将は倒れた男たちの側にあった銃をそっと拾い確保するとピクリと動いた彼らに小さな息を吐き出した。
「……警察が来るまで息をしておいてくれ」
そう小さく呟き割れた穴から中を見たが見えるのは豪華な調度品と壁だけであった。
「そこにいるんでしょ? 撃ってあげるから出てきなさいよ」
女性の声が響いた。
将には聞き覚えのない女性の声であった。だが、恐らくは天海礼華だろうことは分かった。
このままでは膠着状態である。捕えるためには彼女と部屋の中にいる十津川朱華と白馬和時と向き合わなければならないのだ。
鷹司陽が将の肩を掴むと引き寄せ
「俺が戸を開けて飛び込む。天海礼華の右を狙う」
と告げた。
将は一瞬「ん?」と鷹司陽を見た。
瞬間に鷹司陽が扉を開けて中へと飛び込んだ。パンっと銃声が響きすぐさま将と平岡政春は中へ入ると銃を構えた。
鷹司陽は銃を構えて引き金にかける指先に力を込めた。天海礼華も右手に持っていた銃の引き金を引いた。
銃声がシンクロして響いた。
将は瞬間に鷹司陽の指示の意味を理解すると天海礼華の左手を撃った。
鷹司陽の右肩を銃弾が貫通し、天海礼華の右手を銃弾が貫通し彼女が左手で撃とうした銃がはじけ飛んで白馬和時の足元に転がった。
天海礼華は左手の銃を撃たれて驚き
「何故?」
と将を見て呟いた
将はそれに銃を構えたまま
「銃を手にした左手の引き金が……動いたからだ。鷹司警視正が言ったのは両利きだという意味かも知れないと思った」
と告げた。
左手の銃は持ち変えるのではなくそのまま撃つと判断したのだ。
彼女は笑うと
「指先の動きで私の両利きを見抜いたのね。でも都合が良かったわ」
と言うと、ポケットからスイッチを出すと
「全員死ぬといいわ」
と言いかけて、響いた銃声に目を見開いた。
胸元に赤いシミが広がり彼女の背後のガラスが音を立てて割れたのである。
鷹司陽も将も彼女を撃とうとした平岡政春も誰もが驚いて白馬和時を見た。
白馬和時は冷静に笑むと
「俺まで巻き添いにしてもらいたくはないね、恩があるなるみ警視長の娘でもね」
と告げた。
そして、三人を見ると
「鷹司警視正、東大路巡査、平岡巡査……覚えておいてあげますよ。これからのターゲットとしてね」
と言い、血だまりの中で倒れる天海礼華の元に足を進めると起爆スイッチを入れた。
「後10分……急がないと多大な被害が出ますよ?」
鷹司陽は舌打ちすると
「平岡! 下に知らせに走れ!! 死人を出すな!!」
と叫んだ。
戸惑いかけた平岡政春はハッとすると
「はい!!」
と駆けだした。
走り出した白馬和時を捕まえようと動きかけた将の腕を掴んで制止し鷹司陽は
「東大路! お前は瀬田祥一朗を担いで逃げろ! 急げ!!」
と叫んだ。
将は顔を歪めると
「しかし」
と言いかけた。
鷹司陽は将の頬を殴ると
「事態を見極めろ!! 奴を掴まえる前に被害が拡大する!! 奴は必ず俺たちの前に現れる。絶対にな」
今は助けられる命を助けるんだ、と告げた。
「警察官は犯人逮捕だけが仕事じゃない! 人に尽くす! それは命に尽くすことだ!!」
……お前は父親の真実の声を聞かなければならない……
将はハッとすると
「はい!」
と答え瀬田祥一朗を担いで部屋を出た。
入れ替わるように下に状況を知らせた平岡政春が駆け込み十津川朱華を抱えようとしていた鷹司陽と代わって彼女を抱き上げて走った。
鷹司陽は天海礼華を左肩に担ぎかけた。
天海礼華は薄眼を開けると
「……なぜ、助け、るの……?」
と聞いた。
鷹司陽は彼女を見ると
「俺が警察官だからだ。あんたを死なせるために追い詰めたんじゃない」
と告げた。
天海礼華は笑むと
「ずっと憎んでいたわ。今も貴方が憎いわ……憎くて、憎くて、そうね、父のことを忘れていくのに……貴方のことは忘れなかったわ。恋と間違うくらいに貴方を憎んだわ」
というと頬にキスをして押し退けると
「 」
