大隊長への報告を終え、カイトは自室に戻った。
ダグラスへの報告と拠点への帰還、各メンバーの評価をまとめたレポートを作成し、大隊長からの質問に答えていたらすっかり夜だ。
体感時間は短かったものの内容が濃すぎて、一瞬のようでありながら昔の出来事のようにも思える奇妙な感覚に襲われている。
自室の扉を開けて一番最初に目に入るベッドに吸い込まれるように横になり、体が鉛のように重くなって動かなくなる。
せっかく備え付けられている浴室も、これでは宝の持ち腐れだ。
「隊長見習い殿は随分とお疲れのようだ」
「うわっ!」
寝返りを打った瞬間、いつの間にか隣で寝ていたヘヴリングと目が合った。
赤い瞳の奥が炎のように揺らめいており、つい目が離せなくなってしまう。
ヘヴリングはにこりと笑ってから、立ち上がろうとするカイトの体を抱き寄せた。
「そんなに驚かなくても良いだろう? 癒されついでに癒してあげようかと思ったのに」
「いきなり部屋に入られたら普通驚くって」
狼狽える姿を面白がって、ヘヴリングはカイトに抱き着いたまま離れない。
大人の男と少女の体格差はあっても種族の差は明確だ。
カイトには不満げな態度を取る程度の抵抗しか許されず、されるがままになるしかない。
諦めと共に落ち着きを取り戻して初めて、ヘヴリングの体が妙に冷たい事に気がついた。
「密着を好むのは体温が低いからでね、体内を魔力が流れる魔族にとって人の温もりは貴重なんだ」
ヘヴリングの声が微かに弱々しくなる。
無意識にそうなってしまったのか、隠し切れないほどの何かがあるのか。
どちらにせよしっかりと受け止めないといけないと、カイトは続く言葉に注意を向ける。
「だから、私が君に望む事は、ただ抱きしめてくれるだけで良い」
「そういう事情ならいくらでも。 ただ、突然部屋に入って来るのはやめてくれ」
即答され、ヘヴリングは思わず笑ってしまった。
魔王の眷属という偏見に晒され、普通の人間であれば近づこうとも思わない魔族を何の抵抗も無く受け入れるなんて。
ヘヴリングがコンキスタドールへの加入を決めた際にもしかしたらと期待していた展開が現実のものになり、それだけで全てが報われたような気がしてくる。
隊長となるべき転生者が現れないまま過ごしたここ数年間も、この時のためにあったと思えば無駄では無かった。
「ずっと影の中に居たのに気づかなかったのは君の落ち度だろう? まぁとにかく、許可を貰った以上遠慮はしないから覚悟して欲しいな」
再びベッドに横になると、ヘヴリングはカイトの胸に顔を埋めた。
全身に伝わる温かさが空っぽの体を満たしていく。
何も知らない異世界人を騙しているだけではないかという罪悪感も、この温もりに溶けてしまう。
しばらくそうした後、ヘヴリングの方からゆっくりと手を放し、離れて行った。
「もういいのか?」
「ああ、満足だ。 代わりにいくつか良い事を教えてあげよう」
横になったまま再び視線が合う。
ヘヴリングはいかにも意味ありげににやりと笑った。
「大隊長が君をペットに例えたのは気を遣ってだ。 君に本当に求められている役割は種馬だよ」
「はぁ?」
思ってもみなかった発言にカイトは目を丸くした。
ヘヴリングがいたずらにこんな事を言うとは思えないが、それでも内容が内容過ぎる。
期待以上のリアクションが得られて満足顔のヘヴリングにカイトは詰め寄った。
「種馬って、なんでそんな」
「転生者を得た種族は得る。 古くからの言い伝えのような物だが、転生者との間に生まれた子供が突出した能力を得るのは事実でね。 他の種族を出し抜くためにもどうにかして転生者を手中に収めたい、というのが大半の種族の考えさ」
