うす暗くだだっ広い空間、点在する照明が大勢の人影を浮かびあがらせている。
昼のそれも儀式というよりはショーと呼ぶにふさわしかったが、目のまえの光景はさらにおごそかさとはかけ離れている。
強いアルコールや甘ったるい果実、重なり合う男女から分泌されるあらゆる体液のむせかえるような匂いが鼻を突く。
それだけで目まいがしそうなのに部屋中を香煙が充満している。
暗がりではそこかしこで裸の男女が折り重なってうごめき、中央には山のように飲食物がつまれ、それを浴びたりむさぼったりしている。
まさに酒池肉林、儀式というよりは宴、理性の吹き飛んだ乱痴気騒ぎの現場だ。
俺たちが足をふみいれたところで無反応、誰もが目のまえの快楽に溺れていて気にする素振りもない。
女は皆、十代前半から後半の子供ばかりで男は幅広い年齢層がいる。
今朝、橋の上で踊っていた巫女候補の少女たちと男たちはおそらく神官だろうか。
「なんだこりゃ……」
圧倒される俺にイーリスが説明する。
「巫女になるのに見切りをつけた娘たちが、ひとつでも上のランクにあがれるよう神官さまに顔を売ってるところ」
売っているのは顔なのか──。
数十人の少女たちが裸身をくねらせるその淫靡な光景に興奮したりはしなかった。
群れであることからどこか獣じみていたし、むしろ彼らの営みに神の使いたる神秘性や神聖さを損なったことで急激に冷めていくのを感じる。
「結局、鳴り上がれるのは神官の愛人だってのは本当なんだな」
指導するオルガースは専門家だが選出するのは踊れるわけでもない神官たち。
おのずとビジュアルの好みが優先され、結果的には神官に見初められた娘が優遇されるって話は聞いていた。
「変なの、外の世界を知るまではこんなのはあたりまえで疑問にも思わなかったのに」
イーリスは自虐的な笑みを浮かべた。
この都で産まれるということはそういうことなんそうだろう。
そういう掟でみんなもそうしている──。
疑問に思う余地もなければ、参加しないのは異端だと考える。
読み書きを習うのと同じ感覚で男性を悦ばせる術を学ぶ。
それがこの土地の文化なのだ。
集落によっては村の娘はすべて村長で初体験を終えるだとか、一夫多妻だとか、人身御供だとか、食人だとか土地固有の文化がある。
そういうのをいくつも見てきたしよそ者が介入するのは侵略行為だ。
干渉する権利はないし、するなら覚悟が必要だ。
風習にしたがって少女たちが神官に媚びて地位を手にするのもそれと同様。
少女たちは神の使いではなく権力者への供物──。
人々が神聖視しありがたがっている『竜の巫女』は支配層に搾取されるだけの、どうしようもないくらいのあやつり人形。
竜の守護もうそ、巫女もニセ物、神官は俗物、聖なる都は虚飾の都市だ。
それに甘んじている民衆に軽蔑にちかい感情を抱かないかと問われればむずかしい。
素直に失望した。
伏せてこそいるが隠せずにいる俺にイーリスが言う。
「これに参加したら終わり、それは舞踏では一番になれないって認めたのとおなじだから」
この場にいること自体が敗北宣言、彼女はそう考えているようだ。
「──あたしは儀式の純度が下がる気がして彼女たちを見下してた、技術での勝負を下りた彼女たちを軽蔑してた」
その言葉に俺は身勝手な共感と安堵をおぼえる。
同時にほかの娘たちを卑下する気も起きなかった。
巫女の席は一つしかないと考えればあきらめてしまっても仕方がない。
だからここにいるのは一番をあきらめた百名であり、身のほどを知る賢い少女たちでもある。
一方、純度だとかに固執し一番を目指したイーリスは憧れともっとも遠い場所にいるのが現実だ。
理想のすがたを目指し、妥協せずに努力を重ね、純粋さを極めたさきで竜との交信がかなった。
そんな彼女が竜の巫女として認められ名実ともに聖都と呼ばれるなら、どれだけ素晴らしいだろう。
しかし、それを信じたイーリスはどうしようもなく子供だった。
この光景をまのあたりにして俺は確信した。
彼女が夢みたのは幻だった、憧れたのははじめから存在しないべつのなにかだ。
