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こっちだ、と夕刻になってから、マーチ・ラビットとキディは、五人をその街の真ん中にある一軒の店へと連れて行った。
そこはごくごく当たり前な居酒屋に見えた。少なくとも、BPの目にはそう見えた。
白く塗られた壁の上に、見せるかの様に木の梁や柱が顔を見せている。黄色みがかった照明の下では、丸い焼き板のテーブルがあちこちに並び、そこで仕事帰りのブルーカラー達が、一日の疲れをいやしている様な所だった。
「この街には、地上車の生産工場があってな、そこの従業員が結構溜まってたりするんだ」
マーチ・ラビットは普通の声で説明をする。もっとも「普通の大きさの声」はこの喧噪の中では、小声に過ぎない。実際、辺りを見渡すと、同じ様なくすんだ水色のツナギを着て、腕まくりをしている様な男が多い。時々女も居るが、やはり同じ様な格好だった。
「ご注文は?」
とその中では花が咲くような可愛らしい少女ウェイトレスが銀色の丸いトレイを持って訊ねる。キミがいいなあ、などという相棒をBPは丁重に真上から頭をはたく。いてぇーっ!!と相棒がわめいたのは言うまでもない。
「えーと。ビールをとりあえず」
「はい。皆さんジョッキでよろしいんですね?」
マーチ・ラビットはにやり、と笑う。
「ああ。それにタンクもつけてくれないかい?」
途端に、可愛らしい少女ウェイトレスの顔がこわばった。
「少々お待ち下さいませ」
ひらり、と白いエプロンを翻して、彼女は厨房の中へと入っていく。
「かーわいいねえ」
「何を言ってる、何を……」
「あ、妬いてるのー?」
そしてうりうり、とリタリットは相棒の肩を肘でこづく。しかしそうは言いながらも、その目は笑っていない。
「可愛いけど、何か手がね」
「やっぱり思ったか?」
ビッグアイズは更に目を大きく広げる。
「ああいう風にタコができるかねえ? 普通のおじょーちゃんは」
にやにや、とそう言いながらリタリットは少女の入って行った厨房を眺める。やがて少女と入れ替わりに、一人の男が中から出てきた。BPはそれを見た途端、ぞく、と背筋に寒気を感じた。何てえ迫力だ。
見たところ、小柄な一人のウェイター、という印象なのだ。白いシャツに蝶ネクタイを締め、黒いギャルソンのエプロンを付けている。腰も低い。既に中年を越しているだろうか。頭の半分が白い。
そんな男が、ゆったりとした口調で偉丈夫に問いかける。
「タンクを御所望で、お客様」
「そう。できれば氷もつけて。水晶の様に綺麗な」
すると男は、口元に微笑を浮かべ、右の腕をふわりと上げた。
「……かしこまりました。それはちょっとここでは出せませんので、奥へどうぞ」
誘われるままに進んだ奥の部屋には、会議がそこで行われるのではないか、と思われる様な大きなテーブルが置かれていた。
どうぞお座り下さい、と男はいつの間にか二人の男を従えてそのテーブルについていた。椅子の数は、八つ。初めからここにやってくる人数を知っていたかの様に、それは配置されていた。
「ようこそいらっしゃいました、お客様がた。この辺りの反政府組織の仲介役をやっております、ウトホフトと申します」
「我々は……」
「よう存じております。皆様がたが脱出した折りの出来事に関しては、我々の中でもずいぶんと話題となりましたことです」
思わず彼らはその言葉に肩を引く。どうもこちらの方が分が悪いのだ、とBPは反射的に思う。
「然るに、皆様がたのこちらに対するご要望というものも、ある程度は推測が立ちます」
「……それでは、協力体制を取ってくれると?」
「それはこちらも同じでございましょう。皆様がたの中には、非常に様々なご経験をお持ちの方も多いはず。そちらが我々にご協力を進んでしていただければ、その分こちらからも、それ相応の援助をさせていただこうと思う次第」
「目的が同じであるなら、それなりの協力はしましょう」
