ウッドはカーソンに、部屋中に不快音が響くくらい強い力で。
木刀を背中に叩きつけていたのだった。
「……え?」
考えうる限り一番の最悪が、そこにあった。
その光景を見た瞬間、僕は体の芯が凍るような感覚に陥った。
胸が何かで一杯になり。腕が勝手に固まり。目には力が入って。
――ヌルッと、黒い物が僕の目の前に立った。
一瞬それは人の形に見えなかったが、よく見るとそれは人の形で。
でも、人の形にそぐわない程おぞましい目つきで。
「……見たな」
「――――」
「ゾニー、ジャックぅ?」
「……ウッドさん」
狂った目だった。
人の皮を来た化け物に見えた。
見てわかった。すぐに感じた。見なくても、聞かなくても理解できた。
カーソンは毎日ウッドに暴力を振るわれていたのだ。
どうして?
と言う疑問が頭の中に溢れる前に、僕は口を開いていた。
「素晴らしい剣の教え方ですね」
「………」
何も感じていなかった訳じゃない。
ただ、目の前の状況を理解したうえで、目の当たりにしたうえで、見てしまったうえで。
そう、純粋にそう感じている様に呟いた。
「……」
グリンッ、グルッ、ギロ。
そんな生々しい音を奏でながらウッドは目を凝らした。
その蓄えた髭を右腕で触りながら、次の瞬間、赤らめた顔になって。
「そう言ってくれてありがとう。ゾニー」
「少し道に迷ってしまってここまで来てしまったのですが、お邪魔をしてしまいましたか?」
「よいよい。なんの問題もないよ。モーマンタイだ」
「もーまんたい?」
「さ、部屋に帰り給え」
そう突き放すと共に、ドンッと強く扉を閉めた。
僕は急いで部屋に戻った。
――――。
「――コネクト」
部屋に戻り、僕はすぐに連絡用の魔石を起動させた。
さっき見てしまった物を見過ごした。
隙間から見えたカイソンの泣きそうな顔を今でも思い出せる。
ただ、今じゃない。
何となくだが、この場所でウッドに歯向かっても何もならない。
何故なら彼は、興奮状態だったからだ。
「興奮中の魔物は尻で殴る。って奴かな。人間でそれを見るとは思ってもみなかったけど」
昔小説で読んだことがある。
興奮状態にある生き物は、時に予想外の攻撃をしてくる。
だからと言って、それを考えても、あの場でその行為を見過ごすのはダメだと言われるだろうか。
でも、これでも考えがある。
いいや、もしかしたら言い訳をしているだけかもしれないけど。
……本音はもちろん助けたかった。
でも、一人じゃだめだと思った。
ごめん。僕が力不足で。
『はい?もう三時近いですよぉ……』
「その声、エミリーさん?」
赤毛の少女エミリーが僕の通話に答えてくれた。
『姉さんならもう寝てますよ。この時間に起きてるのは私だけです』
「エミリーさんでも構わない。とにかく頼みごとがあるんだけど」
『おっ? おーおー! 何ですか? 私で良ければ何でも聞きますよ!』
僕がそう言うと、何だかエミリーさんが嬉しそうにウキウキとし始めた。
「明日、三人で話したい事があるんだけど。今から言う時間に二人で待っていてくれないかな?」
『………』
「……ダメ?」
『え。それだけですか』
すると、エミリーは呆れたように。
『なんか拍子抜けです。
いやまぁ仕事中ですからそんな事情を持ち込むわけにいきませんけど、
何となく期待しちゃいましたよ、
ついに姉さんも白い花嫁衣装を着る時が来たかぁ……って』
「……何を言ってるのか分からないんだけど、取り敢えず答えを聞いても?」
『了解ですよ。もう少し女心理解した方がいいですよ、隊長は』
「は、はぁ」
『ちなみに、どんな事話すんです?』
僕はエミリーさんに簡単な要所だけを伝えた。
そしてこの事は極秘にしなきゃいけない事を伝えると。
エミリーさんは混乱しながらも受け入れてくれた。
取り敢えず僕は布団に入った。
……あんなものを見て、寝付けるわけなかった。
もし僕以外の兄弟が見たら、きっとあの場で無理やり助けてしまうのだろう。
でも実際、そんな度胸は無かった。
僕はどこか無関心気味に、それを剣の指導だと言った。
きっとカイソンの心情は、裏切られた、だろう。
別に見捨てたわけじゃない。僕だってこんなに冷静な自分が怖いくらいだ。
………。
あれは恐怖だった。
