三十二話「一番の泣き虫」



 三週間前。


「ケニー!!」

「なんだぁ!?」

「お前に、あの子供を守りたいと言う気持ちがあるなら」

「………なんだ!」

「その子に、隠し事をするな」

「………」


 サリー・ドードと言う男に。

 俺はそう言われた。

 言われて、でも、まだその覚悟は出来ていなかった。


 その覚悟が出来る前に。



――――。



「こう見ると、なんだか久しぶりな気がしますね」

「なに言ってんだ。三週間ぶりなんだから、普通に久しぶりだろ」


 と、サヤカは少し伸びた白髪を揺らしながら言ったので、俺はそう返した。

 そして俺の腕には、懐かしの黒猫が抱きかかえられていた。


「にゃー」


 マルの脇を持つ様な形で、俺は歩いてきた。

 変に歩かれると困るからな。

 迷子になったら大変だ。


「……」


 ん、待てよ。と、俺はマルへ視点を落とした。

 つまりだ。

 不服そうにするネコが鳴くのを俺は上から見ている状況なわけであって……。

 ……ふっ。

 ネコめ、そこで無様に己の醜態をさらしふがぁああ!!


「こらこらマル。ダメですよ、ネコパンチは」

「どうして、ただのネコが!!男の急所を殴れるんだよ!!」

「マルも一匹だと戦えないので、せめての護衛術を学ばせました」

「男の金的を狙わせる訓練をそのネコにするなああ!!!」


 俺のゴールデンボールを殴り、清々したと言いたげなネコがサヤカの足元に絡みつく。

 マルはサヤカにべったりなのだ。


 おっう。いったぁい。

 クソネコめ。少し見た目が可愛いからって生意気なぁ!

 今度背中を撫でてやるからな。

 心して待っておけネコォ!



