「貴方の思っている通りです」
東大路将の母親の茉代は東京の一角にある洒落た喫茶店の一角でそう告げた。
「将は私の夫である東大路利也の弟、瀬田祥一朗と私の妹である瀬田理奈の子供です」
桐谷世羅はコーヒーがユラリと立ち昇らせる湯気の向こうで告げる彼女の顔を見つめた。
「何故か、お聞きしても?」
彼女は頷き
「理奈は産後の体調の悪さから近隣の主婦に気持ちが落ち着くと勧められて、なるみ礼二がルートを作った麻薬を服用して中毒になり将が一歳になる前に亡くなりました。理奈の自殺で気付き……夫と共に警察官であった祥一朗さんはショックで警察を辞めようとしていましたが、それを止めたのが当時警察庁長官だった鎌谷安男元警察庁長官でした」
と告げ
「私は夫から聞いた話なのでどういう遣り取りがあったかは知りませんが祥一朗さんは夫に何もかもを捨てないと出来ないことだから……将と頼むと預けて去っていったそうです」
ただ、と言うと笑みを浮かべた。
……正義に背くことはしない……
「そう言っていたそうです」
桐谷世羅はそれが恐らくなるみ礼二の後を継ぐことだったのだと理解した。鎌谷警察庁長官の評価は低い。それは当時そこそこの地位にいてその後に警察を支えることになった等々力旬組織対策部部長や成澤警備部部長など、幾人かの評価によるものや、他にもそこここに広がる噂もそれを後押ししていたのである。大半の評価がそうなので彼らの評価は間違ってはいなかったのだろう。
もう一つは後の浜中勝彦警察庁長官の評価がかなり高かったという落差もあった。
何よりもなるみ礼二を警察庁長官官房審議官まで無理やり押し上げて彼を警察庁長官にするのではないかと多くの人々に思わせるほど『贔屓』をしていたのは事実で、桐谷世羅は鎌谷元警察庁長官がなるみ礼二と金で繋がっていたのは恐らく間違いではなかったのだろうと考えていた。
桐谷世羅は彼女に礼を言うと店を出て東京でも降り始めた雪に空を見上げた。
「鎌谷元警察庁長官の本当の懐刀は東大路の父親だったのかもしれねぇなぁ」
そう呟き
「それが今おそらく功を奏しているんだろう」
と付け加えた。
最初に送られてきたJNRの密告や先日の東北の異変を知らせてきた密告の主が将と実父である瀬田祥一朗ではないのかと思い当たったからである。
そんな事実を全く知らない将は警察庁組織犯罪対策部内部組織犯罪対策課のフロアで東北の地図を睨んでいた。山形で負った傷も癒えて山形、新潟と警察に入り込んでいたJNRの組織の人間を更迭することに成功し次の人狼ゲームを行う場所を相棒である天童翼や根津省吾、菱谷由衣と考えていたのである。
窓の外は雪模様。昼の2時だというのに鉛色の雲が覆って薄暗かった。ただ明るい電灯で室内は暗くなかったがその対比で早々に夜が訪れたような錯覚さえ起こしそうな1月半ばの午後であった。
将は腕を組むと
「山形でも新潟でも『和田秀雄』と言う人物が六家の一人と通じて動いているんだよな」
と告げた。
翼はそれに
「ああ、佐々木紀夫もそう言っていたからな。恐らく、西日本で動いていた六家と末端を繋ぐ酒家美咲のような立場の人間なんだろうな」
と答えた。
省吾はう~んと考えながら
「でも今どこにいるのか分からないよね」
と告げた。
由衣は黙って彼らの出方を待っていたのである。自身もそういう人物が蠢いていても探すだけの時間がもったいないと思う派だったからである。
将は少し考えて
「いや、その人物の姿は山形で課長が写真で撮っているからわかっている、おびき出して捕まえるって出来ないかと思ってさ」
