聖都スマフラウの大神官が暗殺された─。
手を下したのはおそらくマウ軍の部隊に属するエルフ。
指揮官と思われるコルセスカ使い、オオトリ・エホマが俺たちを逃がした時点でスマフラウ側と敵対しているかは不明瞭だった。
竜騎兵と対峙したのはイーリスが目的とも取れたからだ。
これは独立都市スマフラウに対するマウ王国の軍事侵攻なのか──。
大神官の喉を裂いた短剣が血にまみれている。
テオは「勢い余って」などと殺意を否定していたが、もはや開戦は否定のしようがない。
神官たちに囲まれても窮地に含まなかったが、テオの姿を確認するなり危機感が込み上げる。
低くない確率でやつは部隊を率いているだろう。
見えない武装集団が広間にひそみ集団にまぎれているのだ。
「おい、イーリス! しっかりしろ!」
心中を察するにあまりあるが、うなだれていたイーリスを力まかせに立たせる。
これが暗殺ならばマウ軍は俺たちを口封じすることもありえる。
呆然自失のコイツを放置しては戦えない。
「う、うん。大、丈夫……。て、なにが起きたの!?」
大ぶりの短剣をぶらさげたテオとその足もとに転がる大神官の死体、目の当たりにして付いてこれないほどには気が動転している。
それでも俺が「敵襲だ!」と伝えれば、イーリスは足をふんばって自らをささえた。
「イヤァァァァァァッ、大神官さまぁッ!!」
停止していたララーナがようやく声をあげた。
「おい! だまって伏せてろっ!」
彼女は俺の制止をふりきって駆け出すと、襲撃者を恐れもせずに大神官にすがりついた。
その首はなかばまで裂けておりもはや生死の確認をするまでもない。
それでもララーナが自身をかえりみずに飛びだしたのは、その身に危害が加わることを想像する余裕もないほど取り乱しているからか。
はた目には大神官のオモチャとしか映らなかった巫女だが、ララーナの嗚咽する姿は二人のあいだになにかしらの絆があったことを感じさせる。
共犯者同士の結託や信頼か、愛人らしい陶酔や愛情か、それとも単に後ろ盾を失う自分の今後を憂いてのことか。
「どういうことだ、テオっ!」
俺は襲撃者にたずねた。
大神官はもちろんスマフラウの連中に同情はしない。
それどころか嫌悪感すら抱いたが、その間のわるさに俺は憤りを感じて怒りをぶつけた。
「オーヴィル・ランカスター、少々お待ちください、スグに片付けますから」
テオは気圧されることなくかるい調子でそう言った。
「──仕方ない、指令とは違っちゃうけど」
余裕の態度で腕をふりあげ、それをかざすことで見えない部隊に号令を発する。
「皆殺しにしろっ!!」
エルフ部隊が動き出す。
後方で悲鳴があかったかと思えば、裸の男たちが次々と見えない刃によって傷つけられていく。
エルフたちは逃げまわる標的の急所を正確に突くことに難儀している様子で、竜神官たちは血だるまになりながら広間を駆け回った。
即死はしていないが、ほとんどは失血死するだろう。
「助けて、助けてくれっ!!」
出入口にむかって殺到する。
そこは待ち伏せに絶好の場所だ。
透明のエルフたちは向かってくる竜神官を迎え入れ、しっかりと刃を突き立て処理していく。
それによって入口付近には死体が積み重なり、逃走者を遠ざける結界として彼らの逃げ道をうばった。
「ああ、女の子たちは見逃してあげてね」
そうは言ってもその音量ではとても全体に指示がとどかない。
標的は竜神官たち、娘たちが巻き込まれようがテオにとってはどちらでも構わないのだろう。
風にきざまれるかのごとく群衆が血塗れになっていく、事情を知らない連中にとってどれほどの恐怖か。
娘たちもパニックに嬌声をまき散らしている、頭痛を誘発するほどけたたましい絶叫の大合唱だ。
「うるさいなー、あんまり耳障りだと前言撤回しちゃうよ?」
テオは冷めた様子で言い放った。
この一方的な殺戮を止めるべきか、俺は二の足を踏んでいる。
どちらにも加勢する理由がない──。
義憤にかられてスマフラウ側に肩入れすればマウ王国を敵にまわすことになる。
それが仲間のためならばともかく、権力を笠に着て非道のかぎりをつくした竜神官たちを助けるためとなると。
負うことになるリスクと見合う気がしない。
――それでも黙っていられねえ。
