*
「あれ?」
相棒は不意に声を上げた。そして横に立っていた彼を肘でつつく。何、とBPは相棒の指す方向を見る。彼は思わず両眉を上げた。
「ジオ?」
都市間列車はゆっくりと止まる。そのさほど待ち人の多くない小さな駅の、改札を抜けた向こう側に、彼らは知った顔を見つけた。それは、居るはずの無い顔だった。
彼らは慌てて改札を飛び出す。穏やかな顔の、この研究者は、偉丈夫とまだ少年くささが残る青年の間に挟まれて、ひらひらと手を振った。
「……ジオ……」
「やあ久しぶり、二人とも。ヘッドとビッグアイズは?」
「二人とも後で来る……それよりあんた、何でここに居るんだ?」
BPは答えと質問を同時に放る。
「やだなあ。帰ってきたに決まってるだろう?」
「って…… けどあんた」
聞きたいことはあった。何せ、ここに居る筈のない男なのだ。この目の前でにこやかに笑う地質学者は。
「ま、それもおいおい話すよ。ちょっと一口では言い切れないんだ」
そうだろう、とBPは思う。そうでなくては、いけない。何故なら、この男はあの時、あの惑星に残ったのだから。
「や、それにしてもお久しぶりですう」
眠そうな猫の様な顔でキディはBPに向かって笑いかけた。するとマーチ・ラビットはぐい、とその襟を後ろから掴む。ぐび、とキディは喉から音を立てた。
「何だよお前、ずいぶんと違う態度じゃねえか」
「あんたに今更何言えっていうんだよ」
そう言ってキディは斜め後ろの相棒にひじ鉄を食らわせた。ひえい、と思わずリタリットは指をくわえる。
「お前強くなったのね……」
ふんっ、とキディは両手でポーズを取った。
*
もう一組の待ち人が到着するのは一時間程後の予定だった。
リタリットはキディと一緒に、広場に溜まる鳩をからかい、BPは煉瓦でできた花壇に座って煙草をふかしていた。偉丈夫は何やら小腹が減ったらしく、近くのサンドイッチ屋へと入っていった。
「それで、どうやってあんた、帰ってきたんだ?」
ふう、と煙を吐き出しながらBPは訊ねた。隣に座っていたジオに一本勧めると、吸わないんだ、と手を振った。
「まあ、帰ってくる気は無かったんだけどね……」
「あん時は皆びっくりしたんだぜ?」
「そりゃあそうだろうね。誰だって帰りたいだろうから」
「でもあんたは違ったじゃないか」
「僕にとっては、あそこは宝の山だったから」
それは確かにそうだったろう。ジオは当時からそこで働くこと自体が好きだった。あの頃の強制労働ですら、この男には楽しみでしかなかったのだ。
「三年。でも三年は大きかったよ。おかげで僕は色んなことを知った」
ばさばさばさ、と鳩がキディの持つポップコーンを狙って大挙する。それを見てリタリットは何やってんでえ、とげらげらげらと笑う。
「例えば?」
「うん、……何って言えばいいんだろう……」
「長くなるのか?」
「かなりね。ここでちょっと人待ちで話すには」
「ふうん」
BPは再び煙を吐き出す。
「じゃあ、どうやって帰ってこれたか、だけでいいんだけど」
「ああ……ちょっとばかり、帰還組に混じってね」
「帰還組。って言うと、もしかして軍の……」
彼は新聞の文化欄に載っていた記事を思い返す。
「そ。僕はずっと、あの調理人達の間に混じっていたんだけど」
「ああ、元気だったかい? あの料理長は」
彼は赤ら顔の料理人を思い出す。思えばあの男のおかげで、皆何とか健康なまま、あの冬の惑星を生きてこられたのだ。
「ま、さすがに彼らも三年の期間延長には参ったらしいけどね……でもその三年で、あの収容所を閉鎖するって、やってきた科学技術庁の特派団が言ったから、しょうもないな、とか言いながら、任務を全うしていたけど」
おそらくは、その三年自体が、むざむざと囚人達を逃してしまった彼らへの失態の処罰なのだろう、とBPは思う。
「平穏な生活に戻っていて欲しいよな。ラルゲン料理長は」
「全くだ」
ジオはうなづく。
「ところでジオ」
「何だ?」
「向こうで、あんたは囚人だったってこと隠してたんだろ? 今度の科学技術庁長官に抜擢されたって奴とは、話したことあるのか?」
「ノーヴィ・ケンネルのことかい?」
ああ、とBPはうなづいた。現在の政府は、首府改造計画の様な物理的な部分を大きく変えているだけではない。政府内の組織もかなり変えてしまったのである。
「あれは滅茶苦茶な人選だ、と皆言ってたよ」
「ああ………… でも僕としては、別に構わないとは思うけど」
