官邸の、自分の部屋に資料を置くと、彼はそのまま大会議室へと向かった。
廊下で警備をしている兵士に、誰がもう来ているか、と問いかけると、若い兵士は、スペールン建設相が既に在室だと告げた。
扉を開けると、やあ、とスペールンは手を上げた。その建設相の前には、精巧な模型が置かれている。それはこの首府の改造プランをそのままミニチュア化したものだった。
この首府は、元々この官邸や議会堂のある地域がきっかりと生活圏と分けられている。その特性を利用して、更にその傾向を強めよう、というのが基本的な構想だった。
元よりある大規模建築を、更に大きなものに。つぎはぎな傾向のものを一つの傾向に。道路は拡張し、駅はもっと多くの人々の通行が可能な様に。
「総統閣下はまだ?」
「まだのご様子だが。君は一緒ではなかったのかい?」
「俺は所用があって今来たばかりだ」
ふうん、とスペールンは眼鏡の下の目を軽く細める。スーツの上着は椅子に掛けて、いつもの様に腕まくりをしている男は、何処かテルミンの様子を伺っているようにも見えた。
「で、状況はどうだ?」
「まずまずだ、と言いたい所だが、ちょっとばかり、厄介な問題も入っている」
「何だ? 例のテロのことか?」
テルミンは先日この男と会った時のことを思い出す。確かそんなことを言っていたはずだ。
「ああ。各地で起きている最近の活動状況なんだが、彼らは古い建築物よりは、こう言った新しいものばかりを狙っている」
「最近、と言えば」
「辺境武装地帯はどうなんだ? 軍の方は」
「ああ」
うなづくことで、テルミンは自分の内心の動揺を隠した。
辺境武装地帯は、ヘラの過去が少なからず存在する場所だった。テルミンにしてみれば、反乱分子共々消してしまいたい存在ではあるが、そういう訳にもいかない。共倒れを願っていた、というのが正直な所である。
テルミンは、現在の「総統」の地位が永遠である、などという幻想は持っていない。彼はそこまで誇大妄想狂ではなかった。
彼がヘラをその地位につけることで欲しかったのは、ヘラという人間の自由だったから、それは、あと数年その地位に居て、平和裡に引退すれば手に入るものだ、と考えていた。
ただ、それを手に入れるために汚してきた手のことを忘れている訳ではない。そのために、現在の急ピッチで行われる作業の数々があった。とにかく何かしらの功績を。
対外的には、それなりのものがあった。例えば、全員が脱走した流刑惑星ライから採れるパンコンガン鉱石。これが一定の量採取できなくなってしまったことは、帝都政府に対して大きな問題となる。
帝都政府がこの星系に対し、強圧的になってでも要求するのは、この鉱石くらいなものである。しかしそれは逆に言えば、この鉱石だけは、「絶対に」保証されなくてはならない、ということである。
ところが番狂わせの脱走事件が起きてしまった。皮肉なことに、これがまずヘラを表に押し上げる原因となった。
テルミンは当時のことを思い出す。帝都の派遣員により、「代理」という形で全権を押し付けられたヘラにとって、最初の問題でもあった。
さて、それに対し、まず外側からは、帝都政府からの厳しい追及があった。レーゲンボーゲン政府の代表として、ヘラ・ヒドゥンはその矢面に立たされた訳である。
連日行われるこの会談は、閉ざされた扉の向こうで行われたが、その直後に、必ず中央放送局のカメラがこの「代表」の姿を追ったのである。
そして内側からは、反政府主義者達が、そんな風に追求されなくてはならないことに憤り、帝都政府からの独立を叫ぶ。
テルミンはその時はまだヘラの側近に過ぎなかった。しかしその時彼は、特命という形で、反体制主義者達を半ば強引に逮捕したのである。
もっともそれは、期間限定のものだった。その時必要なのは、その危険分子達を引き留めておくことで、刑罰を食らわせることや、転向を求めることは必要では無かったのである。それに彼は、そんなことを強要すること自体、人々の政府離れを招くことを知っていた。あくまで一時的なもの、と彼は説明し、それを実行した。
