「メデューサ……」
「これを……何ていうの?」
メデューサと少年が交わるのは、正直難しいと思っていた。
だが、初めてキスをしてから。
少年は心の中に秘めていた、メデューサへの感情を隠せなくなった。
でも、そうゆう行為は。
魔族と人間、それもメデューサとだ。
だから、出来ない。と思った。
思っていた。
「これはキスと言うんだ」
もう一度、少年からメデューサにキスをした。
蛇のように鋭い接吻。
甘くとろけそうで、一瞬溶岩だと勘違いしてしまったその一時。
それは。
少年の心を、簡単に射抜いてしまった。
暗い書斎で、その男女は服を脱いだ。
そこからは、勢いだったと思う。
苦しそうな声が響いた。
夏だったから、外で虫が鳴いていた。
その淡いランタンが揺れる部屋で、虫の声が響きながら。
――溶岩が、ぐつぐつと煮えたぎった。
――――。
それから数ヶ月。
妊娠が発覚した。
その認識は、メデューサの体の異変で気がついた。
片腕の一部が石になっていたのだ。
「……メデューサ?」
少年は、赤ちゃんが生まれることを喜んだが。
メデューサが日に日に石に近づいていくのを見て。
忽然とした不安を抱いていた。
元々、魔族と人間の赤ちゃんなんて話を聞いたことはない。
そんな物が出来るのかすら分からなかったし。
生まれたら、その赤ちゃんは人間なのか、メデューサなのか。
そんな事すら。分からなかった。
「ねぇカロン」
でもメデューサは。
「いま、おなかを蹴ったわ」
とにかく、幸せそうだった。
目隠し越しの笑みを。
どうしようもない不安を、忘れさせるほどの笑顔。
カロンは、メデューサに抱きついた。
そして、メデューサの頭を撫でた。
「メデューサは……死ぬの?」
「多分。死にます」
「……そう」
「でも、メデューサなんて種族。もう要らない」
「え?」
その言葉は、メデューサ本人から出た言葉だった。
「人と生きて、理解して、交わって。それが愛で。それを知らなくって、それを理解できなくって」
「………」
「ただ不幸を振りまく。病魔の魔族」
「………」
「そんな可愛そうな子。ワタシで最後がいい」
「そうか」
「だから、生みましょう」
メデューサは辛かった。
どう生きても、どう対策しても。
いつかは、必ず人を殺してしまう。
それがメデューサと言う病魔の魔族だ。
「ワタシを、メデューサを作ったのは。人間です」
「……え?」
唐突に、そうメデューサは告げた。
衝撃的な事実だった。
「ワタシは昔のワタシを知らない。だけど、メデューサの起源は知っている」
「………そうだよね。そうじゃなきゃ、自分をメデューサと名乗らない」
「――ワタシを作った人間は、ツノを持った人間でした」
「ツノを持った人間?」
「ツノは人の悪い部分に漬け込み、そこに入り込みます」
「……ほう」
「ツノに魅入られた人間は、人間の敵になります」
「………」
「そんな存在に、蛇と混ぜられた人間が。ワタシの起源です」
語り出したその起源を聞き。
それを少年が本にメモする。
そして全てを語り終わったメデューサは。
疲れたように息を吐いて。
「子供の姿を。この目で見たい」
メデューサは目隠しを指差しながら言った。
そう。
未だに、メデューサは。
カロンの顔すら、きちんと見たことがないのだ。
「分かった。子供を産んだその時。僕は目隠しをするよ」
「ごめんね。あなたにも、ワタシを見せたいのに」
「いいや、いいんだ。君は目隠し越しでも。可愛いから」
――――。
その日が来た。
密かに学習した助産を少年は駆使し。
メデューサのお腹から、可愛い赤ちゃんを引き抜いた。
「メデューサ。みて」
「………」
一言で言おう。
これはもう、石像だ。
メデューサの口が石になったのは、数週間前、突然だった。
でも、メデューサにはまだ意思があった。
石になっても、意思は残っていたのだ。
メデューサは目の周りと腰回りは、まだ石になっていなかった。
でも赤ちゃんを引き抜いた瞬間、腰回りは音を出しながら石になった。
「メデューサ。髪の毛に蛇は生えていない。人間の、子供だよ」
女の子だった。
可愛い腕だった。
つまむと潰れそうな程、小さな手だった。
おぎゃあ、おぎゃあ、と。
そう泣いていた。
赤ちゃんが泣き止むと同時に、赤ちゃんをは昼寝をするように眠った。
メデューサに音が聞こえるのか分からないけど。
メデューサの目から、目隠し越しに涙が溢れていたと思う。
そこで僕は目隠しをして。
「メデューサ、これが赤ちゃんだよ」
メデューサの目隠しを、外してあげた。
「………」