「構わない構わなくない、じゃなくてさ」
「そりゃまあ、BPの言うことはよく分かるよ。だから何の実績もさっぱり分からないぽっと出がいきなり長官、ってことだろ?」
「そう」
「でもそれを言ったら、今をときめく総統閣下だってそうだろう? 大きな声では言えないけど」
「……まあな」
BPはその人物のことを話題に出されると緊張する自分に気付いていた。気にしすぎだ、とは分かってはいる。だが。
「そもそも総統なんて地位が、今までのこのレーゲンボーゲンにあったか、って言えばそれも無いだろう? 首相の代行、で、首相にはならない代わりに、そんな地位を作ってついてしまった。僕はね、BP、向こうで会った軍の科学技術庁関係の連中と話をするたびに、向こうの連中が首をひねっていたのを知ってる」
「そういえば、放送が入ってきてたんだよな」
「一応料理人の中に紛れていたから、食堂の放送は僕も目にしたしね。向こうの機材を使ってもみたかったから、『すいませんお手伝いさせて下さい~』ってちょっと愛嬌なんかもふりまいてね」
似合わねえ、と思わずBPは頭を抱えた。
「……そんなこと言ってもしょうもないだろう? 僕はそういう時には何でもやるからね。……まあそれはともかく、おかげで、向こうの連中の研究という奴にも結構参加できたし……」
「本当にあんたはそういう点では見境無いなあ……」
「お誉めにあずかってどーも」
誉めている訳ではないのだが、とBPは苦笑する。
「目的があるんだから、そのためだったら何でもできるさ。僕はそもそもがどうもノンポリらしいし。……ああ、そう言えば君は、BP、何か記憶の断片でも増えた?」
「増えたと言えば増えたかもしれないけど……謎も増えたというべきかな。あんたはどうなんだ?」
「僕は別に。もともと皆の様に残っているものも無かったから、思い出そうという気も起きない。しいて言うなら、僕に残っていたのは、研究への熱意、って奴だろうし…… だとしたら、僕は…… ねえ?」
全くだ、とBPは再び苦笑する。
「僕はかなり、幸せな部類だろうな」
そう言ってジオは子供の様に鳩と遊び続ける二人に視線を移す。肩にふんをされて馬鹿ヤロ焼き鳥にしてやる、と怒鳴るリタリットをキディがばぁか、とげらげらと笑い飛ばしていた。
「ドクトルKから前に聞いたことがあるけど、キディの唯一の記憶って、親、らしいよ」
「親?」
「どうも断片的な部分をつなげると、彼、親に通報されたらしい。……て言うか、親に殺されかかって逃げたとこを、通報された、って感じなのかな。つなぐとそんな感じらしい」
「つなぐと、か……」
BPは眉を寄せた。
「君の相棒も、そういう意味ではひどい部類じゃなかったっけ?」
「ドクトルは奴にも聞いたのか?」
「彼が来たばかりの時、ひどい躁鬱が激しかったから、話を聞いたことがあるらしい。でも君が来てからずいぶん良くなったって言うんだけどね」
「俺は何もしてないぞ?」
「だろうね。でもねBP、居るだけで何か気が楽になる、って相手ってあるじゃない?」
「……」
「おそらく彼には、君がそうなんだろうね」
その割には、することがとんでもない様な気がするのだが、とBPは内心つぶやく。そこから先は、プライヴェイトだ。
彼自身は、格別何かに対して欲望を感じたことが無い。少なくとも、相棒が自分に対している様には、何かを特別欲しいと思ったことが無い。それが元々の性質なのかもしれない。
だからこそ、何故自分があの「誰か」に固執しているのか、よく分からないのだ。
あれが自分の「好きな誰か」だとしたら、何かつじつまも合わなくもないが、だとしたら、何故あの「総統閣下」とそれがだぶるのだろう。
「……ジオ」
「何」
「もし自分の過去が、認めたくない様なものだったら、どうする?」
「認めたくないもの?」
「例えば俺は軍関係だったらしい、だろ?」
「……ああ、そういうことね。でも、僕らは君が向こうでどうだったか知っているじゃない。君が何であったとして」
「そうかなあ?」
「そうだよ。あそこで生きてきた仲間は、それしかない分、そこに居た記憶が全てだから、君がどんな者であったとしても、今そこに居る君が君だと認めると思うよ。僕だってそうだし」
「そうだな。そうあってほしい」
「気弱だな、BP」
くす、とジオは笑った。
鳩が一斉に舞い上がる。列車の到着のベルが鳴ったのだ。