「ヒナ、右!」
「わかってる、よっと!」
一見何の仕掛けも無い長い廊下だったが、四人が入った瞬間に潜んでいたゴブリンたちが飛び掛かってきた。
天井付近のくぼみに身を隠していたらしく、特殊な壁のせいで魔力探知にも引っかからなかったようだ。
得意の遠距離武器から短剣へ持ち替えたミーリ共にヒナが息の合った動きでゴブリンを斬り捨て、カイトの周囲をヘヴリングの影が守る。
戦いはすっかり乱戦になっており、指示を出そうにも誰がどこに居るかすらわからない。
遺跡の中は魔力の循環が悪く、倒した魔物の死体が消えない。
足場の悪さからヒナの大剣も思ったように威力が出せず、想定より戦闘が長引いていた。
「あ、こいつ!」
ゴブリンの一匹が仲間の死体を盾にミーリの短剣を止め、耳障りな笑い声を上げる。
その隙を狙って跳び掛かった三体のゴブリンの額には、投擲用の短剣がすでに突き刺さっていた。
「残念、魔力の武器は出し放題なんだよねー」
「ミーリちゃん、こっちもお願い!」
「はいはーい」
ゴブリン五体の胴体に深々と入り込み動かなくなった大剣へとミーリの蹴りが炸裂し、両断させる。
ヒナはその勢いを活かして体を回転させると、戻って来た刃で残りの五体を両断した。
「敵が減ってきたな、そろそろ攻勢に回ろう」
カイトを守りながら静観していたヘヴリングの指が動く。
カイト目掛けて振り下ろされる石剣は全て空中で固定され動かなくなっている。
腹を立てたゴブリンが殴りかかるも、今度は腕が動かない。
ヘヴリングの影によるものだとわかった時には、ゴブリンの首は床に転がっていた。
「終わったか?」
「ああ、終わりだ。 怪我は無かったかな?」
「俺は大丈夫、二人は?」
「大丈夫!」
「無傷でーす」
全員の無事を確認し、奥を目指す。
ゴブリン程度であればどれだけ襲ってきても問題無い。
問題は、この奥に控える魔力を妨害する何者かだ。
廊下の最奥から部屋に繋がっているのはわかるのだが、その部屋の広さも、中の様子もわからない。
まるでそこから先が別の空間に繋がっているかのように魔力が遮断され、直接目視で確認しようにも深い闇が広がっている。
先に進むべきか、戻るべきか。
ヘヴリングは少し考えて、カイトの方を見た。
「心配しないでくれ、いざとなったら走って逃げるよ」
情けないセリフながら、やるべき事はわかっているようだ。
ヘヴリングが頷いて答えると、ミーリとヒナも無言で頷いた。
深い闇が続く廊下を進み、目的の部屋に辿り着く。
廊下と部屋の境目には煙のように闇が蠢いていた。
「魔力のベール、それも魔王の魔力だ」
感覚の遮断や音の遮断など、魔力のベールは遮断するものを指定して使う防護魔法の一種だ。
このベールが遮断しているのは光、音、魔力であり、よほど見られたく無いものがあるのだとヘヴリングは言う。
四人は顔を見合わせて覚悟を決めると、ゆっくりとベールをくぐり抜けた。
「おや、思ったより早かったか」
部屋の中央奥、ステージのようにせり出した部分に赤黒いローブの男が立っている。
手には紫色の魔力を放つ魔石が握られており、男はそれをステージ中央にある塔のような遺物に入れようとしていた。
それを見るなり、ミーリは無言で銃を撃った。
見えない魔力の弾が男のローブに弾かれ、壁に傷をつける。
フードの中から微かに見えていた男の口角が上がり、芝居がかった大きな動きで天を仰ぐ。
目的がわからず困惑していると男は塔に魔石を差し込み、そこに自らの胸を突き刺した。
「我が生命と信仰を捧げる」
男の血が塔に注がれ、魔石を満たす。
溢れた血が床に触れたその時、塔の先から泥のような粘度を持った漆黒の闇が噴き出した。
「来るぞ!」
ヘヴリングの声に全員が戦闘態勢を取る。
床に広がった泥の中心が盛り上がり、ごぽごぽと音を立てる。
人型に盛り上がったそれは、突然爆発したかのように四方に飛び散った。
「贄の質が悪すぎ。 魔力も足りてないし、女でもないなんて」
泥の中から現れたのは裸の女性だった。
泥から生まれたとは思えない真っ白な肌と髪、頭の中まで見透かされそうな澄んだ紫の瞳。
神聖さすら感じる外見とは裏腹に、肌にまとわりつく泥のような魔力がその女性から滲み出ている。
「久しぶりだな、ブローズ」
「ヘヴリング、寝起きに貴女の顔を見るなんてほんと最低」
一歩前へ出たヘヴリングがブローズと呼ぶ女性と言葉を交わす。
お互い知った仲のようで、傍から見れば親し気に見えた。
「一度消滅し、人間に復活させられる気分はどうだ?」
「一生の汚点ね。 ましてや悪魔崇拝者の命と魔王の魔力が核だなんて、今すぐ死んでやりたい気分」
ブローズの長く白い指が自らの胸元へと添えられると、何の抵抗も無いかのように指が体の中へ消えていく。