 と、アクシデントはあったが。

 まぁいいだろう。

 マルはこの三週間、モールスの家で面倒を見てもらっていた。

 案外こいつは大人しかったようで。

 それに、サーラが出してくれる高級キャットフードに目を輝かせていたらしい。

 高級キャットフードからこいつの手を引き剥がすのに、どんなけ苦労したか。


 気を取り直し、俺とサヤカは家の扉を開けた。


「……そのまんま、だな」

「何言ってるんですか。物が動いてたら、それはそれでホラーです」

「まぁ、そうだな」


 扉を開けると、そのままの家があった。

 本当に、いつものリビングだった。

 でも、なんだか足を踏み入れるのに、勇気が必要だった。


 なぜなら、数週間前まで俺達は非日常を味わっていたからだ。

 その非日常は、目の前に広がっているこの日常を忘れそうになるくらい壮絶だった。


 だから、少しだけ戸惑ってしまう。

 久しぶりの日常の空気、普通の空気に。


「ご主人さま」

「なんだいアーロン」

「その名前、いやです」


 ぷくぅーと。可愛いほっぺ。

 あらやだ、怒らないでよサヤカさん。


「冗談だよ」

「ばーか」

「で、なんだよサヤカ」

「せーので。家に入りませんか?」

「……そうだな。それも良いんだが」

「……なんですか。なんか嫌そうですね」

「いや違う。マルがどしどしと家の中に」

「マルゥ!?空気を読もうね!!!」


 我が家の気分屋でトラブルメーカー。

 黒猫マルにより、三週間ぶりに帰宅をした。


 とりあえず、外の風車を回し、水回りの異常がないかを見てみる。


「水は出る。風呂も大丈夫。トイレもおーけ」


 よし。大丈夫そうだ。


「サヤカ、流石に二週間も家を開けていると汚くなるな」

「え。ご主人さまって定期的に帰ったりは……?」


 う。やっべ。


「……あー。してたしてた!!」

「それっていつくらいの時ですか?」


 くっ。疑心暗鬼の視線が怖い。

 はぁ、ここは正直に言うしか無いか。


「……目覚めてから四日目に、家に日記を取りに行っただけです」

「……もしかして僕の病室で何日も過ごしたりしてませんよね?」

「してた」


 サヤカにぺちんと、優しくビンタされた。

 なんだか最近痛いことばっかだな。

 良いだろ別に、近くの宿屋に泊まってても。


「もっと体を大事にしてくださいよ」

「はいはい」


 いやまぁ別に、心配だったのもあるが。

 この家から兄さんとか騎士のメンツやサヤカがいる病院が遠かったのだ。

 だって、王都の近くにあったんだぞあの病院。

 だから、近くに泊まるほうが手っ取り早いと判断したわけだ。

 いやまぁサヤカの病室にずっと居たわけじゃないからな。

 色々やることもあったし。


「全く、先に死なれたら困りますからね!!」

「………」


 その何気ない言葉に、思わず心臓を掴まれたような衝撃を受けた。

 そして足が、動かなくなった。


「……ご主人さま?」

「……あ、あぁ。そうだな」


 今の感覚についてはノーコメントで。




 さて、家についてから最初に始めたのは。

 家の掃除だった。


 案外ホコリが溜まってしまったので。

 サヤカと俺が頭巾をしながら掃除に取り掛かる。

 その間、マルは高級キャットフードをエサに外へ誘き出しておいた。

 ホコリをあまり吸わせないようにしなきゃな。


「サヤカ、あそこに風魔法出来るか?」

「あの隙間ですか?」

「あぁそうだ。威力は紙を飛ばす程度」

「了解です」


 魔法などを駆使すれば、案外すぐ終わった。

 マルが高級キャットフードでお腹をパンパンにし、満足げに家に帰ってくる時には。

 既に家は綺麗だった。


 とまぁ、あるべき家が戻ってきたわけだ。

 ここで、また平和な日々が続いていくのだろう。


 あと、数ヶ月だがな。



――――。



 木の床を歩いていた。

 風が気持ちよかった。

 中庭から差してくるその日差しに、思わず目をやられながら。

 俺は、久しぶりに再会したその男に。

 思わず、微笑みが溢れた。


「元気か。カール兄さん」

「あぁ。こんななりだが、元気ではあるさ」


 色が抜けきったその銀髪に。

 髭面で、疲れ切っているその男。

 カール・ジャック。


「サヤカくん……だっけ?目が覚めたらしいね。ケイティから聞いたよ」

「昨日、久しぶりに家に帰ったんだ。楽しかったぜ」

「そうか。それは良かったよ」


 ここは病院だ。

 サヤカも入院していた病院。

 その中庭がある場所、そこには座り心地がいいソファがあり。

 そこに腰を掛けながら、まだ休んでいるカール兄さんと話していた。


「団長。よかったのかよ」

「……よかったよ。流石にこの歳で腕がないのはお荷物だからな」


 そう、色が抜けきった銀髪の男が。

 哀愁漂う、笑みを浮かべた。


「後悔はないのか?」

「ないね」

「やめてどう思う?」

「清々したね。肩が軽い」