「可愛いだろ。手なんて、こんなに小さくって」
「………」
「……そうだな。そうだよな。聞こえて、ないよな」
少年は、そこで悟った。
もう、メデューサは死んだと。
石になって、もう生き返らないと。
ここで、病魔の魔族は、絶えたのだと。
「――っ」
音を立てて、全身が石になる音が聞こえた。
だから、少年は目隠しを上げた。
「……メデューサ」
そこで少年は、咄嗟に溢れてきた涙をどうにかする事が出来なかった。
初めて見る、色のない目。
目隠しナシで見るその目は、綺麗な形をしていた。
大きく、鋭く、可愛くって。
そして、泣いていた。
石像なのに、目の部分に、水が溜まっていた。
聞こえていたんだ。
聞こえて、いたんだ。
見ていた。
赤ちゃんを見れていた。
僕を、見れていた。
どんな涙だったかは、メデューサにしか分からないけど。
きっと、幸せだったと思う。
どろどろとした溶岩が目の前に迫ってきた。
だけどその見た目は、もう色がなくって。
固まってしまった溶岩を歩きながら。ワタシの目の前まで来た瞬間。
それはあなたのキスだった事に、気がついた
――――。
それから色々あったが。三年と言う月日が流れた。
本当に色々あった。
この街に魔物が攻めてきたり。
メデューサの話にあったツノの少年と出会ったりと。
「こら、ユサ。あまり走り回ると怪我するよ」
「いいの!!きもちいいから!」
そう、可愛い子供が走った。
確かに、ここは開けていて気持ちがいいな。
古畑跡だったっけか。
「………」
メデューサが石になってから三年。
そこから本当に色々あった。
メデューサが生前残した後悔であるグラル・ジャックは。
メデューサが死んでから一年後に死んだ。
『グラル・ジャック 多くの人を導いた人物、ここに眠る。』
少し草が生えてきた墓石に、そう書いてあった。
僕は屈んで、その伸びてきた草を抜く。
僕は花を添えに来た。
そこには既に、青くきめ細かい花が添えてあった。
名前はシラーだったかな。
僕はその墓石に、カモミールと言う花を添えた。
「メデューサがやってしまった事は、取り返しがつきません」
そう、呟くように話しかける。
「でも、メデューサはあなたを慕っていました。可愛い、子供ですよ」
「ユサ、おいで」と。可愛い子供を手招きする。
元気よく走ってきたユサを抱きかかえながら。
「この石を、触ってごらん」
「……うん?」
「ほら。お父さんも一緒に」
小さな手を腕に収めながら、一緒に墓石に触れた。
ざらざらしていて、あまり感触は良くなかったが。
「可愛い子供ですね。って言ってるよ?」
「……え?」
「この石さんが。そう言ってる」
その現象を信じるか信じないかは。僕の想像力に委ねられるのだろう。
だけど、あの石の少女の子供なのだから。
そのくらいの、優しい力があっても、良いと思う。
優しい力だ。
決して、病魔なんて言わせない。
「こんにちは」
ふと、背中から優しく叩かれるように。
そう声を掛けられた。
「あなたは?」
振り返ると、白髪の青年が立っていた。
その腰には剣を下げており。
その胸には、王都の紋章があった。
「どうして、ここに来てくれたんですか?」
「少し、過去にグラルさんに悪いことをしてしまいまして。謝っていました」
「そうなんですね。わざわざ花まで」
「いえいえ。家に居る妻に、頼まれましたから」
家に居る妻。
そう。まだ家にあるのだ。
メデューサの、石像が。
残っている。優しい目。
もしかしたらまだ見ているかもしれない。と。
そう思って、定期的にユサを見せている。
無反応だけど。
きっと、笑ってると思う。
「あなたは……どうしてここに?」
「ご主人様の父上だったんです。グラルさんは」
「……ということは」
「はい」
「………それは、気の毒だ」
「どうしてですか?」
「……だって」
「僕のお父さんは、昼寝をしています」
「……昼寝?」
「はい。いつもの部屋で、この気持ちいい風を頬に受けながら。笑いながら、眠っています」
「――――」
聞いていた話と違うが。
それを詳しく聞く気になれなかった。
「その部屋から。僕が一人前になるまで、見てもらわなきゃ行けないですからね」
「そうですか。お互い、頑張りましょう」
一人前。
僕も、早く一人前にならなきゃいけない。
難しいだろうけど。
でも。
もう、こんなに可愛い。子供がいるから。
指を使って、ユサの黒髪を小さくいじめてやると。
「うへへ」
そう、太陽の様な笑顔をして。
僕は、言った。
「ユサ、帰ろうっか」
間話「石の少女」―完―