それで今度は比較的体制も上層部もしっかり落ち着いているところがいいかなぁと思ったんだ、と告げた。
翼は肩を竦めると
「俺は分からないなぁ、警視庁と後は行ったところくらいしか知らないからな」
と答えた。
将はそれに
「いやいや、俺も一緒だし」
と告げた。
全員、警察に入って学校を出て出来立てほやほやの新人警察官なのだ。当然と言えば当然である。が、彼らに戸口から声が響いた。
「東北なら一か所だけあるぞ」
桐谷世羅が扉を開けて中に入ると中央の机で話し合っていた将たち4人に
「秋田県警だな」
と告げた。
「秋田県警はちょっと他と事情が違っていてな。あそこは特殊な土地と言うか……まあ、県警本部長が秋田の守護家と言われる隼峰家の人間なんだ」
……跡取りが秋田県警の本部長についている……
「隼峰県警本部長は中々の切れ者で両脇もかなり切れ者で結束が固いと言われている」
お前の言うことをしようとするならそこが良いだろう、と告げた。
将はそれを聞くと
「なら、秋田県警と話をして……」
と言いかけた。
が、それに天童翼がストップをかけた。
「あのさ、ちょっとあからさまにならねぇかな?」
将は「え?」と翼を見た。
翼は腕を組むと
「んー、東北に関しては『問題があって』俺たちはこれまで動いてきたわけで『問題のない』ところに純粋に人狼ゲームをしてきたわけじゃないのに行き成り何も問題が起きていないところでするって警戒するかもしれないかなぁと思ってさ。最初は捨て駒の場所で呼び水みたいな感じのところが良いと思うけど」
と告げた。
将は指先を唇に当てて思案すると
「確かに、そう言われるとそうかもしれないなぁ」
と呟き、暫く目を閉じて考え
「だったら先に他の箇所を回ってからにするか」
と呟いた。
「山形、新潟……じゃあ、岩手、青森、秋田? 本州のこの辺りを抑えた形になるよな」
由衣はあっさり
「そうですね、それでいいんじゃないんですか?」
と告げた。
省吾はオロオロと
「そんな適当でいいの?」
と告げた。
翼はフムッと息を吐き出すと
「この3県はどれも問題が起きていないから……もしかしたら本当に落ち着いているのかもしれないし、そこを抑え始めたら東北で活動を強めている感じの和田秀雄も2県目か3県目で焦って仕掛けてくるかもしれないからな」
と告げた。
「別に青森、岩手、秋田でもいいし」
……そこは適当で良いと思う……
将は笑って
「じゃあ、最初に言った岩手、青森、秋田でいこう」
と告げた。
桐谷世羅は笑むと
「わかった、それで手配する」
と告げた。
警察学校の合宿の依頼を岩手県警にかけるとあっさりと受け入れられた。山形県警と新潟県警にJNRの手は伸びていたが他の県は意外と落ち着いているのだと桐谷世羅から「OKだ」と言われ将も翼も省吾も由衣も思った。
手配などを理由に将は翼と省吾と三人で先行して岩手へと向かった。担当は先の山形県警や新潟県警と違って警務部警務課人事係長の羽田佐喜夫であった。
メガネをかけた如何にも事務屋と言う感じの男でJR盛岡駅まで将たちを迎えに行くということで待合室で落ち合った。
羽田佐喜夫は笑顔で
「ようこそ、岩手県警へお待ちしておりました」
と告げた。
将は彼のウェルカムの空気に
「……こういうの初めてだ」
と心で突っ込んだ。
翼と省吾は同時に
「「新潟が大問題を抱えていたけどウェルカムな空気だった」」
と突っ込んだ。
羽田佐喜夫は「そうそう」と言うと時計を見ると
「ちょうど昼時ですし、いい店あるんですよ。ご案内します」
と歩き出した。
将は時計を見て
「11時30分か……少し早いけど」
と歩き出した。