「そんな大事な大役を、降りても良かったのか」

「もう潮時だとは思っていたからな」


 その答えは、思っている以上にすんなり出てきた。

 要は元々そのつもりだったのだろう。

 だが。なんだか納得できない。

 いや、前からあまりカール兄さんの事を知らなかったからなのだろうが。

 団長と言う大役、名誉がある仕事を。

 そんなあっさりと、と思ってしまうのだ。


「………」


 だは、それは第三者がどうこう言う事でもないか。

 当人には当人の理由があるわけだし。

 だけど、なんというか。


「今の兄さん。なんつうか、生気がないんだ」

「……生気ね」

「なんか、杞憂ならそれでいいんだけどさ」

「おう」

「……なにか、悩み事とかあるの?それとも、何か思ってることがあったりするんじゃないの?」


 そう言うと。カール兄さんは表情を変えた。

 驚いたような、顔だったと思う。

 少し考えるように、うつむいた。

 それから少しの間の後に。

 カール兄さんは顔を上げた。


「兄さんさ、弱いんだ」

「え?」

「弱い。みんなより、すっごく弱いんだ」

「な。何を言ってるんだよ……団長に選ばれるくらい強いじゃないか」

「団長に選ばれるくらいの強さなら、みんなが持ってる。だけど俺は違ったんだ」

「……聞かせて」


 そう言うと、兄さんは、中庭から見える空に向かって。

 語りだした。


「近衛騎士団ってさ。別に王様の近くに張り付いているわけじゃないんだ」

「そりゃそうだよな……緊急時とかは王都を離れるんだろ?」

「あぁ。意外と守備範囲が広くてな。

 なんなら、要請が出れば早期加勢っつって。別の国に行ったりするんだ」

「別の国まで行くのか……」

「だからさ、休みがあんまりなかったりするんだ」

「以外と激務なのな」

「別にそれは慣れたんだ。だけどさ」

「うん」

「兄さん弱いから。苦しくなったんだ」

「……」

「簡単に言えば、仲間の死だね」

「死……」

「ケニーにも、身近な言葉かもしれないね」


 あぁ。そうか。

 カール兄さんは、知ってるんだった。


「ヘルクの件もそうだ。心強い仲間が、為す術もなく。簡単に死んでしまう状況だって普通にあった」

「……それは、辛いな」

「それに。守れなかった命も、沢山あるんだ」

「………」

「兄さんは、英雄気取りの人間だったんだよ」


 英雄気取りの、ただの人間。

 そう言うと、カール兄さんはこっちに振り向いて続けた。


「でも兄さんが、守れた命もあるんだろ」


 そう俺が言うと。


「もちろん。守った命もあると、思う。だけど。それ以上に」


 カール兄さんの目に、生気がない理由が分かった。

 長年。背負い込みすぎたんだ。

 その背中は、もうボロボロなのに。

 ボロボロの背中に、沢山の想いが重く伸し掛かった。


「死んだ仲間の、最後を覚えてる」

「………」

「死んだ仲間の、好きだった人を知ってる」

「………」

「死んだ仲間の、守りたかったものも。知ってるんだ」


 苦しかったんだ。と言う言葉の意味を知った。


 どうしようもない。

 今は亡き仲間の想い。


 全て背負って、全て理解して、全て覚えているのは。

 カールと言う人間の、優しさを表していた。


 その優しさは。自分の首を絞めていた。

 多分、カール兄さんはその自覚がある。

 だけど。忘れることなんて出来なかった。

 忘れたくないんだろう。


 忘れると言うのが、本当の意味の死と、知っているからだ。


「そっか」


 それが、カール・ジャックが抱えていた想い。

 カールの闇なんて極端な名称は付けたくない。

 それは愛だ。

 それは優しさだ。

 それこそが心なんだ。


「なぁ兄さん」

「なんだ。ケニー」


 俺は、立ち上がった。

 その座り心地が良かったソファから反射的に立ち上がって。

 カール兄さんの肩を両手で掴んで。


「――カール兄さん。お疲れ様」

「――――っ」


 ぴくっと。兄さんの肩が揺れた。

 そこからは勢いだった。

 兄さんの生気の無い目に光が灯り。

 想いが、溢れて。

 ぽつぽつと、涙がこぼれた。

 そして――。


「僕、頑張ったよなぁ……!!」

「あぁ。立派だよ、兄さん」

「僕は……僕はぁ!!」

「久しぶりに聞いたな、兄さんのその一人称」

「うるせぇよばぁか。僕だって、ちゃんとしなきゃって思って俺にしてたんだ!!」

「はいはい。泣け泣け吐き出せ」


 実は。

 カールと言う男は。

 ジャック家の中で、一番泣き虫で、一番強がりな人間だった。


 完全に色が抜けて、白い髪の毛になった兄さん。

 色が落ちかけていたのは、そう言う事だったのか。

 昔は、綺麗な銀髪だったのにな。



「こんなに白くなっちまって、白髪はサヤカと被るだろうがよ」



 カール・ジャックは。

 その日、本物の英雄になった。






 余命まで【残り257日】