テルミンは無用な血が流れることは好まなかった。それは彼の性質もあるが、それ以上に、無意味な弾圧の持つ逆効果を恐れたとも言える。
実際、ヘラが帝都政府との交渉において、パンコンガン鉱石の採取を一年遅らせることで決着をつけた時、テルミンは即刻一次拘留していた反体制主義者達を解き放った。
そして彼は言った。あくまでこのレーゲンボーゲンには思想の自由がある、と。
その直後、ケンネルをはじめとする軍の技術研究所や、科学技術庁のスタッフといった者が、ライへと調査・研究のために飛んだ。そこには、パンコンガン鉱石の採取も義務づけられていた。
そしてケンネル達が戻ってくるまでの三年で、テルミンは側近から秘書官、そして宣伝相という新しい地位を手に入れた。
この指導者自身も、帝都政府向けの矢面に立つ存在として、「首相」ではなく「総統」という位についた。結果、その役名になって後、この指導者の持つ権限が増えたことは言うまでもない。
……さて。
テルミンはこの筋書きを自分が全て書いたものである、とは思ってはいなかった。
ある程度までは。自分が動く範囲においては、それは間違ってはいない、と思う。そして、そこで必要な場合において、彼はあの帝都の派遣員の手を借りた。
正直、パンコンガン鉱石については、テルミンは何も知らないに等しい。あくまで彼にとっては、それは政治的な材料に過ぎない。だから彼はその意味を帝都からの派遣員であるスノウに聞いたことはなかった。その意味を聞くこと自体、この派遣員の疑念を招くだろう、と考えていたのだ。
だがしかし。
時々テルミンは思う。全てが、この男の手の中にあるのではなかろうか、と。
それがいつ、どの時点からなのか判らない。だが、少なくとも自分というコマが現れるのをあの男がじっと待っていたとは思えなかった。
それは自分が自分以外の誰かをコマとして操る様になってから、初めて判った感覚である。
その意味では、この目の前の男もコマの一つであるはずだった。ただ、このコマは、自分からその身を差し出してきたのだが。
「総統閣下は、このミニチュアがかなりお気に召した様だな」
「実際、君の進呈したこれは実によくできている。俺だって欲しくなるくらいだ」
「あいにく、これは特別だからな。そういう訳にもいかないな」
戸口から声がしたので、二人は勢いよく立ち上がり、敬礼する。彼らが敬愛なる総統閣下、が部屋の中に入ってきたのだ。その身体には、軍服に似た紺色の服が実にきっちりとつけられている。その身のこなしにはスキが無い。
朝のあの姿を見たことがある者には、とうてい同じ人物であるとは思えないだろう。
「テロ対策がどうとか言っていたが?」
真ん中の席につき、二人に座る様にうながしたヘラはテルミンの方を見る。
「現在また、増加している反乱分子なのですが」
「具体的に言ってみろ」
「はい。調べましたところ、特に、西のエンゲイを中心とした、『赤』の動きが活発化しているとのこと」
「『赤』か……」
「宣伝相、『赤』とは?」
スペールンは訊ねる。
「ああ、地方の反乱分子の総称なのだが、最近の輩は、それぞれの組織に色の名前を付けることが多いんだ。『赤』とか『緑』とか『橙』とか」
「色。各地で違う色ということか」
「そう、とも限らない」
ヘラはテーブルの上に置いた腕をぐっと握る。
「ある都市に、幾つかのそんな組織があったとする。その中の一つが『赤』であったりする場合もあるし、そうでない場合もある。ある都市にはそれしかない場合もあるし、ある都市には全くそれが無い場合もある」
「と言うことは、色のついた名前の組織、はそれ自体、星域中で連携しているということですか?」
「とも、考えられる」
ヘラは短く答えた。
「何しろ、その連中ときたら、実にするするとこちらの捜索の手をすり抜ける。情けないことに、どうしてもその色の名前がついた集団に関して、こちらは何の手も打てない」
「ふうん。まるでこっちの手を読んでいるかの様に?」
「どうかな」
ヘラはそう言ってふっと笑った。