香煙は靄がかるほど濃くはない、だがエルフも入れれば百にもおよぶ群衆が大暴れした密室。
舞い上がったホコリを掻き分けて移動する複数の影が見える。
そのなかから透明になったテオを瞬時に特定する。
部隊にはあらかじめ敵でもなければ事故を引き起こしかねない俺への接近は禁止していたに違いない、エルフ兵の気配はみな離れた場所にある。
その中に一つだけ不自然に接近している一人。
指示するまでもなくイーリスはその場に伏せている。
その場にとどまる選択はなかなかに肝が据わっているが、気が利く女だ。
そのおかげで俺はテオを見失わずに最短距離で迫ることができる。
「そこだっ!!」
迷いなく接近する俺に対してテオが身構える。
見えていないがわかる、縦の運動があった。
腰をおとして前後左右に素早く動けるスタンスを取ったはずだ。
「――フッ!!」
俺は前方のテオにむかって両手剣の突きをくり出した、それを奴はかろうじて左にかわす。
たやすく位置を看破されたことへの焦りが感じて取れる。
左にかわしたという時点で、テオの戦士としてのレベルがけして高くないことを把握できた。
能力の特性を有効活用すればおのずと任務も闇討ち中心になる。
おそらく決闘の経験なんかはとぼしい。
ほかのエルフ連中も同様だ、神官を仕留める手際がどうにもわるく不測の事態への対応も鈍い。
テオへの攻撃をはずしたのはわざとだ。
どうやらいまの一撃で仕留めることもできていた、薙ぎ払っていれば左右の動きで回避はできていない。
透明人間相手に距離感をさぐろうと、念のため間合いを潰す突きを打った。
──これでいい。
くぐるも越えるも即決しにくい高さに突きだした両手剣、腕をふくめて長さ三メートルに達する鉄板は右方向への障壁だ。
かわした時点でそこは罠の中心、テオは右に避けるべきだった。
あるいは初撃にカウンターを合わせるべきだった。
テオは突きを回避したがそれは追い込まれただけ、一撃目の左に入った時点で敗北が確定している。
突きを放つとき右がまえならばリーチを確保するために右足がまえにでる。
そうなれば剣の左側は体の正面──。
正面に招き入れた得物をとりのがす間抜けはいない。
テオの位置は大剣の中ほど、右を封じられた三方、前後左、どこに逃げても間に合わない、胴体から真っ二つだ。
俺は隊長の胴体を上下に切断することで部隊の戦意を削ぐと決めた。
透明のまま殺したらどうなるのだろうか、消えたままでは脅しの材料にするにも弱いか――。
「はい、負けましたぁ!! 剣をおろしてくださぁぁぁい!!」
そう言ってテオが姿をあらわしたのは初撃の突きをかわしたのとほぼ同時だった。
なりふりかまわぬ命乞いに俺は思わず剣を下ろす。
「おまえなあっ!!」
あと半拍おそければ二つになっていたところだ。
「すみませんでした! 僕の負けでいいです、殺さないで!」
武器を手放し両手を高くあげるテオ、降参している相手を殺すことはできない。
「拍子抜けにもほどがあるぞっ!」
「ごめんなさーい、大神官は捕縛の予定で殺してしまったのも、オーヴィルさん達の登場も想定外だったんですー」
手口がえげつないくせにあまりにも情けない。
「今度こそぜんぶ話しますから、どうか許してくださーい!」
「なんっか、バカにされてるような……」
言いたいことは山ほどあるが、「ぜんぶ話す」という言葉を信じて俺は剣をおさめた。
「ありがとうございます。では、休戦ということでー」
テオが降参したことで消えていたエルフたちが姿をあらわした。
封鎖していた出入口からは外に待機していたらしき兵士たちもなだれ込んでくる。
結構な数になったが見えていればどうということはない、こちらにはイーリスの魔法がある。
「皆さん、いったん待機です。よろしく」
テオが指示するなかには俺たちを素通りさせた兵士たちの姿もある。
「コイツら、神殿の警備隊じゃないのか?」
俺はテオにたずねた。
「はい、そうです。竜騎兵第一部隊の皆さんです」
「おい、どういうことだ?」
最近、どういうことだ、と、分からん、と、まかせろ、しか言ってない気がする。
竜騎兵は竜神官の手足とされる存在だ、現にその指示で襲撃してきた。
それがなぜ俺たちを素通りさせて助けにもあらわれず、あまつさえテオと協調しているのか。
「竜騎兵の一部はすでに我々が掌握しており作戦に組み込んでいました。彼らの手配で警備の無力化と神官たちの捕縛をはたすのが今回の我々の任務でした」
聖都軍の一部はマウ軍に寝返っていた。
俺たちのことはあらかじめ彼らに伝わっており、衝突を避けた結果があの素通りだったらしい。
「今度こそ、黒幕の正体を教えてくれるんだろうな?」
俺は森のなかではぐらかされた質問をあらためてテオにぶつけた。
「ええ、もちろん。我々の主はマウ王国第三王子、アーロック・ルブレ・テオルムです」
オオトリの名があがることも予想していたが、首謀者はさらに上の人物だった。
アーロック第三王子──。
異国の、さらに第三王子までいくと名前を把握してない。
「首謀者はマウの第三王子なのか?」
俺がオウム返しするとイーリスが食い付いた。
「まって、それって偶然……? いま、ルブレって言ったよね」
俺たちがルブレといわれて思い当たる人物は一人しかいない。
「ご名答、偶然じゃあないです。あなた方に同行した行商人こそがアーロック第三王子なのです」
「「はぁぁぁぁぁぁっ?!」」
俺たちは思わず大声を被せた。
──うおぉ、なにが何だか分からねぇ!