というと微笑んで割れた窓から飛び降りた。
正にあっという間の出来事であった。
鷹司陽は立ち上がって窓を覗き込み、下で絶命している彼女の姿を見ることしかできなかったのである。
平岡政春は戻ってくると
「鷹司警視正!!」
と叫び呆然と振り向いた鷹司陽に
「時間がありません!!」
と彼の手を握りしめた。
「俺はまだ……貴方の指導が必要なんです……俺を拾っておきながら途中退場は許さない」
下の階では私設警備員は全員投降し館から逃げ出していた。
将は瀬田祥一朗を支えながら館の外で上を見つめていた。
「鷹司警視正……平岡」
翼も省吾も駆け寄り
「東大路、大丈夫か?」
と二人を支えた。
由衣も瀬田祥一朗を支えると
「ご無事で良かったです」
と微笑んだ。
桐谷世羅も駆けつけると心配そうに出入口を見ている将に
「まあ、心配するな。あの人を死なせねぇ奴が向かってる」
と告げた。
その後、戸口から平岡政春に支えられて鷹司陽が姿を見せると、直ぐに激しい爆音と共に屋敷が半壊した。
十津川朱華は重体であったが一命を取り留め、一連の東北での和田への指示と各地のJNRの拠点など全てを自白した。
4階から飛び降りた天海礼華は死亡が確認されて事実上JNRは崩壊したのである。
鷹司陽と瀬田祥一朗は手当てのために警察病院へ収容され、鷹司陽については平岡政春が彼の妻である鷹司千代と交互に看護をしていたのである。
鷹司千代は微笑んで
「彼の子供を産んであげることが出来なかったけど……沢山の後継者を貴方自身が作ってくれたわね」
毎日忙しくて幸せだわ、と告げ、窓の外に視線を向け
「ねえ、あなた……あなたは昔からどこか自分の命をギリギリで投げ出してしまいそうなところがあったわ」
と言い驚いて見つめた鷹司陽に
「彼女が死を選んだのは貴方に生きてほしかったからね」
貴方にはまだまだ育てないといけない子がいるから頑張って、と微笑んだ。
鷹司陽はそれに苦く笑むと
「赤木とかにはぐちぐち言われてるけどな」
と赤木勇介と平岡政春が扉を開けて入ると同時に告げた。
赤木勇介はメガネのブリッジを軽く上げて
「それが見舞いに来た相棒に言う言葉か?」
と言いつつ
「俺の息子と平岡巡査をちゃんと育ててくれ」
ったく、父の背中を見ろって言っているのに、とぼやいた。
鷹司陽は笑って
「そうだな、怪我が治ったら島へ帰るからな」
と言い
「お前の息子の勇気は島の良い駐在員になってるぞ。またには連絡してやれよ」
と告げた。
「平岡巡査も教育しないといけないから、その時は力を貸してくれ、赤木」
赤木勇介は笑むと
「もちろんだ」
と答えた。
鷹司陽は鷹司千代を見ると
「悪いが席を外してくれ」
と言い、赤木勇介を見ると
「お前に言っておきたいことが、鬼竜院警察庁長官にも伝えてくれ」
と天海礼華の最後の言葉を告げた。
赤木勇介は目を細めると
「あの天海礼華がそんなことを……白馬和時も今は行方不明だし……JNRは崩壊しても禍根はまだ残っているということか」
と呟き
「また来る」
くれぐれも無茶はするなよ! と告げると病室を後にした。
同じ病院だが一階上の瀬田祥一朗の病室に将は訪れており、看病をしていた母親の茉代は
「さあ、20年ぶりの親子の会話をしなさい、祥一朗さん。利也さんもずっとそれを望んでいたわ。偽りのないあなたの言葉を聞かせてあげて」
と親子の会話をするように勧めて病室を後にしたのである。
将は椅子に座り瀬田祥一朗を見つめると
「俺は真実が知りたい」
と告げた。
「貴方が何故なるみ礼二のJNRの六家になったのかを」
この後、瀬田祥一朗は警察からの取り調べを受けることになる。暫く会うことは出来ないだろう。同時に瀬田祥一朗がそこですべての真実を話すだろうことは分かっていた。
だが。
だが。
将は人伝えでなく自分の耳で聞きたかったのだ。
「貴方の言葉で、貴方の声で聴きたいんだ」
瀬田祥一朗は笑むと
