2月上旬のある日、私たちは2人で朝のテレビを見ていた。
「たしか1月の下旬に中国の武漢では都市封鎖が行なわれていたわよね。すごい警戒態勢で、もし日本であんなことが行なわれればすごい反発になったわね」
美津子がお茶を飲みながら言った。すでに朝食は済んでいるので、リビングで朝のワイドショーを見ていたのだ。この時期、日本でも新型コロナウイルスのことが話題になっていたのでニュースでもよく報道されていたが、まだそれほど身近に感じられていなかったので、テレビで言っているほどの切迫感はなかった。画面で見る武漢の様子は、何かパニック映画のワンシーンを見ているかのような感じもしていた。
「もし日本でも流行して、人の流れが悪くなったりしたら、私たちの仕事には響くわね」
美津子はテレビで映し出される武漢の様子を見て、人が歩いていない状態、日常が失われた様子に不安を感じていたようだ。
「でも、日本ではまだそんなに感染者はいないだろう。ダイヤモンドプリンセス号にしても船の中でのことだし、普通の暮らしの中では数字はかなり少ないし、第一、新型コロナと言っても風邪の原因の一つだろう。そんなに心配することはないよ」
以前の私とは異なる意見だ。そしてその話に特別な根拠はなかったが、美津子が心配する様子を見て元気づけるつもりで言った。ただ、内心は必ずしもそうではなく、自分自身は感染しなくても、武漢のような都市封鎖やそれに近いことになれば、私たちのような居酒屋という商売はどうなるだろうという気持ちはあった。こういう商売は、平和な時、仕事の憂さ晴らしや交流を深めようという意図でやってくる人を対象にしている。
それが今は、一律に外出できなくなったり、あるいはもし自分が感染したらということも考えてしまう。こんなに話題になるのは、まだこのウイルスに未知の部分があるからで、テレビでは突然人が倒れるシーンなども流れている。そういう画像がフェイクであることを望むが、ニュースの中で流れていると映画やドラマと違って真実味がある。
その様子を見ていると以前、映画で未知のウイルスが人間を襲うことをテーマにした作品があったのを思い出した。
「確か何年か前にも似たような映画があったよね。『感染列島』って言ったっけ、今度の新型コロナウイルスのように呼吸器系の症状を引き起こしていたね。そこでは最初インフルエンザではなどと思われていたけれど、実はそうではなかったということが分かって日本中がパニックになるといった話だったと記憶している。映画では感染者の数も亡くなった方も桁違いだったけれど、今回はそういった数字ではないし、SARSやMARSのように今回も武漢の対応で封じられるよ」
あまり心配かけまいといった言葉だが、「感染列島」という映画は2人とも見ている。美津子の不安はそういったこともどこかにあるのかもしれないが、今そういうことを言っても仕方ない。しかし、何かできることはあるはずだということで、スタッフ全員のマスク着用をやろうと提案した。
「それいいわね。ちょっと仰々しい感じはするけれど、普通の風邪やインフルエンザも心配だし、健康のためにやりましょう。今日、家にあるマスクを持って行き、みんなに配るわ。業務用ということで、時間がある時たくさん買っておきましょう。あなたもお願いね」
私たちは顔を見合わせながら、今できることをやろうと確認した。