「おどろいたよイーリス・マルルム。こうやってふたたび顔を合わせることになるとはな」
すでに亡くなっているがアシュハの大司教は八十近かった。
くらべてスマフラウの大神官は肩書きのわりに若く三十半ばくらいに見える。
アシュハの大司教は気品と寛容さにあふれる人物と評されたが、スマフラウの大神官は神職に似合わない威圧的な強面だ。
──神官よりも賊の親玉が合ってるんじゃないだろうか。
顔ですべてが決まるわけではないが人生は顔に刻まれる。
言葉や功績から受ける印象と本人にギャップがあることは多かったが、人相から得られた印象が変化したことはほとんどない。
イーリスはかしこまった態度で大神官に向き合う。
「竜神さまの声が聞けることを報告して以来になります」
「その後、おまえは姿を眩ませたはずだ。なぜ戻って来た?」
──よく言うぜ。
竜神官たちはイーリスの存在を抹消しようとしたが、それを察知したスマフラウによって阻止された。
大神官にはそこまでの情報がないみたいだ。
イーリスの報告を受け、抹殺を決定したころには消えていた。
都のなかからは見つからず行方不明のままでは不安がぬぐえないと、異国を行き来する行商人に捜索を依頼した。
聖竜の巫女が眉唾物だということが流布されることもおそれたかもしれない。
いまのところ大神官は対話に応じる姿勢を見せているが、イーリスの意見に耳を貸すだとか交渉の余地があるのとはちがう。
荒事になれば危害がおよぶと考えて時間をかせいでいるだけだ。
暗殺という手段や逃走後に捜索を打ち切らなかったことからも、彼女を脅威に感じていることがわかる。
こちらの目的が大神官の暗殺ならばいともたやすかった。
「あたし、巫女になるのをあきらめきれないんです」
「……そういうことであったか」
大神官がすこし安堵するのがわかった。
報復しにきたという考えもあったに違いない。
「──我ら竜神官はこの都の繁栄と民の安寧を最優先に考えていまの体制を継続している、それはわかるな?」
俺にはこの贅沢三昧の生活を守りたがっているようにしか見えないんだよな。
大神官は兵士たちの登場まで会話でもたせるしかないわけだ。
しかし見張りは俺たちを素通りさせて駆けつける様子もない。
――なにかがおかしい。
俺は四方を警戒しながらイーリスの顛末を見とどけることにした。
「竜神さまは大神官さまのやり方に介入するつもりはありません、ただ──」
「往生際がわるくてよ?」
現巫女のララーナが口をはさむ。
「──イーリス。私、竜の巫女に選ばれたのよ。お祝いの言葉はいただけないのかしら?」
ララーナはあらためて立場を誇示し、その優位性をアピールした。
彼女はわかりやすい女性的魅力を備えている、これが大神官の好みであるならばイーリスの薄っぺらい体では物足りないだろう。
イーリスは下手に対応する。
「おめでとう、ララーナ……でも、あたし納得できないよ!」
その発言をララーナが許せないのは当然だ。
私が座る、おまえは降りろ。そう言われているのだから。
「アナタの納得なんて必要ありませんわ、大神官さまと民衆が私を認めているのだから」
ララーナはまだ平静をたもっている。
「でも、あたし、竜神さまに選ばれたの! 巫女の仕事は人と竜との橋渡し役でしょう。だったら、ほかに適任者なんていないはずじゃない!」
『竜の巫女』は人が選ぶのではない、竜が選ぶのだとイーリスは主張した。
しかし、この都においては違う。
大神官が認識のまちがいを指摘する。
「我々が竜不在の儀式をおこなうのには意味がある。すべては人々の幸福のため、大切なのは統率であり巫女の真偽などさまつなことだ」
『竜の巫女』は手段であって目的ではない、難民たちをまとめることが目的だ。
竜と対話することが目的ではない、儀式を民に見せることが目的なのだ。
それはオルガースから聞いて理解はしていた。
「でも、もし『嘘の儀式』を『本当』にできるなら、そうすべきです! 私が巫女になればニセ物だって憂いを払拭して、完璧な聖都になります!」
イーリスの熱の入った主張をみな黙って聞いている。
しかし、誰一人として興味をしめす様子はなく冷めた瞳で彼女を見下している。
馬鹿な子供と思っている──。
唯一の味方である俺でさえもその熱意に期待を抱くことはない。
「それに! それに、あたしは誰よりも上手に踊れます! そこにいるララーナよりも真剣に舞踏に取り組んできたんです!」
名指しされた現巫女の表情が歪む。
「お願いします。あたし儀式が好きなんです!