だから彼女の願いはかなわないだろう。
竜神官たちを説得することはできないだろう。
それでも彼女を止めることはしない、ただ後ろをついて行く。
せめて納得いくまで好きにさせてやろうと思うからだ。
俺たちは汚らわしい現実の合間をぬって広間を進んでいく。
訓練で引き締まった少女たちとは対照的に男たちは皆、一様に醜かった。
神官たちは支配層であり信者からの布施で贅沢に困らず、特権の行使で磨き抜かれた美少女たちをはべらせることができる。
望むままにすべてが手に入る。
現状に満足している人間が自分をみがくはずもなく、肥え、堕落した醜い肉の塊へとなりはてた。
醜悪なコントラストだ。
これが美しい巫女を育成し、美しい儀式をとりおこない、美しい名を冠する都市の本当のすがた。
イーリスがここに来ることをためらったのは、これを見られたくなかったからに違いない。
イリーナ視点ですごした大都市アシュハでの一年半は、この儀式に懐疑的だった彼女の認識に変化をあたえたのかもしれない。
キョロキョロと徘徊するイーリスを追っていると、どうやら標的がさだまった。
正面の男にむかって直進する。
あれがこの都のトップだろうか、そうなんだろうとひと目でわかった。
「あれが大神官さま」
イーリスの言葉に俺は納得する。
醜態のかぎりをつくしている他とはちがう、身だしなみをととのえ優雅にふるまうことで格のちがいを見せつけている中年男性。
人前にでる機会が多いぶん気をつかっているわけだ。
はじめにこちらに気付いたのは、それに寄り添っていた少女。
彼女もきっちりとした衣装をまとい優雅に酌などをしていたが、大神官に耳打ちして俺たちの接近を知らせた。
少女には見覚えがある。
この都の象徴である現職の巫女のはずだ
名はたしかララーナ、現聖竜の巫女ララーナ・マクナフィン──。
「あら、どなたかしら?」
おぼえがないかのような口ぶりだが、その少女の目にはありありとイーリスへの嫌悪が見てとれた。
「ひさしぶりねララーナ、あたし、イーリスよ」
皮肉に対して馬鹿正直に返答すると、大神官のまえに両膝をついて頭を下げる。
「ご無沙汰しております、大神官さま」
大神官はひれふすイーリスを素通りしてこちらに視線をむけてきた。
俺はひざまづいたイーリスの背後に仁王立ちしている。
高圧的な態度の俺をみてイーリスは「話し合いに来たんだからね!」と、とがめてきたが、どうしても下手にでる気が起きない。
大神官はまるで力づくで押し入ってきた暴漢でも見るかのような目で俺をにらみつけた。
そして怒鳴る。
「見張りの兵はどうしたッ!!」
俺に対してというよりは周囲に呼びかけるかのような怒声だが、意外なほどに声は響かない。
それでも周囲の竜神官たちは大神官の異変を感じとり、のそのそと俺たちの周囲にあつまってくる。
状況を理解して迅速にというふうではないが、なかには武器になりそうなものを手にしている者もいた。
ただ、どいつもこいつも全裸なのは滑稽だ。
俺は大神官の質問に答える。
「兵士が何人いても物の数じゃあねえんだよ、ここにいる全員相手してやろうか?」
なぞのイラ立ちから好戦的な態度になってしまう。
竜神官は俺たちを包囲こそしているが、距離を縮める様子はない。
こちらが行動にでたときに取り押さえる間合いというよりは、人に押し付けたくて仕方がないといった間合いだ。
少女たちを蹂躙しているときとは態度が大違いだな。
しかし神官たちと見張りの兵士との対応の温度差はどういうことだろうか。
素通りさせたのはすっかり大神官の意向だと思い込んでいたが、そんな様子ではない。
──まさか、兵士たちやる気ない説は当たっていた?
さきの竜騎兵たちの勤勉さを見るにそんなことはなさそうではあるが、どちらにしろ話し合いの時間は確保できそうだ。
イーリスは直訴する。
「大神官さま、あたしたちは喧嘩をしにきたんじゃありません。話をきいていただきたいんです!」
都の正常化を目指し、『聖竜の巫女』を真実にするため、大神官への直談判が開始された。