翼と省吾はこれまた同時に固まり
「「デジャブ」」
と心で突っ込んだ。
省吾はチラチラと翼を見て
「スナックとかじゃないよね」
と小声で呟いた。
翼は苦く笑って
「そんな二番煎じねぇだろ」
と突っ込み足を進めた。
しかし、二人が心配したのと違って少し年代を感じさせる店構えをした椀子蕎麦が有名な蕎麦屋であった。違った、と安堵の息を吐き出すと二人の前を将は行きながら首を傾げつつ羽田佐喜夫が笑顔で
「ここは名店なんですよ」
どうぞどうぞ、と進めるのに足を踏み入れた。
店は二階建てで一階は所謂多くの人たちがごった煮で食べる極々普通の大衆蕎麦屋の風情があった。将たちが通されたのは店に入ってすぐのところにある階段を上った二階であった。
どうやら羽田佐喜夫が予約を入れていたようで将は階段を上がりながら
「どちらにしても俺たちを連れてくるつもりだったのか?」
と考えた。
翼も同じことを考えながら前を行く将の背中を見つめた。省吾はキョロキョロしながら
「二階なんだ」
と言い足を進めた。
二階は個室になっており蕎麦屋でありながら何処か料亭の香りも漂う雰囲気であった。店員は襖を開けると「どうぞ」と中へと彼らを誘った。部屋の中には椅子とテーブルがあり、そこに髪の長い派手な赤いスーツを纏った女性が待っていた。
彼女は手をピラピラと振ると
「佐喜夫ちゃ~ん、このかわいい子たち~? もしかしてお得意さんを紹介だった?」
と笑顔を見せた。
翼は心で「これは!」と叫んだ。
「新潟と同じ香りがする!!」
将は冷静に「美人だけど」と羽田佐喜夫をチラリと見た。
彼は困ったように
「ハルナ、ちゃんと挨拶をしなさい」
と告げた。
彼女はキョンと三人を見て
「もしかして、本当に彼らが?」
と聞いた。
羽田佐喜夫は静かに頷いて真剣な表情で
「そうだ」
と答えた。
そして、ピシっと襖を閉めると不穏な空気を漂わせて
「どうぞ、座ってください」
と将たちの後ろから告げた。
ウェルカムな空気だったので油断をしていたのである。将はポケットに手を入れて直ぐに手を出して勧められた椅子に座った。翼も省吾も額に汗を浮かべて椅子に座った。
窓の外には雪化粧をした日本庭園が広がり音を吸い込み静寂が広がっていく。
油断であった。
羽田佐喜夫も向かい合うようにハルナと言う女性の横に座り三人に唇を開いた。
「警察内部でJNRと言われる組織の人間を拾い出すための林間合宿……警狼ゲーム」
将は彼を見つめて
「ええ」
と答えた。
「JNRの組織との取引には命が掛かっていても応じるつもりはないですが、貴方自身の話を聞いて判断するくらいの権限は与えられています」
省吾は驚いて将を見た。
「与えられていた!?」
翼は黙って「ここが東大路の怖いところだよな」と冷静に事の成り行きを見守った。いよいよとなれば命を張るくらいの覚悟はある。自分たちが落ちればJNRは再びその魔手を伸ばして今度こそ警察を根底から腐らせるだろう。
殺人。隠蔽。
多くの人間を不幸に陥れて上層部だけ富を手にするそんな歯車に警察機構を巻き込むわけにはいかない。
翼は冷静に
「俺は警察官だ。善良な人を守り正義を貫く……それだけはもう手放さない」
と心で呟いた。
そして、羽田佐喜夫の表情をハルナと言う女性の表情を見て警戒心だけを残して周囲の気配を伺う方に翼は回った。動こうと思ったものの二人以外の人の気配がないのだ。
将も一瞬警戒したものの他に敵意と言うか他の気配がなかったので冷静に応対していたのである。
静寂が広がり、羽田佐喜夫がハルナと言う女性に呼びかけた。
「ハルナ、彼らなら大丈夫だろう。目が違う」