現状の体制に口出しなんてしません! 権力を振りかざしたりしません! 最高の儀式にして見せますから――」
「聞いていられませんわッ!!」
ララーナが演説をさえぎって立ち上がる。
「アナタは本当に救いようのない馬鹿ですわね! 一年も現場をはなれていた分際でいまだに一番のつもりだなんてあきれはてましてよ!」
怒鳴ったあとで胸を撫で下ろし、自らをおちつかせる。
「──ずっと、アナタに言ってやりたかった。でも当時の関係性では聞く耳を持たなかったでしょうから、今、あらためて上から意見できる機会が訪れたことに感謝したいくらい」
「……ララーナ」
イーリスは彼女の迫力に気圧されている、あるいは印象の変化に動揺していた。
「まず、アナタは根本的な勘違いに気づくべきでしてよ。必要なのは優れた巫女であって、優れた踊り手ではないということです」
「だって、巫女の使命は踊りを竜に捧げることなのよ!」
参考にされた『次元竜の巫女』は踊らなかったが、聖都においては民衆に儀式を印象付けるのが目的であるから舞踏こそが巫女の役割だ。
もっとも舞えるものが巫女になると教えられてきたから、少女たちは血のにじむような努力を続ける。
「仮にアナタがまだ私よりも優れた踊り手だとして、みんなの目には私の踊りのほうが優れて見えますわ。だって、私には肩書きがありますもの」
ララーナはていねいに言ってきかせる。
「──アナタのいまの口上も、知らない人間が聞いたら滑稽でしてよ。落ちこぼれた雑用の兵士が竜騎隊長よりも上手く竜に乗れる、そうイキがっているのと同じですもの」
肩書きが力を持つ。
たとえ雑用の兵士の実力が本物でも隊は彼には従わない。
肩書きにはそれを得たという過程への信頼があるからだ。
それが事実でも雑用の兵士の言葉は認められない。
「だから、あたしは巫女になりたいの! あたしの踊りが正統に評価されるために!」
イーリスの切実な訴えにララーナはあきれ顔、ため息をこらえられない。
「アナタは私のことを舞踏が下手だと見下していらしたけど、私はあなたのことを頭のわるい女だって見下していましたわ。
いいえ、舞踏なんかで一番を目指しているあなたをみんなが見下していたのよ」
「舞踏なんか……?」
イーリスは弱々しい声を漏らした。
「人々は優れた舞踏に感動するんじゃないのよ? 竜の巫女という設定に感動しているの。楽しいから盛り上がるんじゃない、盛り上がることが楽しいの」
すっかり委縮してしまったイーリスをすり潰してやろうと、ララーナはたたみかける。
「先生に教わらなかった? 世界はアナタを中心になんて回らない! 必要なのは役割に徹した従順な歯車なの。ここにいる娘たちを見下して、スタンドプレーに走ったことがアナタの敗因よ!」
「そんな……」
巫女は特別なんかじゃない──。
運営がいて、演出家がいて。ステージがあって。演者がいて。信者がいて、多くの人々がそれぞれの役割を果たして成立している。
そう言ったのはイーリス本人だ。
「第一、舞踏の優劣なんてどうやって決めるの? アナタのほうが柔軟で、体幹がしっかりしていて、表現力に溢れているとして。そんなのは見る側の『贔屓』のまえでは無力なのに!」
同様の内容でも、好きな人間のジョークなら笑え、嫌いな人間のジョークなら笑えない。
多少の優劣は関係なく、好みの少女の舞踏が見たい。
それが人情だ。
竜の巫女は誰でもいい、むしろ誰でもいい方が好都合。
より従順な者を就ければ裏切りもなく、滞りもないのだから。
「──アナタは一番踊っただけ、それで一番努力したと勘違いしている。みんな努力してるの、アナタが無駄に踊っているあいだ、こうやって神官さまたちと信頼関係を築いているのよ」
一番踊れれば誰よりも舞踏に費やせば報われると、イーリスは信じていた。
だから、夜の儀式に参加しなかった。
舞踏の技術以外の場所で評価されることを拒んだ。
それでは巫女になる資格はない――。
ララーナはトドメとばかりに言い放つ。
「ねぇ、天才少女イーリスぅ? 間違った努力、お疲れさまでしたぁっ!!」
快感とばかりにララーナは盛大に笑い声をあげた。