ウッド・ゼファー・ベイカー。
その男は『暴剣』と言う名前でとても有名だった。
昔の話だが、若かりし頃のウッドは弟を拉致し殺した組織を、
たった一人で壊滅状態にしてしまう程強い剣士なのだ。
赤い剣。
闘志の剣。
暴れる剣。
そんな呼び名があるほど、ウッドは剣術に長けているのだ。
これでも知らないフリをしていたが、きっと見透かされている。
自分の子供への虐待。
それも自分が最も得意とする剣でだ。
それは騎士として、剣術を極める者としての最悪であり。
最低であり。
もっと重い罪だと思う。
だが、そんな暴剣相手に、僕程度が勝てるビジョンが見えなかった。
これでも隊長と言う座を持っているが、隊長としての初仕事で、これか。
……相手が最悪だ。
元の任務は護衛だ。
死神候補の護衛が任務内容。
あの二人、カイソンとアイソンには人間を恨む要素がないと思っていたが。
あの二人は、カイソンに関しては百パーセント父親に恨みを持っている。
死神候補として条件をクリアしてしまっている。
護衛、そうだ、護衛なんだ。
あの二人を死ぬ気で守る。それが僕らの使命。
それくらいの覚悟でなきゃ、この仕事はやってられないか。
「……さて、どうやって助けるか」
――――。
僕は次の日、エミリーさんに指定した時間に通話を繋いだ。
そして全てを話、寝ている間に考えた今後を話した。
ナタリーは了承したが、エミリーさんは反対した。
『私たちの仕事じゃない』と言われた。
その通りだ。
だが、これは見過ごせる案件じゃないと言うと、エミリーさんは口ごもってしまった。
最終的に納得してもらったが。きっと。不満を感じていたんだと思う。
そしてその後、僕はいつもの中庭へ向かった。
朝の空気が冷たくって、庭の花壇が躍っていて。
そんな中、僕の目の前に知っているブロンド髪の少年が立った。
「君が来てくれて良かったよ。話したいことがあったんだ」
「お兄さんもなんだ」
カイソンこと、カーソン・ベイカー。
太陽のような笑顔は少しだけ歪んでいた気がする。
とにかく僕は彼に話を聞くことにした。
最初は簡単には喋ってくれないだろう、長い時間の説得などがいるのだろうと思っていた。
でも、違った。
「俺は望んで父さんに切られてる。これで、満足?」
「………」
……どうゆう事だろうか。
望んで、カイソンは父親に虐待されていると言う事なのだろうか?
ま、まだ。大人の人がそれを言うなら。
そうゆう性癖もあるよねと納得できるかもしれないが。
子供でそれはありえるのだろうか……。
「分かったら、もう俺に関わらない方がいいよ」
「子供らしくないね。望んで、ってどうゆう事かな?」
「昨日のあれ、見たんでしょ。あれは俺が望んでやっているって事」
「望んでる割には、死にそうな顔してたよね」
と言うと、カイソンは血管を浮かばせ、チッと舌打ちをしてから。
「――っ」
――刹那、風と共に僕の首元に木刀を寸止めして。
「これでも俺は強いと思うけど、それは兄さんだって知ってるでしょ?」
「………」
実際、その通りだった。
カイソンはきっと、ウッドの血を強く受け継いでいる。
下手すれば僕でも一本取られるほどの剣筋。見ているだけで汗が出てくる気迫。
――カイソンはウッドの暴剣を受け継いでいたのだ。
だから、カイソンが本気で僕を殺そうと向かってくるなら。
僕は絶対、自分の真剣を引き抜かなきゃ、勝てないかもしれない。
「そんな強い君が、ウッドさんに下っている理由が分からないなぁ」
「父さんは強い。俺でも勝てないくらいにね」
……なるほど。
つまり、カイソンに苦戦している僕では、
本当に暴剣と渡り合ったら勝算は少ないわけだ。
これは本当に、初仕事にしては最悪だな。
「そ。じゃあもう僕は君の事を忘れるよ」
「……それでいいよ」
「じゃああの時、僕を風呂場に誘ってわざと傷を見せたあれは、君のSOSではなかった訳だ」
「………SOSって何んだよ」
「さては本読まないな。オススメだよ、エレメントス」
それだけ言い残して、僕はその場を去った。
状況をまとめよう。
カイソンは『望んで』虐待を受けている。
カイソンは『暴剣』を受け継いでいるが、父親には及ばない。