羽田佐喜夫は息を吐き出し
「俺はJNRの組織員だ。人事でJNRの人間が出世しやすくなるように操作するように指示されていた。そして、先日、君たちがもし岩手に来たら消すようにと」
と告げた。
将たち全員が視線を周囲に一瞬向けた。だが、誰も入ってくる様子はなかったのである。
将は覚悟を決めると
「その話をするということは貴方が本物の警察官になる話か、俺たちを消す話かのどちらかですね」
と告げた。
羽田佐喜夫は静かに笑むと
「これを言ってまだ本物の警察官と言ってくれるのは、君がとても優しいということだな」
と言い
「ハルナ、アレを……盗んできたんだろ?」
と告げた。
彼女は頷いてUSBを置いた。
将はテーブルの中央に置かれたUSBを見て
「これは」
と聞いた。
羽田佐喜夫は笑みを浮かべると
「JNRの組織員である県議会の人間と会社の人間だ。映像が入っている」
と告げ、内ポケットから4つ折りにした紙を置いた。
「そしてこれが私がこれまでに指示されて便宜を図ってきたJNRの警察内部の組織員のリストだ」
将はそれらを手にして
「こんなことをしたことが分かれば消されると思いますが」
と聞いた。
羽田佐喜夫は頷いて
「わかっている。馬鹿な男だ、10歳も下のスナックの彼女に入れ込んで……」
と苦く笑って
「力を貸してもらいたい」
と頭を下げた。
ハルナという女性は彼の腕を掴んで
「そんなことないわ、羽田ちゃん……本当に優しい人だから」
と微笑み
「バカは私」
と将たちを見ると
「私の本当の名前は春川奈々子なの。岩手でも普代村の小さな集落で生まれてずっと都会に出たかったの……集落は本当に何もなくてないない尽くしで、それこそ子供の頃テレビで見たおもちゃのコンパクトだって買うのにバス乗って電車乗って一日仕事だったの」
と笑って
「だから手に入るはずもなくって……15歳で家を飛び出して今のスナック啄木で働きながら好き勝手に生きてきた」
と視線を下に向けた。
将は彼女を見て東京で暮らして少し歩けば様々な店に突き当たることが本当は特別なことなのかもしれないと感じたのである。
彼女は顔を上げて
「それで私のこと気に入ってくれた安積議員が……あ、映像に映っているんだけど……私の実家の土地から人を追い出して岩手緑化開発社を通して何処かへ売ろうと話していたの」
と言い
「彼らは私がそこの出身だってこと知らなかったんだと思うの。でもあそこにはまだ父も母も住んでいるし……いやだったから……私の故郷だからって言っちゃったの」
と顔を歪めて笑みを作った。
羽田佐喜夫は頷いて
「その話をハルナから聞いて直ぐに俺はJNRがそこに海外組織の土地にしようとしていることに気付いて……情報を持って東京へ逃げようかと思っていた時に君たちの話があったというわけだ」
と息を吐き出して
「安積は間違いなくJNRの人間だ」
と告げた。
「信じるか信じないかは君たち次第だが……彼女の故郷を守りたいと思っている」
羽田佐喜夫はハルナを見て頷いた。
「君は下へ行って、私が言った通りにするんだ」
そして、将たちを見ると
「暫く、私とこのまま付き合ってもらいたい」
申し訳ないが彼女が逃げる間の時間稼ぎをさせてもらう、と告げた。
将も翼も省吾も顔を見合わせて彼女が出ていくのを見送った。少しして料理が運ばれ羽田佐喜夫は
「毒は入っていないので安心して食べてもらいたい」
と口に運び出したのである。
将が食べようとした時に翼が手で止めて先に全ての料理に口を付けた。
「悪いが、俺は東大路のように優しくはないから……この時点でも疑わせてもらう」