ヘヴリングはいつになく饒舌だ。
種を残す事で次代に望みを託す事しか出来ない短命種をあざ笑いながら、羨ましくも思っている。
そんな奴らの思惑を明かした事で、この世界唯一の転生者であるカイトはどんな反応を示すのか。
下手をすれば隊の崩壊も免れないが、ヘヴリングにはカイトだけ居れば十分だ。
「じゃあ、みんな好意的なのも……」
「全員が全員善意から、という訳では無いだろうね。 種全体を強くするための打算、という可能性も大いにある」
カイトの中で不安が大きくなる。
魔王との戦いで疲弊した種族は多く、今の内に影響力を高めておこうという野心的な種族もまた多い。
人間、エルフ、砂漠の民、魔法使いや、種族として認識されていないほど少数の種。
その内の誰かが、ただ種のためだけに好意を向けているとしたら。
知らない世界に呼び出され、美女揃いの部隊の隊長だとおだて上げられ、種の強化剤としての役割を期待されているだけだったら。
ろくに戦闘訓練もされず、ただ守られているだけで良いと言われた事も、ヘヴリングの言う事が確かなら納得出来てしまう。
守られるだけの、世界の仕組みも知らない隊長様の方が都合が良いに決まってる。
表情が険しくなるカイトに、ヘヴリングはそっと寄り添った。
「ちなみに、魔族に繁殖能力は無いよ。 私が君に向けているのは掛け値なしの純粋な好意だ」
カイトの心を絡め捕る魔の囁き。
周りの人間が敵か味方かもわからなくなる中、自分だけは絶対に味方だと宣言する強力な呪い。
簡単に堕ちてしまいそうな、そんな甘い言葉だが、カイトの心には届かなかった。
「でも、ライラやポラリスは?」
ヘヴリングの表情が冷たくなる。
コンキスタドールの中でも異例中の異例の二人。
世界で唯一の獣神族と、天使の子。
種という単位で物を見ないこの二人が向ける感情には、ヘヴリングが言った打算は含まれていないのではないか。
カイトの純粋な質問が、ヘヴリングに思わぬ影響を与えていた。
「あの二人が特別なのは認めるよ、種としての有益さもあの二人には関係ない。 ただ……」
ヘヴリングがカイトの後頭部に両手を回し抱き寄せる。
痛みを覚えるような力で抱き寄せられたカイトはなすすべなく体の自由を奪われた。
「せっかく二人きりなのに、他の女の名前を出すのは妬いちゃうなぁ」
蕩けるような、甘い声。
真紅の瞳の奥で妖しい光が揺らめく。
誘うような視線が絡みつき、瞬きすら許さない。
金縛りのように動かなくなったカイトの体を、ヘヴリングの長く美しい指が這う。
少女のようだった姿はいつの間にか大人の女性のものに変わっていて、カイトの体が深くベッドに沈む。
ヘヴリングは馬乗りの体勢になると、そっと口づけを交わした。
人間を魅了するのは魔族の得意とする所だ。
全くその気の無い者すらその気にさせ、快楽の沼に引きずり込む。
自ら考える事を放棄した、完全な服従の心地良さは一度知ったらもう抜け出せない。
人間性を殺しかねないその劇薬を、ヘヴリングは躊躇いなく幾度も使ってきた。
「……ここまでにしようか。 少しいたずらが過ぎたね」
虚ろな目で放心状態になっているカイトから下り、そっと隣に寄り添った。
このまま行為を続ければ、カイトは間違いなく自分の物になる。
カイトの人間性と自身の独占欲を秤にかけて、ヘヴリングは渋々虜にするのを諦めた。
カイトがコンキスタドールに来てまだ二日目。
これから先の長い時間を考えれば、人間性を奪わず虜にする事だって可能なはずだ。
ヘヴリングは元の少女の姿に戻ると、嬉しそうにカイトに抱き着いた。
窓から差し込む月明りは光量を増し、二人を祝福するかのように照らし出していた。