気高い竜の巫女の仮面はすっかり剥がれている。
ここらが限界だろう、俺は話をうちきらせて撤退することにした。
「竜の巫女ってのは、詐欺師の片棒担いだ汚いおっさん達の奴隷なんだな」
精一杯の嫌味のつもりが、ララーナは「そうよ」と、悪びれもせず肯定し勝ち誇った表情で勝利を宣言する。
「二万人に幸福をあたえる詐欺師よ」
ご立派なことだ、一人も幸せにしない聖人よりも遥かに価値がある。
俺はその余裕の態度に舌打ちをしてイーリスの腕をつかむ。
「行くぞ、もう終いだ」
しかし、イーリスは俺の腕を振り解くとふたたび大神官のまえにひれ伏した。
「お願いします、大神官さま! あたしが間違っていたならあらためます! なんでもします! 夜の儀式だって、この場の誰よりも上手にやってみせます! あたし、誰よりも努力できますから!」
地面にひたいをすりつけて懇願した。
「──なんでもします。裸になります! 足の指の付け根だって、肛門だって舐めます! 何人にだって、家畜にだって足を開きますから!」
その無様な姿に頭のさきまで血が駆けあがるのを感じた。
「おい! やめろ!」
イーリスを強引に地面から引きはがそうとする。
俺の尊敬したやつがそんなみっともないことをするんじゃねぇよっ!!
「もうあきらめろッ!! 竜の巫女はおまえが目指したのとは違うものだったんだ!!」
「――仕組みがっ!! 気に食わないからあきらめるなんて、そんな覚悟でやってないのよ!! 絶対になるって決めたんだから、必要なことはなんだってやるわよっ!!」
イーリスは屈辱に涙を流しながらそれでも俺を振りほどこうとする。
「手足だろうが、命だろうが、なんだって差し出すわ! なれなきゃ死ぬって、そういう覚悟でやってきたの! この世界に、それ以外に欲しいものなんて何もないもの!」
イーリスの醜態を見たララーナは上機嫌だ。
「その、憧れの存在が私なのよ。なん……って、最高の気分っ!」
彼女はおそらく巫女にふさわしい人物だ。
彼女の舞踏のレベルが低かったなら、または相当な努力をしていなければ、とっくに巫女の資格を失っているイーリスをここまで敵対視したりはしない。
その存在に脅威を感じ、張り合ってもとどかず、戦々恐々とした日々を送っていたに違いない。
強敵だと思っていた、だからこそ自分の勝利を実感できたことに舞い上がってしまっている。
努力を積み重ねてきたことの証明とも受け取れた。
ララーナはボロボロに崩れ落ちたイーリスに駆け寄ると、朗らかともいえる声で挑発する。
「ねぇ、負けましたって言いなさいな! お願いよ、私を喜ばせると思って、あたしの負けですって言ってちょうだい。そうすれば私たち、きっといいお友達になれるわ!」
限界を超えたイーリスは激情から一変、眠りに落ちそうにも見える。
ショックのあまり失神するかもしれない。
イーリスを心配しつつも、俺は異変を警戒していた。
――いくらなんでも遅すぎる。
取り巻きのなかには増援を呼びに行った者もいたはずなのに、これだけのあいだ兵士の一人も駆け込んでこない。
それがあまりにも不気味すぎる。
イーリスをわらうララーナの浮かれた高音、部屋に充満する匂いと薫煙、周囲をかこむ神官と少女たちのかなでる騒音。
雑多な情報が感覚を鈍らせる。
殺意を感じ取ったときには遅かった。
「兵士たちはなにをやっているッ!!」
大神官が痺れを切らして立ち上がると同時、とつぜん首がバックリと裂けた。
そして噴水の様に血飛沫が噴出した――。
俺はイーリスとララーナの横に駆け寄り、周囲を警戒する。
群衆はなにが起きたのか理解できずにただ茫然とそれに見入っていた。
大神官の体が血だまりを地面に描きながら崩れ落ちる。
絶命をうたがいようもなくなり数名が駆け寄ろうとした。
「おい! 近づくなっ!」
制止すると同時、誰かが悲鳴をあげた。
さっきまで大神官が座っていた場所に、まるで無から生じたかのように少年が姿をあらわした。
「あーあ、勢いあまって大神官、殺しちゃったよ」
見覚えのある顔が気だるげにボヤいた。
マウ王国軍と連携し、透明な部隊を率いていた少年。
エルフのテオだ──。