しばらくぐちゃぐちゃと嫌な音が響いた後、胸を引き裂いて紫の魔石が現れた。
「体からは離れないみたい。 せっかく弱点を狙いやすくしてやったんだから、さっさと殺して見せなさい」
「わざわざお膳立てとは珍しい」
「好みの子の前で顔が傷つくのは嫌なの。 そこの転生者君、この顔を忘れないでね」
ヘヴリングの影がブローズの核に伸びたその瞬間、ブローズの体が糸の切れた人形のように脱力したまま飛び上がる。
本人の意志とは関係無い動きに、ブローズ自身も驚いた顔をしていた。
「最低限の支配権を持った召喚術かぁ、簡単には死ねないみたい」
「ブローズ、術者は何をさせようとしている?」
「私の体を母胎にして、新たな悪魔を生み出そうとしてる。 魔王と私の子だから、強い子が生まれるでしょうね」
ブローズは自嘲的な笑みを浮かべ、力無くこちらを見下ろす。
体の自由を奪われ、望まぬ子を産まされるなどブローズのプライドが許さない。
しかし術者の生命を代償とし、魔王の魔力を用いた召喚術は強力で、自ら死ぬ事も攻撃を受け入れる事も許されない。
それどころか、自動で反撃を行うようになっている。
「ヘヴリング!」
「大丈夫だ、当たってない」
咄嗟に影を翻したのが功を奏し、ブローズから伸びた魔力の鞭は床に傷をつけただけだった。
ヘヴリングの影を吹き飛ばすほどの威力、もし当たれば無事じゃすまない。
「どうすんのこれ!」
ヘヴリングの攻撃がキーとなり、ブローズの全身を黒い鞭が縛り上げる。
やがて繭のような球体を作り上げ、体を完全に覆い隠してしまった。
繭から伸びた無数の鞭の先端が壁を削り、床を抉り、カイトたちに襲いかかる。
狙撃用の銃を構えていたミーリも思わず銃を投げ捨て、回避に専念するほどだ。
「ブローズの姿が捉えられない。 あの鞭、強力な魔力遮断も備えてるな」
鞭を掴もうと伸ばしたヘヴリングの影が霧散する。
本来なら互角のはずの影が負けるのは追加された魔力遮断の影響か。
魔族を道具のように利用し好きなように作り変える悪魔崇拝者に対する嫌悪感が、ヘヴリングの体から氷のような魔力を立ち昇らせる。
「防御は任せて!」
ヒナの大剣が鞭を斬り捨て、風圧が軌道を曲げる。
問題なく防げているように見えるが、ヒナは本来一撃必殺型だ。
大剣は振るわれる度に速度が落ち、風圧が弱まる。
「ヘヴリング、血を!」
「わかった」
カイトがローブの襟元を開き首筋を露にする。
牙を立てたヘヴリングの口端から鮮血が伝い、こくんと喉が鳴った。
ヘヴリングの防御魔法が無ければ、カイトの体は内側から焼かれていただろう。
強化された極低温の魔力が錯覚を起こさせ、自らの体温が炎のような熱さに変わる。
にじみ出た分だけでも、耐性の無い人間が触れれば致命傷になり得る魔力。
カイトの許可によってのみ許される吸血がヘヴリングの本来の力を呼び覚ます。
血によって赤く染まったヘヴリングの影は、ブローズの鞭を難なく捕らえた。
「今だぞ、ミーリ」
「ちょうど装填完了! 発射!」
ヒナの背後に隠れていたミーリがヘヴリングの背ほどもある長銃を携えて前に出る。
一発の貫通力に特化したその銃はもはや長細い大砲に近い。
本来であれば音も光も無く放たれるはずの魔法の弾丸が、轟音と衝撃波を伴って撃ち出された。
バリンッというガラスを何枚を重ねて割ったような耳障りな音が響く。
魔力同士の干渉反応と障壁が破れる音であり、同じ魔力で作り出された銃弾が繭に勝った証だ。
生粋の射手であるミーリが外すはずも無く、繭に空いた風穴から核を撃ち抜かれたブローズの姿が見えていた。
「ふぅ、息苦しかった。 奴らに会ったら地獄で楽しみに待ってるって伝えといて。 じゃ、ありがとね」
微笑みを浮かべたブローズの体が塵になって消えていく。
繭と共に完全に消滅し、辺りを覆っていた闇が消え、続けて静寂が訪れる。
役目を終えた塔がガラガラと音を立てて崩れ落ち、ヒナがその場に座り込んで初めて時が動き出した。
「終わった……?」
「ああ終わりだ、遺物と魔石を悪用した悪魔崇拝者の凶行。 両方が無くなれば異常な魔物の発生も治まる」
茫然とするヒナにヘヴリングが答えると、遅れてミーリがその場に崩れ落ちる。
カイトが慌てて支えると、ミーリは力無く笑って見せた。
「どれだけ強度が要るかわからなくて、八割使っちゃった」
「おかげで助かったよ、ありがとう」
魔力の急激な消耗で一人で立つ事すら出来ないミーリは恥ずかしそうに顔を背ける事しか出来ない。
そんなミーリに微笑みかけるカイトの背中を、ヘヴリングの影がつついた。
「一番は私じゃないかな?」
「でも一番みんなを守ったのは私だよ?」
ヒナも不満の声を上げ、事態が収拾つかなくなってくる。
どうしたものかと困っているカイトをよそに、三人は楽しそうに笑っていた。