巻き込まれて負傷、または命を落とす少女たちに罪はない。
俺は舌打ちして剣の柄に手をかける。
そして宣戦布告、するよりはやくイーリスがテオに呼びかけていた。
「テオッ!!」
よく通る声が、高みの見物とばかりに周囲を見渡していたテオを振り返らせる。
「やあ、正当なる竜の巫女さま」
「なにが目的でこんなことするのよ! いますぐやめさせて!」
俺には関係なくてもイーリスちとっては違う。
恐怖にさらされている少女たちは彼女にとって同期であり、神官たちは儀式の守り人であり同郷の仲間だ。
テオはそんな説得は無駄だと退屈そうな表情を浮かべる。
「僕らは正規軍です。無抵抗の一般市民に手をあげたりはしませんよ。でも、彼らは特権階級でしょう」
だからといってこの殺戮が正当化されるわけがない、戦争にこそルールと倫理観が必要だ。
「これは僕たちの戦いなんです。あなた達はぐうぜん居合わせただけ、おとなしくしててもらえませんか?」
テオは広場にむかって手を叩き、竜神官や少女たちを煽る。
「──ほらほら、皆さん! 踊って! こんなときこそ竜に助けを請わなきゃあ!」
「いい加減にしろっ!!」
俺はテオの不愉快な態度をとがめた。
「ええっ、おかしな人だなー、彼らはあなたにとっても敵でしょう。共同戦線を敷きましょう、僕らの手伝いをしてくださいよ」
森で「味方になる」と言っていたのは、俺たちが竜神官側と敵対すると考えてのことだったのか。
「ほら、憎い虚飾の巫女をボクが殺してさしあげま――!!」
テオは足もとのララーナにむかって刃をふりおろす。
「このっ!!」
凶行を阻止すべくイーリスが魔法でテオの行動を縛ろうとする。
しかし魔法がとどくよりさきにテオは掻き消えるように姿を眩ませた。
誰もいない空間から声だけが聞こえる。
「やっぱりそうですよねー、スマフラウの魔法の力は範囲指定ではなく対象指定型なんだ。複数対象にも行使は可能ののうですが、見えない者には通用しない」
テオだけが姿をさらしたのも、ララーナに攻撃を加えるフリをしたのも、それを確認するための挑発行動だった。
見えない敵には効かない──。
イーリスはエルフ部隊の殺戮を止めることができなかった。
「恐ろしい力ですからね、範囲内の対象を無差別にあやつれるようならお手上げでした」
「姿を見せなさいよ、卑怯者!」
「ひどいな、自分もそんな反則みたいな魔法を使えるくせに」
俺たちはすっかりテオの策略の内だ。
その気になれば奴らに大打撃を与えられる自信はある。
しかし、それをやる訳にはいかない。
逃げ惑う群衆やイーリスたちを避けて、エルフだけを狙い撃ちにするのは到底無理だからだ。
密室で両手剣をふりまわせばいま以上の惨劇はまぬがれない。
声の方角からテオの位置を特定しようと耳をすませても、阿鼻叫喚の騒音のなかでは内容を聞き取るのでせいいっぱいだ。
イーリスが「テオ?」と、不安げに呼びかけた。
饒舌だったエルフがいつの間にか口を閉ざしている。
──マズイ。
だまる理由は一つしか考えられない、その場を移動して位置の特定を防ぐつもりだ。
俺たちは唯一、攻略の糸口になりえた指揮官の居場所を見失った。
「クソっ! こう騒がしいんじゃ――」
俺の役にも立たない愚痴をイーリスがさえぎる。
「騒ぎがおさまれば勝てる?」
それは他の奴が俺以外の相手にいえば単なる嫌味か世迷言かだ。
だがイーリスの声には勝利への確信がしっかりと込められている。
勝てるかどうかは博打、それでも俺はその信頼に答えて断言した。
「勝てるっ!」
「じゃあ、やっちゃうよ!」
俺の宣言にこたえてイーリスは魔法を行使する。
「見えない相手に効かなくたって! こっちなら!」
スマフラウの【支配】の縮小版、イーリスの【催眠魔法】が発動する──。
その途端、泣き叫んでいた数十名がスンと黙ったかと思うと、一斉に張り付くようにして床に伏せた。
圧巻、これだけの混乱を瞬時におさめてしまう威力は驚愕ものだ。
確認できなくて残念だが、エルフ達もさぞ驚いていることだろう。
一気に見とおしのよくなった広間を一望する。
この空間で動いているのはエルフの部隊のみだ。
神官たちが掻き回していた香煙が均等化されていき、そこに不測の事態にとりみだす気配が浮き上がる。