ウッドは予測するに、僕の剣術では及ばない程強い。そして狂っている。
と言う事だ。
難しい問題だ。だが、作戦に変更はない。
次に僕が向かったのは。
ふんわりした雰囲気の場所だった。
暖かい対応が葉っぱの隙間から顔を出して、優しい顔が吹いて。
水場の近くで、小さい少女が座っていた。
誰も近づけさせない雰囲気を纏った。少女が。
「話すのは初めましてだよね。こんにちは、アイソンちゃん」
「やめて、その名前は……あなたには許してない」
「あ、そう。じゃあイーソンさん。話があるんだけどさ、いい?」
「……ん」
コクッと、小さな頭が下に揺れた。
風に、ブロンド髪が揺らされた。
この三日間で一度も喋ってなかったのには理由がある。
それはナタリーの報告であったものなのだが、彼女はどうやら極度の人見知りらしい。
それも、あまり男の人が得意ではないらしい。
本来なら護衛業に関係ないし、ナタリーが護衛出来ているなら問題がないと思っていた。
でも、僕が話しかける必要が出てきたのだ。
「イーソンさんは、カーソンの事をどう思うの?」
「……ばか」
「馬鹿……ね」
カーソンは確かに少し元気度が高いけど、別にバカではないと思う。
何かイーソンさんは知っていないのだろうか?
ウッドとカーソンの関係だとか。
でも、直球に聞いてしまうのは違うか。
「お父さんの事、どう思ってる?」
「……しらない」
「そう」
知らないの一点張りだと困る物がある。
聞きたいことも、イーソンさんがどこまで知っているかも分からないからだ。
あの夜の虐待を、彼女は知っているのだろうか……?
それから色々遠回しに質問をしてみたのだが、どうも受け答えがあやふやだった。
本当ならやめておきたい選択だったが。こうなると、聞くしかなかった。
直接聞いてみることにした。
「虐待……知ってる?」
「………しらない」
「……そ。話を聞いてくれてありがとうね」
結局、収穫はゼロだった。
これ、本当に助けていいのか分かんなくなってきた。
何故なら本人達が何も不満そうに思っていないからだ。
カイソンも笑顔で木刀を振っているし、アイソンも知らないの一点張りだ。
『本当は助けなんて求めてないんじゃないんですか?』
「そうなのかなぁ、でもこの状態は物凄く気持ち悪いですよ」
『それは私も同意見なんですが。いくら何でも、ここまで日常生活に暴力が混ざってると……』
気持ち悪い。エミリーさんの言う通りだった。
この屋敷にも使用人が居るのだが、きっと彼らも知っているのだろう。
だが、誰も止められていないと言う事は。
『ウッドさんが、暴剣って呼ばれてるなんて知らなかったなぁ』
「騎士の間では有名な話だよ。暴剣、きっとそれのせいで使用人も手出しが出来ないと思う」
もしも恐怖政治のような感じなら、使用人が何も出来ないのは納得できる話だ。
『……どうして隊長は、任務に関係ない事をするんですか?』
「ん? それはどうして……?」
『お言葉かもしれないけど。
前の隊長はそうゆう人じゃなかったから。
だから、一体どんな心の変化があったんだろうなって思って』
確かに、昔の僕なら少し冷たかったかもしれないな。
「……ま、色々あったんだよ。強いて言うなら、考えが変わっただけだね」
『そう、何ですね』
すると、魔石越しに安心したようなため息が聞こえてきた。
『どちらにせよ、隊長が変わってくれて良かったです。後腐れなくついていけます』
ついていける。
……そっか、自分ではあまり変化を感じないけど、他の人から見たら変わってるのか。
確かに前の僕ならこんな事しないだろうなぁ。
でも、これで良いんだ。
守る物が出来た僕は、守りたいと思う物が出来た僕は、もう無敵だ。
「ナタリーは寝てるのかい?」
『まぁ色々回ってくれましたからね。あと彼女、最近寝つきが良いんですよ。
昔は寝れない事が多かったのに、きっと、好きな人が出来たから……あ』
「え? 好きな人……?」
『あ、え。いや、なっ、なんでもないですよ!』
ブツンッと、通話は無理やり切られた。
え? は? 好きな人いるの? あー。ほぉー。へぇ。
「………」
あれ、なんでこんなに落ち込んでんだろ。
何……してるんだよ。べ、別に。いいじゃないか。
はは、ははは。
余命まで【??日】