「それで、調査結果は?」
拠点で一番高い、離れの塔に大隊長室はある。
机、椅子、本棚、ベッドが置かれただけの簡単な部屋で、小さな窓から差す月光が室内を明るく照らしていた。
椅子に座る大隊長と、真剣な顔のフラメル。
カイトたちが戻ってから緊急の調査を命じられたフラメルはあの遺跡へと赴き、深夜になってようやく戻ってくる事が出来た。
そしてその調査結果から、急いで調査させた事の意味を思い知っていた。
「魔王の魔力を封印した魔石の存在と、一時的な魔族の顕現を確認しました、これは間違いなく事実です」
大隊長はそうか、と呟き、手元の羊皮紙に何かを書き記す。
「魔王討伐の後、天使たちは『魔王は完全に消滅した』と報告しました。 魔石の中とはいえ魔力が残っているのが確認されたとなるとその報告自体が……」
「フラメル、この事は誰かに話したか?」
早口になったフラメルを諭すように大隊長が聞く。
フラメルは小さく息を吐くと、いいえと首を横に振った。
「なら良い。 この事は他言無用だ。 悪魔崇拝者が偶然見つけた強力な魔石を使って魔族の顕現に挑戦し、失敗した後討伐された。 それで良いな?」
「大隊長のご命令とあれば」
フラメルの返事に頷いて応え、大隊長は退室を促す。
深刻な顔のまま部屋を出たフラメルはその表情のまま静かに塔を下りていく。
魔王討伐をきっかけに勢力を伸ばした天使族の功績が嘘だとしたら。
同盟や忠誠を条件に天使の加護を受けている国々がもしこの事を知ったら。
魔王亡き後の混沌を鎮めてきた天使の立場が危うくなれば、どれだけの国が混沌の中に逆戻りする羽目になるのか。
今回の事件が世界に及ぼす影響は計り知れない。
世界の秩序を保つ為に尽力してきたコンキスタドールも、本格的に動き出したのはつい昨日の事。
結束の弱い隊と慣れない隊長では本当の使命の遂行には到底力不足だ。
思考を巡らせるフラメルの頭の上、塔の小さな出窓から金色の瞳が覗いていた。
「歴史の勉強って、なんでまた急に」
「与えられた知識だけでは不備があるかも知れないでしょう? これから色々な町に行くんですから、知っておいて損はありませんよ」
まだ日が昇ったばかりの早朝、カイトの部屋をライラが訪ねていた。
ヘヴリングはいつの間にか消えており、昨夜の事が夢のようだ。
まだ覚めきらない頭を起こしながら、カイトはライラの分のコーヒーも用意して席に着く。
まだ複雑な心境だが、ライラなら信頼しても良いだろう。
ライラは嬉しそうに両手でカップを受け取って、そのまま静かに口に運んだ。
「魔王討伐隊が各種族の精鋭を集めた義勇軍で、コンキスタドールの原型になっているのは知っていますね?」
「ああ、頭に入ってる」
「では、コンキスタドールに魔王討伐で一番貢献した天使が居ない理由を知っていますか?」
「いや、それは知らないな」
知識にあるのは天使が最も貢献した事と、その事で多くの尊敬を集めた事。
そして、宗教のように信奉する者が現れた事くらいだ。
「その理由は、他の種族と協力する必要が無くなったからです」
「協力しないって、天使はそんなに強いのか?」
「強いというより、影響力がある、と言った方が正しいでしょう。 コンキスタドールに含まれないような弱小種族、たとえば獣人や妖精といった者たちは天使に忠誠を誓う代わりに保護を受けています。 個々の力は弱くても、勢力で言えば我々とほぼ同じか少し上。 対等な仲間同士より融通の利く手下を優先したわけですね」
天使という名前からもっと聖人君子なのかと思っていた。
カイトがイメージしていたのは弱者のために悪を挫く正義の味方で、無償の愛や慈愛の心に満ちたヒーローだ。
それがライラの話では、随分と俗物的に思える。
「本当にそれが天使なのか?」
「そうですよ、天使はあくまで神の使い。 神と秩序を第一に考える堅物集団ですから」
なんだかがっかりしてしまって、カイトはため息を吐く。
ライラはその顔が見たかってと言わんばかりのにやけ顔をして、得意げに空に人差し指を走らせた。
「では、そもそも魔王とはなんでしょう? 魔族との違いは? 誰が魔王、なんて名付けたと思います?」
「勿体ぶらずに教えてくれよ」
「良いでしょう。 魔王とは魔物を生み出し操った魔族の一人。 魔族に含まれてはいますが、そもそも魔族はひとりひとりが別種族と言っていいほど千差万別の種族なので他の魔族との関りはほとんどありません。 そして最後に魔王と名付けたのは、天使が呼び出したこの世界初の転生者でした」
「俺以外の転生者が?」
昨夜から驚きの連続だ。
種族の繁栄に転生者が関わっていたり、そんな転生者が他にも居たり。
召喚されて日の浅いカイトが受け止めるには重い話ばかりで、どんな話を聞いてもまだどこか絵空事だ。
「初代転生者は存在が秘匿され、召喚した天使と魔王討伐に参加したごく僅かな者しか知りません。 なぜ私が知っているかは、秘密です」
ライラがいたずらっぽく笑う。
こんな大それた嘘はつかないと思うが、それでも簡単には信じられない。
他に転生者が居たのなら、なぜもっと数を増やして種の繁栄に努めないのか。
そこまで考えて、カイトは一つの可能性に気がついた。
「もしかして、天使が転生者を独占してる?」
「ご名答。 天使の言う神とは、天使と転生者の間に産まれた特に優れた天使なんですよ」
それは、順序が逆転していないか。
神の使いが天使なのに、天使から産まれた子供が神なわけがない。
疑問をぶつけるために口を開こうとしたカイトを手で制し、ライラは説明を続ける。
「前の神は殺されました、新しい神に」
「なっ……」
何を言っていいのかわからない。
それが正しい事なのか間違っているのか、天使以外には判断しえない事だろう。
正義や平和の象徴であって欲しかった天使の残酷な一面を知って、カイトは放心状態だ。
そこに追い打ちをかけるように、ライラは言葉を続ける。
「じゃあなんでその知識が与えられていないのか、気になりません?」
その通りだ。
コンキスタドールの隊長として召喚されているのなら、当然その辺りの知識も与えられるべきだろう。
それが与えられていないのは、あまりにも不自然に思えた。
「なんでなんだ?」
「さぁ? それは私にもわかりません」
「おい、ふざけてる場合じゃ……」
「ふざけてませんよ。 知識の付与を決めたのも大隊長の独断なんですから、大隊長に直接聞くしか無いのでは?」
思わず声を荒げてしまったカイトをなだめるように、ライラはコーヒーのお代わりを差し出した。
カイトはコーヒーカップをしばらく見つめた後、ゆっくりと一口、口に含んだ。
苦みが脳を起こし、気分を落ち着かせる。
カイトは視線をライラに移し、静かに口を開いた。
「ごめん、少しどうかしてた」
「いえ、私もふざけ過ぎました」
お互いに謝罪を口にして、気まずそうに笑う。
ふざけたように話したのは、深刻に受け止め過ぎないようにという気遣いだったんだろう。
ここに召喚された理由も、使命も未だに理解しきれないのに、疑惑ばかりが増えていく。
窓から差し込む日の光の量が増え、薄暗かった部屋が明るく照らされる。
その光景とは裏腹に、カイトは沈んだ顔をしていた。