ヘッドは奇妙なほどの威圧感のあるこのウトホフトと名乗る男に対し、平然と答える。BPはそういうところが、この自分達のリーダーは貴重だ、と思うのだ。何なのだろう、この悠然たる態度は。
「しかし、我々はあくまで、独立した個人がただ集まっただけ、という集団に過ぎませんから、結局は参加する個人の意志が問題となりますが」
「個人の意志、とおっしゃる」
男はふっと笑う。
「まあそれも宜しいでしょうな。まあ少なくとも、悲願叶った暁に、不要になったから消してしまおう、などとは我々は思いませんが」
そしてちら、とリタリットの方を見る。リタリットは口を露骨に歪めた。
「個人個人の参加を呼びかけていただければ、我々は皆様がたを我々の連絡網で結ばれた各地の組織で歓迎致しましょう。……しかし」
「しかし?」
ヘッドは即座に問い返す。
「そこの、あなた」
BPははっとして顔を上げた。声が、自分の方を向いている。声だけではない。ウトホフトの視線が、自分の方を向いているのだ。
「あなたは、いけない」
「何だって?」
キディが思わず立ち上がってきた。
「このひとは、ウチでも指折りの闘士なんだぜえ!」
闘士と言われては気恥ずかしいものがあるが。しかし確かに彼がこの脱走集団の中では、指折りの使い手であることは事実だった。
「それは判る。それは我々もよおく判っているのです」
「だったら何故」
マーチ・ラビットも口をはさむ。元々この男は最初にBPと対戦している。入所したばかりのぼうっとした頭のままなのに、よりによって自分を負かした相手が、この様に言われることにはひどく不満の様だった。
「そこの方。あなたが非常に強いことはよおく我々は判っているのです。しかし、それだけでは、あなたという人物に関しては、我々はなかなか難しいものがあるのです」
「だから何だって言うんだよ!」
ばん、とリタリットはテーブルを叩いて立ち上がった。よせ、とBPはその服の裾を引っ張る。
「ウトホフトさん」
そして顔を上げ、彼は問いかけた。
「俺はそんなに強烈に反骨精神を持っているという訳ではないが、仲間と一緒に戦っていきたい、という気持ちはある…… だから、聞きたい。何故俺は、まずいんだ?」
「言わない方がいいこともありますが」
「それは、俺が誰か、ということを、あんた達は知っているということなのか?」
「はい」
あっさりと、ウトホフトはうなづいた。
「しかしそれを知ってあなたはどうなりましょう? 知りたいのですか?」
「知りたい」
「知らないほうがいいこともあるのですよ?」
男は、そのまま右斜め後ろに立つ若者に合図をした。すると同じ様にギャルソンのエプロンを掛けていた若者は、それをまずするりと取り、また、その下のシャツをも取り去った。
あ、とキディは声を立てる。ち、とビッグアイズは舌打ちをした。そこには、肩から斜めに走る大きな傷跡があった。
「彼は、七年前に、ウシュバニールの反乱軍で少年兵として、参加していました」
ウシュバニールは、西の辺境だ、と彼の知識は告げる。一年のうち、雨の降る日がひどく少ない、乾いた土地。
「彼は当時、ある程度まで、自軍が勝利する可能性があった、と信じていました。実際その可能性はありました…… 二人の男が、彼らの目前の敵である、辺境武装地帯の警備隊の中に配属された時まで」
「……」
BPはひどくその言葉の調子の中に、嫌なものを感じていた。悪意ではない。悪意ではないのだが。
「はっきり言って、彼らの軍は、その配属されたばかりの二人に壊滅させられた、と言っても良かったそうです。彼もまた、ひどい手傷を負いましたが、運良く近くの民家に保護されたらしいです」
そう言って、ウトホフトは、若者にもういい、と服を元に戻させた。
「それが、我々の仲間と何の関係があるのですか」
ヘッドはあくまで冷静に、問いかけた。それは答えの判っている問いだった。彼自身、次に来る言葉を、簡単に予想ができた。
「つまり、我々の仲間、BPは、その一人だ、と言われるのですね?」