「俺は兄の後を追うように警察官になった」
と静かに言葉を紡ぎ始めた。
「兄はノンキャリアだったが俺は総合職試験を受けてキャリアで警察官になり正義のために尽くそうと思った。悪人を捕まえ、裁きの場へ引きずり出す。その為なら何を犠牲にしても良いと思っていた。理奈もわかってくれる女性だから結婚したところがあった。理奈は優しく何時も俺を包み込んでくれていた。だが、元々持病があったようで出産後に理奈は一人でその悪化と戦っていた。一度だけ『貴方、警察の仕事を休めないかしら? 話があるの』と言われたが、警察はそんな簡単に休める訳がないと告げた。それから三日後に理奈はマンションから飛び降りて死んだんだ。彼女の血中から薬物反応が出て愕然として家に入って初めて自分の家を見たような気分になった」
そう言い、将の手を握りしめた。
「お前は泣き声すら上げる元気もないほど痩せこけて家の中はぐちゃぐちゃだった。洗い物は溜まって……本当にすまないと思っている」
将は目頭が熱くなって何かが頬を伝っていたが唇を開くことは出来なかった。
瀬田祥一朗は更に
「警察官だ正義だと振り翳しておきながら己が一番愚かだと気付いた。彼女を失って初めて彼女の存在の大きさに気付いた。そして、彼女の苦しみに目を向けなかった自身の非情さに警察官を名乗ることなどできないと思った。俺は直ぐに降格人事となって巡査になった。だが、警察を辞めるつもりだったのでもう良いと思ったが、その時に鎌谷元警察庁長官が降格人事になって警察へ不満を持つかもしれない俺になるみ礼二から話が来るだろうと鎌谷元警察庁長官は奥さんが病気でその治療費のためにダメだと思いながらもなるみ礼二に手を貸していたそうだ。妻を蔑ろにしていた俺とは正反対だった。そして、なるみ礼二と彼の撒き散らす欲に吸い寄せられた人間たちが万が一にも警察を食いつぶそうとした時には本当に信用できる人間たちに力を貸すようにと人を守る警察を失うわけにはいかないのだと……ただ組織の人間になれば全てを失うだろうと、世間から責められるだろうと、もしかしたら欲に流されるかもしれないと、それでも、俺の中の残り火のような正義をあの人は信用すると言ってくれた」
と微笑み
「俺は正義正義と振り翳していい気になっていた。だがそれを聞いてわかったんだ。正義とは誰かに振り翳すものではなく自戒の為の言葉だと、そして、警察の正義は人を守ることと、人を守る法を守ることだとその時初めて理解した。だからこそ俺はあの人に応えることにした」
と告げた。
「あの人は最後に俺にそれを託して警察を去り、その後に鷹司警視正と当時の組織犯罪対策部が麻薬ルートを暴いてなるみ礼二と娘の礼華を逮捕した。だがなるみ礼二の背後の人間は手付かずの状態にあった」
それから瀬田祥一朗はずっとJNRの動きを監視し続けたのである。そして、鎌谷安男が危惧していた通りに警察庁長官が浜中勝彦から鬼竜院闘平へと変わったのをきっかけになるみ礼二の負の遺産が犯罪に走り出し、瀬田祥一朗は警告を送り、その後に鷹司陽と連絡を取り警察内部の捜査を鷹司陽が行い、JNRの内部の動きを瀬田祥一朗が調べ、連携をとっていたのである。
将はその長い父のこれまでの話を聞き終えると微笑み
「俺はやっぱりお父さんの子供で、同時に貴方の子供でもあった」
と告げた。
「俺も正義を振りかざしていた。だけど正義は自分の中の自戒の言葉でもあって他人に押し付けるだけの言葉じゃないと貴方のことを切欠に鷹司警視正や、課長や仲間や関わった多くの人たちに教えてもらった」
……俺は警察官を続ける……
「人々に尽くし人々を守る警察を守るために」
立ち上がると敬礼して
「お父さん、待っています」
と告げた。
瀬田祥一朗は目を見開くと笑みを浮かべて敬礼をした。
「兄も姉も将を素晴らしい子に育ててくれた」
……ありがとう……
社会は少しだけ落ち着きを取り戻したのである。