「するってぇと、俺たちは一年以上もまえから巻き込まれてたって言うのかよ?!」
イーリスをめぐった巫女の問題ではなく、マウによるスマフラウ侵攻作戦のほうだ。
「そうなるかなー、うん、なるのかも。正直、あの人の考えはよく分からないからなー」
テオは煮え切らない返答をした。
「言っとけよ、それ」
「作戦まえに情報共有したくてまっていたのに、オーヴィルさんたち姿をくらますから」
オオトリが現れて俺たちを逃がしてくれたときのことだ。
──あのときは毒にやられていたから助かったが。
「あの時点でノコノコついて行くわけがないだろ……」
そのころ俺らは聖竜スマフラウと対面していた。
『次元竜の巫女』なんかがあらわれて、話は聖竜スマフラウと戦うかってところまで飛躍した。
その時点でこいつらのことは忘れかけていたんだ。
「いいえ、これは部隊を宴会で潰されたオオトリさんの責任です」
その言葉から思い当たる。
「まさか、オルガースに薬を盛られて一階でつぶれてた連中がオオトリの部隊だったのか?」
──ずっと一緒だったんじゃねぇか!?
襲撃時は全員かおを隠していたし、倉庫までは別行動だった。
さすがにオオトリ本人は馬主の中にでも潜んでいたんだろう。
「オオトリさんは下戸なので、一人だけで助かったんですって。ハハッ、傑作ですよねー、あんなイカつい顔してるくせに飲めないなんて」
だから単独行動していたのか。
思えばそのへんの追求をいやがっていたし、説明もしづらかったわけだ。
俺たちが話しているあいだに広間にあつまった兵士たちが竜神官たちを捕縛していく。
イーリスの魔法は解け、満身創痍の彼らは焦燥と絶望が色濃く表情にでていた。
テオのノリのせいか呑気にしているが現場は散々たる有り様だ、失意の声やすすり泣きが痛々しい。
「これから神官たちを盾にとって未懐柔の兵士たちと交渉をしに、アーロック殿下がお見えになります」
ルブレ本人がここに来る。
商人として取り入って内から全部かっさらっていく、そんな奴とどんな顔して会えばいいやら。
好き勝手やられた文句を言ってやりたい気もするが、これといった言葉もない。
まさかそんな奴とは思わなかった! くらいのもんか。
俺が乗り気じゃないと察したテオは提案する。
「隠し立てするつもりは一切ありませんけど、やはり実働部隊の自分には断片的なお話しかできません。どうです? ちょくせつ真相を確認されては」
ふむ、本人にすべてを説明させてスッキリしてしまうってのもいいか。
マウ軍の本隊と合流することになるかもしれないが、少なくとも俺は無関係な人間だ。
その目的が聖都の陥落で達成も間近ならもめる必要もない。
イーリスをどうこうするつもりなら話はべつだが──。
「どうする?」
イーリスにも確認する。
「まかせる。色々ありすぎて、とてもじゃないけど考えまとまらない……」
イーリスからはすっかり覇気がなくなっていた。
無理もない、巫女になれると信じて帰ってみれば都のすべてが敵だった。
恩師に裏切られ、同僚に罵声を浴びせられ、大神官に存在を否定され、巫女への道は決定的に絶たれた。
もしかしたら、これから故郷そのものが解体される場に立ち会うのだ。
──かける言葉がみつからねえ。
巫女に戻らないか、という誘い文句で釣ってきたルブレの罪はけっこう重いな。
「イーリス……」
消え入りそうな声で呼んだのはララーナだ。
すべてを失った心境でいるのは彼女も同様か。
すっかり生気を失った表情の同期にイーリスは駆け寄る。
「ララーナ! ごめんなさい、あたし……」
イーリスがなにを謝罪しているのか俺にはわからない。
マウ国の侵攻は決定事項で俺たちはたまたま居合わせただけ、放っておいても大神官はその座を追われていた。
「お疲れなら、少し休んではどうですか? アーロック殿下は待ってくださると思いますよ」
テオの言う通りだ、すこしイーリスを休ませよう。
おちついたところであらためて今後のことを話し合うべきだ。
俺はそう伝えようと振り返る。
ふと、時間が止まったような錯覚をおぼえた――。
どんよりとした具合のわるさを感じる。
視界にとらえたイーリスがその場に崩れ落ちる姿が、水中にいるかのようにゆったりとした景色に溶けていく。
俺はなかば無意識に駆け寄っていた。
イーリスが床に頭を打ちつけるのをかろうじて防ぐ。
安否よりもさきに認識できたのはララーナの顔だ。
蝋人形のような蒼白、消え入りそうな不気味な薄ら笑い──。
その両手が塗料に突っ込んだかのように赤く染まっているのが、焼け付くように目に痛かった。
それは大神官にすがりついたときに付着した血液だと、脳が俺に錯覚させようとする。
しかし、それでは腕の中の少女の重みに説明がつかない。
イーリスがグッタリとして動かない。
なにを回りくどく思考を遠回りさせているのか、俺はなにを恐れているのか。
ララーナの手に凶器らしきものはない、素手だ。
「イーリスさん! イーリスさん、大丈夫ですか!」
テオが呼び掛けている。
「イーリス……?」
腕の中のイーリスに視線を落とす。
そうか、今日は色々あったからな、疲れたよな。
イーリスの腹部がジットリと赤く染まっている。
その中央からはナイフの柄が突き出していた。