コンキスタドールの拠点があるのは世界の中心に位置する大きな島。
遥か昔に魔王が根城とした『呪われし島』の沿岸部だ。
火山、氷山、森林を有する、人が住むには適さないこの島も、沿岸部だけは辛うじて住むことが出来る。
建物に関しても、強大ながらも少数だった魔王軍の遠征基地として作られた砦をそのまま流用しており、必要な施設の大半は揃っている。
訓練場のようになっているスタジアムも元々は魔物たちの娯楽の場で、捕らえた人間を無理やり戦わせていたのだとか。
カイトはそんな曰く付きのスタジアムで穏やかな夜風を浴びながら、大きな月を見上げていた。
砦を囲うように生える針葉樹の群れと、それをさらに取り囲む山々。
片側はオーロラ、片側は火山の赤々とした明かりが夜空を照らし、元の世界の物より数段巨大な月が不気味なほど存在感を放っている。
そんな景色を前にしながらも、カイトには感動も、恐怖も、何も湧いてこない。
転生者の生前の知識は制限される。
自分に関する事のほとんど、特に自身の死に纏わる事は記憶から抹消されてしまう。
自分がなぜ死んだのか、この世界に来ることを望んでいたのかもわからないまま、ペット扱いを受け入れる事が出来るだろうか。
この世界において一般の人間以上、獣人未満の能力しかない転生者が一人で生き残るのは難しい。
魔物や野盗、魔王の残した混沌は今もまだ残っている。
ましてや、コンキスタドールからの脱落者だ。
選ばれる名誉とは反対に、どんな扱いを受けるかわからない。
「お散歩、って訳でもなさそうですね」
深刻な顔をするカイトの隣に、いつの間にかライラが立っていた。
足音一つ立てず、気配も感じさせないその身のこなしはさすがと言わざるを得ない。
声を掛けられて初めて、爽やかな花の香りが漂ってきた。
スタジアムの縁から身を乗り出すようにして月を見上げる瞳は負けず劣らずまんまるで、濃い金色が美しい。
相変わらずの露出の多い服装は目のやり場に困るが、向けられる笑顔でいくらか気持ちが楽になった気がしてくる。
「俺って、必要なのかな」
つい、本音が漏れてしまう。
優し気な夜の雰囲気と、誰に対しても公平なライラの性格がそうさせたのだろう。
知り合って日は浅いが、与えられた知識のおかげか古くからの友人の様に思えていた。
「必要ですよ、人は名誉だけじゃ戦えません。 ポラリス以外は」
いたずらっぽく笑って、ライラは距離を詰める。
大きな耳の先に付けられた金のリングが月光を反射して輝いた。
爽やかな花の香りに、どこか自然を感じる木の香りが混じる。
「俺が、戦う理由に?」
「はい。 私の帰りをこんな良い男が待ってくれてるなんて幸せじゃないですか」
ライラは右手をそっとカイトの胸に這わせる。
服越しにわかる厚い胸板、引き締まった筋肉の感触。
黒い短髪と瞳は夜そのもののようで、夜を意味する名を持つライラは強いシンパシーを感じていた。
「そんな不純な動機で?」
「まぁ、それだけじゃないですけど」
この世界の種族は、コンキスタドールに戦力を貸す代わりに種族という立場を保障されている。
協力を断れば種族同士の繋がりが断たれ、世界から孤立する。
孤立した種族は紛争の絶えない混沌に身を置く事になるだろう。
コンキスタドールのメンバーは高い能力を持つエリートでありながら、種族のために身を捧げる生贄でもある。
だがそんな事情も、ライラにとっては関係ない。
ライラはこの世界唯一の獣神族であり、砂漠の民ともほとんど交流を絶っている。
ライラの言う戦う理由に何が含まれているのかは、ライラだけの秘密だ。
「貴方も深く考えず、楽しんだらどうですか? 美女に囲まれるのはどの世界の男でも本望でしょ?」
ライラは囁くようにそう言って顔を近づける。
からかわれているのか本心を確かめているのか、どちらにせよカイトは緊張で動けなくなっていた。
「さて、予行練習はこれくらいにして、これからもよろしくお願いしますね」
離れたライラは笑顔で手を振って闇の中に消えて行く。
カイトはそれを茫然と見送りながら、これからの事を考えていた。
爽やかな潮風と、朝焼けに照らされた穏やかな水面。
コンキスタドールの誇る魔導高速艇『ナグルファル』は、ほとんど揺れる事なく快調に海を進んでいた。
魔力を原動力とする自動運転の鉄の船で、中央のメインエンジンから発生させた魔法の風が滑るように水面を走らせる。
試作段階であるため居住スペースは狭小だが、速度と航行中の快適性において右に出るものはいない。
「まずは近場で小手調べって、私たちが呼ばれてる時点で大事だよねぇ」
甲板に立ち、小さくなる拠点を見送るカイトの肩に手を置いて、ヒナが屈託のない笑顔を向ける。
ヒナの赤い髪が風になびき、きらきらと輝いている。
髪が目に入るのを嫌うヒナは普段ヘアバンドで留めているため、髪をなびかせる姿はとても新鮮に見えた。
人間とは思えない怪力の持ち主でありながら、見た目は年端もいかない少女そのもの。
チューブトップのような服にハーフパンツ、その上に革鎧という服装はライラ並みに目のやり場に困る。
純粋に能力で選ばれているはずのコンキスタドールのメンバーが美形揃いなのは、果たしてどういう訳なのか。
自分の役割が役割なだけに、カイトは彼女たちとの距離感を決めあぐねていた。
「俺はありがたいよ、まだ何の役にも立てないと思うから」
「随分と弱気なようだが、たかが魔物の討伐だろう? 私がわざわざ出向くほどか?」
朝日を受けて伸びるカイトの影の中から、眠そうな目をしたヘヴリングが現れる。
見た目こそ長い白髪と赤い瞳、白い肌とイメージそのものだが、この世界の吸血鬼はカイトの世界の吸血鬼とは似て非なるものらしく、日光や流水、銀といった弱点は我慢すればどうにかなる程度のものらしい。
コンキスタドールのメンバーの中でも特に美形なメンバーの一人であり、美しさを重視する魔族らしい魔族といえる。
「ポラリスと組めないんだからしょうがないでしょ。 討伐任務に三人、護衛任務に残りの三人で、護衛任務といえばポラリスなんだから」
ナグルファルの中央に設置された、見張り台兼緊急用マストの上からミーリがひょっこりと顔を出す。
エルフらしい金の長髪に青い瞳、緑の衣装で、長い耳もイメージ通りだ。
唯一の違いは、得意とするのが弓や魔法だけでなく銃も、という所くらいだろう。
基本は魔法で作り出した弓や銃、矢と弾を使い、罠や観察眼にも長けている。
このパーティにおいては貴重な目となってくれる事だろう。
「護衛は性に合わないが、雑魚の相手をするのも面倒だ。 私が隊長見習い殿の面倒を見るから、二人でさっさと済ませてくれ」
それだけ言うとヘヴリングは影の中に戻っていってしまう。
カイトにとって安心すべき事なのか心配すべき事なのか、どちらともわからず困ったように笑う事しか出来ない。
ミーリが肩をすくめて見せるのと同時に、ヒナが再びカイトの肩に優しく手を置く。
ヘヴリングの言うように、二人で済むくらい簡単な内容だと良いのだが。
カイトは祈るような気持ちで、ようやく見えてきた『イーリス』の町を見つめていた。