょうがなかったな。満足に身体を動かせぬクロードくんであるが、クロードくんは若い。使用人たちが間違えて、これぞ病人食だと言わんばかりの物を用意していないか、厨房を見てこよう、うん、それがいい!」
「お義父さん、この力についてまだまだ何か隠しているのはわかっているんですからね! 肉なんかでごまかせるとか思わないでくださいよ!」